昨日のブログの延長戦になります。
WWEと言えば、2002年に、スマックダウンをスタートさせました。
これは、増えすぎたレスラーも活躍の場を増やすために、RAWとSDの二部制にし、それぞれ、別ブランドとして、ドラフトなどを取り入れ、カードに幅を持たせるのが、目的でした。
実は、新日本プロレスも、二部制を本気で考えていた時期があり、もし、それが実現していたら、日本のプロレス界の勢力図は、大きく変わっていたと思われます。
その実験的ケースとして作られたのが、『平成維震軍』です。
もともとは、反選手会同盟ということで、越中、小林が、青柳、斉藤を引き入れ、軍団結成。
その後、カブキ、後藤、小原、そして木村健吾、さらには、野上、助っ人として、天龍まで巻き込んだ大軍団となりました。
当時、新日本本隊には、長州、藤波、闘魂三銃士、馳ケン、JJジャックス、平田さん、ライガーをはじめとするJr戦士が在籍しており、なかなか、全員に出番がチャンスがいきわたりにくい状態だったのです。
そこで、反選手会同盟を平成維震軍に格上げし、長州、WAR、昭和維新軍、マサ・サイトー、平田さんと対抗させ、シリーズを作り上げたのです。
当時、新日本が二部リーグを実現させていたとしたなら、こういった感じで、グループ分けされていたのではないでしようか?
一部
藤波、橋本、武藤、馳、飯塚、ライガー、サムライ、カシン、金本、大谷、高岩。
二部
長州、マサ、平田、健介、越中、木村、小林、野上、後藤、カブキ、斉藤。
nWo以前の蝶野、天山、ヒロの狼軍団は、掛け持ちになるかもしれません。
一部には、ノートンやホークのような華やかな外人を、二部には、サブゥーやシンといったバイオレンス色の強い外人をブッキングすることになるでしょう。
そして、シリーズの最終戦やビックマッチのときに、合流し、合同興業を開くのです。
さらに、WARやUインターといった当時、対抗戦をしていた団体を絡めれば、一つの団体を二つに分けても、十分、活動できたのです。
これが実現しなかったのは、色々な大人の事情と聞いていますが、いずれにしても、選手層の厚かった頃の新日本だから、できる話でした。
そして、この後、また、新日本二部リーグの話が、水面下で進んでいたようです。
それは、小川に負け、引退を表明した橋本が、諸事情で、新日本を離脱、自身の団体『01』を立ち上げたことです。
これは、藤波が、橋本のバックになり、「新日本プロレス 01」を旗揚げする予定だった。
しかし、これまた、大人の事情で、新日本からの援助を打ち切られた橋本は、独自で01を旗揚げすることになる。
こうして、新日本の二部リーグ制の企画は、頓挫したわけだが、これは、スター候補が、十派一からげ状態だった頃の新日本だからこそ、できた話である。
選手が増えたと同時に、活躍の場を作ったWWEと、現状に甘んじ、次々と選手の離脱が発生した新日本。
最終的には、当時、複数スターを彩っていた選手は、誰一人、新日には残っていない。
橋本、武藤、蝶野、健介、長州、藤波、越中、当時、メインを張っていた選手は、全員、出て行ってしまった。
これが、悲しい現実なのです。