mixiしかり、アメブロしかり、よくもまあ、こんなくだらない話題で、盛り上がれるものだ、と、毎回思う。
念のために言っておくが、基本的にジャニーズのタレントは、得意ではない。
嫌いではないが、思い入れもない…、それくらいだから、特別に擁護するつもりもない。
そもそも、実力も才能も仕事内容も、ましてや、年齢も違う芸能人を、『一事務所に所属している』だけで、十把一絡(じゅっぱひとからげ)にして、あーでもない、こーでもない、と、批判するのだから、最早、難癖以外のなにものでもない。
以前、某コミュでも、指摘したが、『必殺にジャニーズいらん』という人に限って、『なぜ、いらないか?』を語る人が少ない。
私が見た限りでは、渡辺の殺陣は、腰高で、手先に頼る時があるので、今一つ、格好がよくない。
涼次にしても、演技過剰になり過ぎるきらいがある。
しかし、両者ともに、それをカバーできるだけの迫力と凄みがある。
歴代の仕事師と、なんら引けを取るものではない。
藤枝梅安を演じていた緒形さんでも、キャラ作りが定まらず、仕掛人の最初の回は、バタバタした印象を受けるのだから、わずか一クール(13話)程度で、役が板に付くはずがない。
そういう意味では、仕立屋の匳を演じた田中さんは、たった一話であれだけのキャラ作りをして見せた。
百点満点かと言われれば、それは、個人の感想だから、人それぞれであって、とやかくは言えない。
でも、私が見た中では、あの『目』は、近年の『仕事人』には、お目にかかれない『強』と『色』があった。

で、思うのだが。
必殺は、役者だけで、作られるものなのか?
『必殺 ブラウン館の怪物たち』を、ご覧になった方は、いらっしゃるだろうか?
あの作品は、豪華キャストが勢揃いしている。
だが、内容は、というと、興業成績に現れているように、成功したとは言い難い。
どんなに良い役者を揃えても、良い脚本と良い演出がないと、ただの無駄遣いになってしまう。
仕掛人、仕置人に馴れてしまった方には、気の毒だが、当時とは、時代が違う、規制が違う、役者も違えば、監督も違う。
昭和五十年代と同じ番組作りをしようとしても、出来るわけがない。
仮に、したところで、世間に受け入れられるか、と言ったら、首をひねらざるを得ない。
深作監督にしか出来ない演出、工藤栄一監督にしか出来ない演出は、もう、戻らない。
緒形拳さんはいない。
藤田まことさんはいない。
残念ながら、『我々』必殺ヲタク(敢えて、こう言う表現をさせていただく)は、先人の残した遺産にすがっているに過ぎない力なき弱者でしかない。
半兵衛さんの言葉を借りるなら、『俺たちは、無様に生き残った』だけにすぎない。
『今の必殺はつまらない。昔の必殺はスゴかった』と、そこに拘り、『そのスゴい必殺を愛してる俺もスゴい』と、そこに、自分の魂を置くのならば、それもまた、楽しみ方の一つだ。
それを否定するつもりは、毛頭ない。
なんのジャンルでも、『そういう楽しみ方』しか出来ない人もいる(そういう方に限って、やたらと人通りの多い所で、踊りたがるもんだ)。
その為に、『ジャニーズ』の看板を的にかけるのは、筋が違いませんか?ということだ。

別に、ジャニーズだろうが、AKBだろうが、そんな肩書きなんか、小学校の名札みたいなもんで、肝心なのは、個人の力量でしかない。
ジャニーズが必殺に絡むことに、アレルギーがある人がいるのは、仕方ない。
それは、その人の価値観。
ただ、もったいないのは、そういう色眼鏡ごしに、作品を見て、素直にその価値を見出だすことができるのか?
かなり、損をしている方が、いらっしゃる…、と、思った次第。

ジャニーズの看板を否定するのも自由。
しかしながら、その看板を頼りに、新しいファンが増えたのも事実。
私のお客様が、『中学生の娘が、必殺見たがって困る』と苦笑いしていた。
源太の死に、涙を流し、匳の出現に、胸をときめかせる。
そんな出会いがあっても、いいじゃないか。
彼女は、今でも、次のシリーズを待ち焦がれている。
父親が、『娘に見せたいから』といって、『仕事人』のDVDを借りに来た。
今では、親子で『仕留人』『仕置屋』を見ている…(洗脳?)。
ジャニーズから、始まった必殺は、確実に新しいファンを増やしている。
それを、いちいち疎ましがるような狭い了見なら、いつまでも、仕掛人やら仕置人やらに、しがみついていればいいのだ。