九十年代前半、新日本プロレスは、まさに、飛ぶ鳥を落とす最強のプロレス軍団だった。



闘魂三銃士を筆頭に、馳ケン、長州、藤波、平成維震軍、ジュニア戦士も、見渡せば、ライガーを軸に、キラ星のごとく、トップレスラーが集まっている。



坂口社長、長州監督のもと、新日本プロレスが、業界の中心となり、マット界を盛り上げていた。



しかし、ある選手の退団が、まさに、屋台骨を揺るがされる大惨事を招くことになる。



馳浩。

(あくまでも、私見だが)この男の退団こそが、新日本プロレス崩壊の序曲だと思う。



猪木に続き、政界に進出し、レスラーと政治家の二足のわらじをはこうとしていた馳だが、上層部は、ソレを許さず、ハード・スケジュールという枷をはめ、半ば強制的に引退させようとしていた。

耐え切れなくなった馳は、『新日本プロレス』から引退し、一年もたたないうちに、全日本に再入団。

以後のキャリアを、全日本で過ごすことになる。



そもそも馳とは、不思議なレスラーだ。

IWGPのタッグ、ジュニアのチャンピオンにはなっても、シングルのタイトルには縁がない。

G1も、準優勝が最高で、単独でトップの座についたことがない、という、九十年代の新日本プロレスでは、考えられない立場のレスラーなのだ。

これは、猪木のサポートに徹した坂口に近い考え方ではないか、と、思う。



さて、馳不在の新日本プロレスは、徐々に磁場が狂いはじめる。

エリートの武藤、俺が俺がの橋本、狼軍団を率い、ヒールのトップを目指す蝶野、ようやくパワーの鎧を脱ぎ捨てた健介と、熾烈なトップ争いが、繰り広げられることになった。

この場合のトップ争いとは、単なるベルト争いではない。

ポスト猪木、ポスト長州をにらんだ絶対的な新日本プロレスのトップを狙うという意味なのだ。



このトップ争いに敏感になったのは、武藤と橋本だ。

武藤は、アメリカ直輸入のnWoに身を投じ、自身のレスラーの価値をあげにかかった。

橋本は、正規軍の砦として、追い越さなければならない壁としての長州、後を追いかけてくる健介に、過剰なまでのライバル意識を持つ。



武藤とて、正規軍にいたら、橋本、健介とひとくくりにされてしまう。

幸い、武藤にはグレート・ムタという裏技があった。

これを使うことで、ナチュラルにnWo入りを果たし、結局、盟友蝶野とのコンビを結成する。

これにより、正規軍とnWoのパワー・バランスが、大きく崩れることになる。



新日本プロレス内は、次々と配置変換を余儀なくされる。

レイジング・スタッフ、平成維震軍も解散。

パートナー不在の健介は、越中と組み、タッグ・チャンピオンになり、軍団の枠が無くなりはじめる。



その頃、馳は、全日本プロレスで、四天王相手に、熱戦を繰り広げ、確固たる地位を確立しつつあった。





武藤&蝶野に対抗できる橋本&健介は、なかなか組まれない。

橋本は、長州のお気に入りの健介とは、同じコーナーには、立てない。

そんな時、馳がいれば、馳ケンなり、橋本&馳なりを組めば丸く収まる。

しかし、馳はいない。



たまに、同じコーナーにたてば、ギクシャクして、いい試合には、ならない。

そして、己の手で己の価値を下げていく。



話題の中心から、ずれはじめる橋本は、師匠猪木から、小川戦を持ちかけられ、さらに、迷走。

負けたら、引退マッチから、プロレスリングゼロワンを立ち上げ、新日本プロレスを去る。



さらに、武藤は、三沢等ノア一党が退団し、崩壊寸前の全日本プロレスに、目を奪われる。

その誘いをかけたのは、まさに、新日本プロレスを追われた馳浩ではないか、と、言われている。



長州、健介も、新日本プロレスでの行き詰まりを感じ、WJを立ち上げ、退団。



あれだけ、磐石を誇った新日本プロレスは、結局、お山の大将の続出で、会社としての機能を失うところまで追い込まれてしまった。



もし、あの時、新日本の上層部が、馳の二足のわらじを認めていたなら、馳の肩書きは、PWF会長ではなく、新日本プロレス取締役、相談役だったのではなかったのか、と、思う今日この頃である。