約一ヶ月ぶりの本題です。
マグナムTA。
本名テリー・アレン。
精悍な顔立ちにワイルドな口ひげ。
NWA好みのナチュラル・ボディ。
まさに、次期チャンピオンとして、NWAの顔になるべき男でした。
リングネームの由来は、「マグナムPI(私立探偵マグナム)」に、アレンが酷似していたからで、レスラー仲間から、マグナムと呼ばれていたのが、そのまま、リングネームになりました。
ルイジアナとフロリダを主戦場としていたアレンは、NWAのブッカーをしていたダスティ・ローデスの目に留まり、NWAと専属契約しました。
日本では、「世界のプロレス」でたびたび、その試合が見られました。
ローデス派閥の筆頭だけあり、フレアー軍団こと4・ホースマンとの戦いは、ファンの注目するところとなり、86年のBASH(現在のグレート・アメリカン・バッシュ)では、タリー・ブランチャードとの「アイ・クィット・マッチ」を行い、割れた机の脚で、ブランチャードの目をえぐるという荒業で、見事、「アイ・クィット」の言葉を引き出しました。
バッシュ17連戦で、17回のタイトルマッチを終えたフレアーは、ローデスにピンフォール負けをし、一度、タイトルを手放します。
二週間後、フレアーはリベンジを成功させ、ローデスからベルトを引っぺがしますが、その次のチャンピオンは、間違いなく、TAといわれていました。
と、いうのも、当時、ライバル団体のWWFはレッスルマニア2を成功させ、アメリカ三箇所での同時開催で、PPVメインの興業体系に切り替え。
ハルク・ホーガンをメインに据えて、全米進行への第一歩を踏み出したばかりだったのです。
WWFが、ギミックとキャラクターに走るなら、NWAはレスリングと流血戦に活路を見出す。
その象徴として、槍玉に上がったのが、リック・フレアーとマグナムTAだったのです。
本来であれば、TAのポジションには、リッキー・スティームボードがなる予定でしたが、WWFの引き抜きにより、そのポジションが、ぽっかり空いてしまったのです。
バッシュ17連戦で、プロデューサーとしての株を上げたローデスは、その実績を元に、フレアーとマグナムのNWA戦をメインに据えて、全米ツアーを開始する予定でした。
が、
ある雨の降る秋の夜。
マグナムの運転する真紅のポルシェは、スピードの出しすぎで、反対車線を乗り越え、大破。
運転していたマグナムは、頚椎と脊髄を損傷。
二度とリングに上がることなく、引退。
これにより、ローデス構想は、根底から見直しとなり、フレアー政権が続くこととなったのです。
その時点では、スティングもレックス・ルーガーも、息のいい中堅でしかなく、スティングが世界ヘビー級のベルトを巻いたのは、4年後の90年。
ルーガーにいたっては、さらに遅れること一年先の話でした。
その四年の間に、WWFは、NWA、AWAの次期チャンピオン候補を次々と引き抜き、全米進攻を成功させたのです。
こういうコラムを書いていて、いつも思うのですが、「もしも、あの時、~が~していたら」、確実に歴史は変わっていたかもしれません。
それはブルーザー・ブロディ、橋本真也の早すぎる死だったり、フレアーのWWF移籍だったり、歴史の変わり目で起きる運命的な何かがそうさせている出来事というのが、存在するんです。
マグナムTAの事故も例外でなく、もし、マグナムがフレアーからNWAのベルトを奪い取っていたら、(あえて、断言しますが)今でも、NWAチャンピオンは、存在していたと、と、思います。
フレアーとマグナムの血の抗争で、ベルトのやり取りをしている間に、スティングやルーガーの若手が、メインに立てる舞台を作る。
そうして、世代交代の波が、NWAにも・・・。
そんな時代の狭間の話です。