またしても、昔の週プロから。

97年、4月29日発売。
小川がデビュー戦で、橋本を破り、川田と小橋のチャンピオン・カーニバル公式戦が引き分けで終わり、IWAジャパンでは、山田&松田&平野対川畑&奥村&高橋秀幸のスクランブル・バンクハウス・デスマッチが、行われていた。

小川の勝利を受けて、橋本は再戦を要求、出来たばかりの新しいIWGPベルトをかけての一騎打ちが決まった。

そんな時の猪木のインタビューから、興味深い記事を抜粋する。


ー小川をプロレスラーではなく、プロ格闘家の道を歩ませたのは、どういう意図から?
プロレスという道から入ると、要するに、年期もかかるんですね。非常にこれは難しい選択なんだけど、格闘家っていうのが、認識度が高くなってきたからね。そういう意味での格闘家路線とプロレス路線の。
もともとそんなの区別が無かったんだけどね。オレの場合はその中に全部、プロレスラーとして、格闘家として、やってきたからね、そういう区別はなかったんですけど、ここにきてなんとなく、アルティメットみたいなのが出てきたから。プロレスとは、別に、みたいなふうになってね。本来なら、プロレスも出来て、格闘も強いというのが当然なんですけどね。

勝負で勝っていかなければならないし、勝つだけじゃなくてね、プロレスをふくめて、大衆というものに、心をつかんでいけないといけない。感性と表現力とあうね。

ひとつだけ忘れてもらっちゃ困るのは、ファイティング・スピリットという、闘魂というかな、闘いの魂、リングは闘いであるという精神をね、より強く掲げる必要性があるんじゃないか。みんな、ないっていうわけじゃない、持ってると思いますけどね、それを強くかかげなければいけない時代に入ったんじゃないかな?

プロレスのよさと悪さと言うのが、はっきり見えるんでね。よさで言うなら、大衆スポーツになりえるわけだから。アルティメットは、大衆スポーツにはなり得ない。
(中略)
アルティメットっていうのは選手の立場に立った競技ではない。プロモーターが銭儲けをする、ひとつの手段として今、あれしてるから。

新日本は、何がしたいの?一般大衆に広がっていく試合?広がってないでしょ?マニアックな世界になってきてる。


十五年前、猪木の言うことは、ことごとく黙殺された。
結果として、橋本、武藤、長州、藤波、気が付いたら、新日本の風景は一変していた。
老害呼ばわりされたこともある。

ところが、どうして、十五年の時間の経過を迎え、生き残っているのは、プライドでもなく、K1でもなく、WJでもなく、イノキ・ゲノム・フェデレーションだったりする。

プロレスと格闘技を分けて考えたことのない猪木は、ピーター・アーツにタッグマッチをやらせ、レバンナにプロレスのベルトを巻かせた。
これは、プロレス界にとって、由々しき事なのだが、一番重要なのは、プロレスラー一同が、一線を引いているかのごとく、見てみぬフリをしていることなのだ。