先日、アティサノエのブログを書く為に、昭和59年のプロレス事情を調べていたら、興味深い記事を発見しました!

『UWFが、順調に旗揚げをしていたら、目玉のタッグチームは、猪木&木村(健吾にあらず)だった』

諸事情により、UWFは、ああいう形になってしまったので、猪木&木村(健吾にあらず)は、実現しなかったが、もし、このチームが実現していたら、歴史に残る名チームになっていたのは、間違いない…んじゃないかな、と思います。

新日本在籍時は、新日本正規軍の反対側のコーナーに立ち、ラフ・ファイト中心のスタイルだったが、元々、国際プロレスと言えば、バーン・ガニアやビル・ロビンソンといったAWA、ヨーロッパ系のレスラーを招聘していただけあり、意外なくらいレスリングがうまい。
さらに、何を隠そう国際プロレスの所属レスラーは、サンボの経験者が多く、あまり試合で使うことはないが、サブミッションのテクニックも、特筆すべきものがありました。
(アントニオ猪木、レスラー30周年記念試合 猪木&シン 対 ベイダー&浜口 で、浜口が見せた巻き込み式の丸め込みは、サンボ流のテクニックの応用です)

ちなみに、馬場が、ルー・テーズに『馬場・猪木・木村の三人で、一番シュートが強いのは誰か?』と聞いたところ、『相撲、レスリングを体得している木村が一番』と答えたそうです。

その時のUWFと言えば、前田、木村(健吾にあらず)、剛、マッハ隼人、グラン浜田の五人。
これに猪木が参加していたら、まさに、木村(健吾にあらず)の立ち位置は、新日で言えば『坂口』にあたるわけで。


アントニオ猪木&ラッシャー木村 対 マーク・ルーイン&カリプス・ハリケーン

なんか、燃えません?


それはそれとして、最後の最後まで、披露されることのなかったラッシャー木村のテクニックを、前田や藤原相手に、披露して欲しかったです。