現段階で、必殺シリーズの撮影が始まったという話は、まだ、聞こえてこない。

頼みの筋も、途絶えたままなのか。





巌鉄さんのプロレスラー BANZAI PART2-101201_135623.JPG




思えば、「仕置人殺人事件」に始まり、「仕事屋転局」「仕業人視聴率低迷」「うらごろし視聴率3%切り」と、色々と打ち切りの危機に見舞われた必殺シリーズ。


それでも、しぶとく生き続けてきたのは、やはり、コアなファンだけではなく、一般に受け入れられる土壌を作り続けてきた製作者サイドの努力の結晶であろう。


しかしながら、必殺剣劇人を最後に、テレビシリーズは、打ち切られ、以後は単発スペシャル、映画を得て、「必殺仕事人 激突」が復活、その後、映画で、藤田まこと演じる中村主水が死亡。


これで、完全に、必殺の復活はないと思われたが、これが驚き、「必殺仕事人 2007」のスペシャルの放映の後、「必殺仕事人 2009」がシリーズ化と、世に仕事人を望む声がある限り、いつしかこの世に舞い戻る・・・こととなったわけである。




これだけ、ニーズの高い必殺シリーズは、なぜ、終了してしまったのか。


単純に、視聴率の問題としてしまうのは、いささか早計である。


 


そもそも、必殺シリーズの終了を一番願っていたのは、誰あろう、中村主水こと藤田まことさんなのだ。


「跳べ!ひっさつうらごろし」で、最低視聴率2.7%をマークした必殺シリーズは、原点回帰を合言葉に、必殺仕事人の製作に着手。


堅実なドラマつくりをベースにした「仕事人」は、高視聴率をたたき出し、続編の「新仕事人」で、「主水・秀・勇次」の最強トリオを生み出し、その人気を不動のものとする。

しかし、その高視聴率とは、裏腹に、製作サイドには、方向性を暗中模索しながら、ひとつの結論に達する。


「必殺のバラエティー化」


「新仕事人」から「Ⅴ」までで、顕著にそれが見られる。


オープニングで、仕事人と頼み人が絡み、CM明けに、仕事人の表の日常が描かれ、頼み人と悪党が絡み始める。


順ちゃんがおかまの玉助にまとわりつかれ、中村さんは田中様にいやみを言われ、加代は相変わらず、一攫千金を狙っている。


そうしているうちに、頼み人と仕事人が仲良くなり、悪党が悪巧みをはじめる。


CMが終わる頃、頼み人は悪事に巻き込まれ、この世を去り、そこに偶然通りかかった仕事人の腕の中で死んでいく。


「この世には、晴らせぬ恨みを晴らすXX人と呼ばれる人たちがいると聞いています。この恨みを、このお金で(ガクリ)」」


CM明けに、アジトに集まり、挿入歌に乗って、金を分配し、いつものテーマにあわせて現場に集合して、いつものテーマで悪党を殺す。


そして、ムコ殿は、あいもかわらず、せんとりつにへそくりがばれて、終了。


良くも悪くも、これで、作品が上がり、視聴率が稼げたのだ。




しかし、そういった風潮に、一番嫌悪感を抱いたのが、藤田まことさんだった。


「毎回、しかめ面して、銭くばりして、人殺せばいいなら、昔のファイル無使いまわしてもいいだろ」


この発言に、現場が凍りついたという。


仕事人Ⅳで、起きた話である。


勇次役の中条きよしも、役つくりに限界を感じ、殺し以外の場面では、姿を見せなくなるようになる。




Ⅳ終了を機に、秀と勇次が降板。


それに代わり、竜と政を加え、Ⅴが始まるが、バラエティー化に歯止めがかからず、番組作りは低迷を極める。


松竹三十周年の記念映画「必殺!ブラウン館の怪物たち」が、大こけし、また、撮影中に、竜役の京本氏が骨折。


これを機に、Ⅴを終了させ、かねてから叫ばれていた「原点回帰」を目指した「ドラマ性重視」の番組作りが進み始める。


「必殺橋掛人」は、その実験作で、「元締」「定番の馴れ合いからの脱却」を図った意欲作で、「渡し人」「仕切人」とは違った「縦筋」の通ったドラマに仕上がっている。


そして、「激闘編」では、「念仏の鉄」の復活を目論んだが、山崎氏の反対にあい、頓挫。


しかし、工藤栄一監督の下に、「殺しのリアリティー」「人間ドラマ」に重点を置いた脚本とキャラクター作りを徹底。


「闇の会」「仕事料の引き上げ」「竜と政のキャラクター変更」「助っ人」といった「脱バラエティー」に挑んだ。


その結果、雰囲気ががらりと変わった「必殺」は、息を吹き返す。


ジリ貧だった視聴率は、じわじわと上がり始める。


路線変更は、成功かと思われた。


しかし、当時のテレビ情報誌に、「最近の必殺は、ムコ殿とせん、りつのからみがなくなり、楽しくありません」という投書が掲載される。


それをきっかけにしたかはどうかは定かではないが、再び、バラエティー化が組み込まれるようになる。


サブタイトルも、「主水、XXをする」に戻り、定番のテーマでの行進も復活する。


この融合が、うまく回れば、まだ、救いはあったのだが、売りのひとつであった「助っ人」である「弐」「参」のスケジュール確保が難しく、「壱」以外の出番が減り、ハード路線の限界を迎える。


余談ではあるが、「激闘編」をベースにして作られた映画「必殺Ⅲ 裏かおもてか」は、工藤栄一監督の力作で、「激闘編」の真の最終回に当たる作品として、製作されたといっても過言ではない。


