NWAとは何ぞや?
詳しいことは、ワイキを参照していただければ、幸いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/NWA_(%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9 )
簡単に言えば、世界に散らばるプロレス団体の間で、ネットワークを作り上げ、選手の派遣、チャンピオンの認定、興業の協力などを取り仕切る非営利団体ということになる。
アメリカが中心となり、日本、プエルトリコ、カナダ、メキシコ、ニュージーランド、韓国の団体が、参加している。
日本では、ジャイアント馬場が、海外修行時代のコネクションを生かし、NWAに加盟。
猪木が加入しようとしても、その名を連ねることはできず、臍をかむ。
1970年代から80年代後半にかけて、全日にのみ、ハーリー・レイス、リック・フレアー、リッキー・スティムボードなどの歴代のチャンピオンを、数ヶ月に一度招聘し、鶴田、天龍などのトップレスラーを挑戦させている。
有名外人が呼べなかった猪木は、シン、ハンセンなどの無名の外人を発掘し、自分のライバルとして育て上げるなどの苦肉の策をとっていた。
後日、新間寿営業部長の名前で、NWAに加盟するが、『1テリトリーに1プロモーターの原則』により、新日本プロレスに、純然たるNWAチャンピオンが来日することは、なかった。
当時、NWAに加入できないということは、これだけの影響力があったのだ。
それだけの影響力がある団体である。
表向きは、非営利を唄ってはいたが、その会長になれば、世界中のプロレス団体の運営に影響を与える立場になる。
その会長の座を狙って、それはもう、表に出せない駆け引きがあったという。
特に、『鉄の爪』こと、フリッツ・フォン・エリックは、その魅力に取り付かれた一人で、自身の息子をNWAチャンピオンにしたいがために、会長職を狙い続け、とうとう、NWA会長の座を射止め、わが子、ケリー・フォン・エリックをチャンピオンにした。
そのために、エリックが失ったものは、大きすぎたわけだが。
そういったいざこざから、いの一番に足抜けしたのが、ニュー・ヨークに拠点を置く、WWWF(ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション)、後のWWEである。
WWWFは、NWAと一線を引き、独自のプロモートを展開。
WWFと名称を変え、NWAと興業戦争を引き起こす。
さて、当時のNWAチャンピオンの権威がどれだけすごいか、ということだが、アメリカでは、リック・フレアーを紹介するとき、『16度の世界チャンピオン』と呼ばれる。
フレアーが、ローデスを破り、初めて、チャンピオンになったのが、1981年。
それから、1990年までの間ウレアーを中心に、ベルトが動く。
その10年の間、王座交代劇は、わずか8回。
反則、リングアウト判定では王座が移動しない、といったチャンピオン有利なルールであるが、それでも10年にわたって、世界各地にいる優秀なチャレンジャーの挑戦を退け続けたのだ。
ドリー・ファンクJrは、4年3ヶ月。ハーリー・レイスも10年近く、タイトル戦線に絡んでいる。
それくらい、『負けなかった』のだ。
そのチャンピオンに、「引き分け」だったり、「反則勝ち」「リングアウト勝ち」、「3本勝負のうち、1フォールとった」となれば、そのレスラーの価値は、「限りなく、チャンピオンに近い」という評価がもらえる。
ちなみに、日本で、NWAタイトルマッチの評判が、芳しくないのは、当時のプロレスに対する価値観というのは、「八百長」「やらせ」との戦いであり、「スポーツ」「格闘技」をバックボーンで育ってきた日本人にとって、「反則決着」「両リン決着」というのは、『潔くない』というイメージが強く、『プロレスは、やはり、八百長』というイメージの増徴に、一役買っていた(それゆえ、猪木は、NWAを否定し、異種格闘技戦を行うことで、自らが、象徴になろうとした)。
ちなみに、現時点での世界最高峰WWEでのここ最近のタイトルホルダーのタイトル保持最長記録は、JBLによる9ヶ月。
PPVのたびに、タイトル・ホルダーが、入れ替わるわけで、そこに、どれだけ権威があるというのか、いささか疑問である。
それだけ権威のあったNWAも、権力争いなどの理由で、烏合の衆となり、かつてのネットワークはばらばらとなり、ローカル・テリトリーと成り下がってしまった。
レスリングができない小川が、NWAチャンピオンとして、認定された悲しい時代もある。
チャンピオン時代のフレアーは、セントルイスで防衛したその二日後、東京へ行き、その翌日にはジョージア、その次の日にはテキサス、さらに、その次の日には、カナダに飛んでいた・・・といううそのようで本当の話がある。
それくらいのハードなスケジュールの中、観客を満足させる様な試合を見せつづけたのだ。
その背中を見ていたHHHは、チャンピオンの背負うものの重さをしっているので、「ストーリーが気に入らない」「あそこが痛い、ここが痛い」といって番組を休もうとするゴールドバーグを認めようとしなかった。
チャンピオンが、客を呼べなければ、ほかのレスラーの食い扶持も無くなってしまう。
それこそが、NWAの看板を背負うということなのだ。
nWoが、タイトルをおもちゃのように扱ったことで、その権威は地に落ち、NWAの歴史は、あえなく幕を閉じる。
この21世紀の世の中、世界ヘビー級チャンピオンとして、WWEで、復活はしているものの、そこに、当時の輝きはない。
PPVの都合で、行ったりきたりするようなベルトは、単なるトロフィーと一緒ではなかろうか。
いまだに、NWAの名を冠するベルトは、多々あるが、名より、実を思わせるそんなベルトは、もう、我々の前には現れないのだろうか。
良くも悪くも、エンターティメント、な、マット界である。