と、いうわけで、今日のご案内は、ジャック・ブリスコです。

ジャイアント馬場にNWA王座を明け渡した実績で、有名ですが、実のところ、つい最近まで、彼のファイトを見たことが無かったりします。

わっちが、プロレスにはまった頃は、日本への来日も途絶えていたうえに、テレビで再放送される馬場のNWA戦も、レイス戦が多く、唯一、ビデオ化されているNWA戦も、なかなか入手しにくい状態でした。

しかし、最近、WWEのDVDで、『ブリスコ・ブラザーズ』の試合を見ることができたのです。


もともと、ジャック・ブリスコは、ドリー・ファンク・Srの肝入りで、プロレスの修行に励み、ドリー、テリーの踏み台として、のし上がります。

その関係は、ライバルというより、かませ犬的な扱いで、ドリーがNWAタイトルをつかむまで、 試合好者のブリスコを相手に、スキルアップしていき、それは、テリーのときも、続いていました。

ドリー⇒ブリスコ⇒テリーと、NWAチャンピオンが、移り変わり、テリーがNWAチャンピオンになってからは、タイトル挑戦の機会が無いだけに、ファンク一家のランクアップに、利用されたといっても過言ではないと思います。

しかしながら、レスリングの基礎がしっかりしており、NWAに代々伝わる『負けないチャンピオン』のスタイルを受け継いでいる数少ないレスラーです。

試合スタイルも、こつこつこつこつダメージを積み重ねていくチェーン・レスリングの達人で、気がつくと、ダメージが積もりに積もって、反撃できなくなる・・・、という試合展開が多く、クラシカルな『一点攻め』の名手でした。

日本での評価は、それほど高い選手ではないですが、アメリカでは、前述のブリスコ・ブラザーズとして、長くトップ・グループに君臨していました。


しかし、このブリスコ・ブラザーズは、アメリカのプロレス・シーンをひっくり返す大事件を起こします。

『ブラック・サタデー事件』

簡単に言うと、ブリスコ・ブラザーズが、所持していたNWA圏内のプロモート権と放映権を、ライバル団体のWWFに売却し、WWFの全米進行の手助けする形になりました。

その結果、プロレス界の映像版権の管理が甘くなり、独立団体が、それぞれの権限で、独自に、テレビ中継を開始。

そのことにより、「会場に行くより、テレビで気楽にプロレスが楽しめる」環境が定着し、会場収益が激減。

あのダラスのエリック王国ですら、経営不振に追い込まれ、団体をクローズせざるを得ませんでした。

この事件が起きたのは、1984年。

それ以後、WCW(NWA)が崩壊するまで、長い長いテレビ戦争が起きるのです。

ジャックは、この騒動に巻き込まれないように、ひっそりと引退。

自動車工場を経営し、今年の2月、人知れず、この世を去りました。

弟のジェリー・ブリスコは、これを機に、WWEの役員入りを果たし、今でも、DVDのコメンテイターとして、顔を見ることができます。


なにが、ブリスコに、株を売らせたのかは、本人のみぞ知る、ですが、新人時代から、実力才能以外のところで、色々と苦労させられていたNWAに対し、復讐を考えていても、おかしくはありません。

なにせ、同じ、ジョージアあたりを牛耳っていたのは、4・ホースメンの一人、オレイ・アンダーソンでしたから、何か、きな臭いいざこざがあったとしても、おかしくはないのです。

もし、ジャック・ブリスコが、NWAチャンピオンとして、正しい評価をされていたとしたら、いまのWWEの反映は、果たしてあったのか?

興味深いところです。