劇場公開作は、百三十分だが、撮られた「第零号」フィルムは、3時間を越す超大作。

一時間近いカットにより、内容に奥行きがなくなってしまった。


誰か、ディレクターズ・カット版、販売してください、俺のために。




そして、終焉に向かって、必殺は走り始める。


「旋風編」への突入だ。


「旋風編」について、色々としたり顔で、「必殺終了の原因」などという輩がいるが、裏事情について、調べた上で、そういうことを言っているのか、問いただしたいと思ったことがある。


実は、この旋風編が始まる前、藤田まことさんから、番組降板の申し入れがあった。


理由は、「刀を振り回す体力がなくなった」ことを、あげているが、実のところ、当時、藤田さんは、舞台と必殺の二つの仕事を、同時進行していた。


必殺の撮影に入ると、舞台の仕事がおろそかになる。


そればかりではない。


昼は京都で必殺を撮り、夜は東京で舞台稽古。


必殺の撮影のスケジュール如何で、それが逆転したりと、藤田さんの仕事の足かせとなりつつあった。


「主水、バースになる」では、とうとう、藤田さんの撮影スケジュールが間に合わないばかりか、舞台での役作りのためにはやした髭を、剃る事ができず、やむなく、「さらわれた主水を、政たちが救出する」という苦肉の策がとられている。


そして、この頃、藤田さんは、もうひとつの当たり役を射止める。


はぐれ刑事純情派との出会いだ。


安浦刑事役は、主水のイメージがついて回った藤田さんにとって、喉から手が出るほどほしかったレギュラー作品だ。


しかも、夜鶴の銀平こと、出門英さんの病気が発覚。


色々な事情が重なり、満足な撮影時間が取れなかった「旋風編」は、視聴率的に結果を残せなかった残念な作品となる。


ぎりぎりまで、藤田さんの説得を試みた製作サイドだが、藤田さんの意志は固く、「風雲竜虎編」で、「必殺シリーズ」の終了を発表。


そのラストを飾った剣劇人は、隠れた名作として、ファン、関係者の評価も高い。


しかし、「必殺らしくない必殺」ということで、「うらごろし」同様、アレルギー反応を起こすファンも多い。


その後、スペシャルと映画で、主水は、忘れた頃に帰ってきた。


単発シリーズとして、「激突」も撮られた。


映画「必殺 主水死す」で、中村主水が、死んだことで、一応の決着をつけた必殺シリーズだが、後年、中条きよし演じる「三味線屋 勇次」を、映画化し、あわよくば、勇次を主役にすえて、テレビシリーズを復活?という噂もあった。




その後、実験的に「2007」を製作したテレビスタッフは、「映画の主水は死んだが、テレビの主水は、死んでいない」と、妙に開き直り、引き続き、「2009」をシリーズ化した。


しかし、ジャニーズのタレントを起用したことで、またもや、アレルギーを起こす視聴者が続出。


昔と違い、ネットの普及、メールやブログなどで、直接、製作会社にクレームを入れる、公式ブログの掲示板に心無い書き込みを繰り返す、などをするものが続出した。


意見を言うのが、悪いとは言わない。


しかし、自分の価値観に会わないからといって、一方的に批判するのはいかがなものか?


以前にも、当ブログで述べたとおり、ジャニーズ批判をする方々の多くは、「ジャニーズ批判」はするが、一役者としての彼らを、批判することがない。


木を見て、森を見ない方の多さよ。


しかしながら、そういった方々の批判的意見の多くを受け入れた製作スタッフが、2010までに、どれだけ試行錯誤したことか。


そうしているうちに、必殺の顔こと、藤田まことさんが、お亡くなりになられてしまった。


2010は、中村主水こと藤田まことさん追悼として、製作されることとなり、番組内で主水を送り出すこととなった。




今もって消えないジャニーズ批判、「昔と違う、昔の必殺はこうじゃなかった」と嘆く人たち。


私に言わせれば、かわいそうだと思う。




私の知人は、最近のファンをこう分析している。


「昔からの必殺ファンは、役者が誰であれ、あそこまで批判的ではない。いいときも悪いときもあるが、それを受け止め続けてきたから、ジャニーズまみれになっても、なんら、動じることはない。むしろ、始末に終えないのは、最近、ネットやらDVDの解説書やらで、『作品を見ていない』ファンが、大暴れしているケース。そこに書いてある情報を鵜呑みにして、後から、画像を見ながら、自分の知識が間違っていないか、確認しているだけ。そういった人たちが、『自分の知っている必殺と違う』と、ヒステリックになっているに過ぎない」


言いえて妙である。


そういった方々が、騒げば騒ぐほど、製作スタッフは、袋小路に陥り、次回作の製作の二の足を踏むことになる。


必殺シリーズ製作に歯止めを掛けているのは、いったいどこの誰なのか、ということになるわけだ。




今回の記事の内容は、かなり、偏った内容になっている。


しかしながら、たとえば、ミクシィ、たとえば、アメブロで繰り返される「必殺関係のコミュでのジャニーズ批判」に対する私なりの答えである。


リアルタイムで、必殺の終焉を見届けてきた世代の精一杯の抵抗である。




巌鉄さんのプロレスラー BANZAI PART2-101201_135705.JPG


「人は、生きるために大義名分をつけたがる。明日のない俺たちは、無様に生き続けるしかないんだ」

半兵衛さんの言葉は、いまだに、必殺に魂を奪われたものへのメッセージである。

あるはずのない新シリーズに期待を寄せ、過去作品を台詞を暗記するほど見続ける。

どれだけ裏切られても、決して、あきらめることのない、無様な負け犬の、誇らしい生き様である。