舌がん術後2年が経ちました。

あの時思ったこと、今思うことを、思いつくままに記録しようかな、くらいのゆる〜いブログになりつつあります。


今回は子どもの事など。


※ゆる〜い、とか言っておいて、なんか、重〜い内容になってしまったので、読みたくない方はスルーしてください。


2年前の手術の時、下の子は3歳、上の子は小学2年生。小学生の息子は、甘えちゃんで手がかかるけど大人が構ってくれれば母じゃなくても大丈夫な子。だけど3歳の娘は「ママじゃなきゃだめ!ママがいい!」なタイプで、1ヶ月半〜2ヶ月の入院で、母が居ないのにどーするんだろう…と心配でした。


病気になる前、パパ、息子、娘3人で義父母宅に泊まりに行った際、深夜に泣き叫んで、虐待疑いでケーサツ来たこともあるガーン

しばらく娘は義母宅出禁になった。笑

笑えない話しだけど、今では笑い話。


そんなんだけど、大丈夫だろうか?

でも、ごめん、あたしゃ入院して手術しないと生き延びられないの。

悪いが宜しく!と夫と義母に託した。


子どもの適応能力は素晴らしく、1ヶ月半の間、一度も「ママがいい」と泣かなかったと義父母は娘のことを褒めていた。


病室は個室だったので、少しは子ども達とLINE電話もしたけども、そもそも舌がん術後はしゃべれないし、ってか顔が浮腫んでぱんぱんで、管だらけな姿を子どもに晒すって、衝撃映像でトラウマでしかなくない?とか思って、あまりLINEもしなかった。


LINEでチラッと私の姿を見ちゃうと、娘もママを思い出して泣くかもしれない。

そーなるとパパや義母が大変だ。

LINE電話は極力避けた。

代わりに、夫が送ってくれた子ども達の動画を見て楽しんだ。

時々送られてくる子ども達の動画を見る、くらいの距離感がイチバン可愛いと思えることを知ったうさぎ笑


入院時はコロナ渦で、誰とも面会出来なかった。でも、それはそれで良かったと思う。

子どもの面倒、家事、仕事で忙しくしている夫に「ママの面会」のタスクまで加えてしまうと、さすがに倒れてしまいそうで。

私の洗濯物だけ5日に1度くらいのペースでとりにきてもらったけど、それすら気がひけた。

他の人も同じく面会なしだったから、寂しいと思うこともなかった。


正直、子どものことを心配する余裕もないくらい、入院中は自分のことで精一杯だった。

むしろ、看護師さんの方が私の子どもを心配してくれて、涙ぐんでくれた。

その姿を見て、私はなんて冷たい母親なんだと、悲しくなったりもした。


今まで、子どもが食べる食事はバランス良く作り、お風呂、歯磨き、なるべく早く寝かせて…等毎日それなりに気をつかってきたけど、とにかく入院中は、元気に生きててくれたらそれでヨシ!と思えるようになった。

(しかし、今現在はまたそう思えなくなっている現実悲しい)


癌と告知を受けて、1番に思ったのは、今まで何をしてきたんだろう私?

でした。


子ども達の為に何をしてきた?

何をしてたんだろう私は。


後悔したのは子ども達のこと。

再発した時、バカみたいにまた後悔しないように生きたい。


そうしたいのに、なぜ今日もこんなに怒ってイライラしてしまうのでしょうかえーん

そして、朝は飲まない!って決めていたのに何故今夜もビールを開けているのでしょうか笑い泣き


そんな自分が嫌オエー




↑カービィカフェに行きたい息子の為に作ったカービィプレート。


こーゆーのをやりたい私と、こんなのいらんから優しさがほしい息子。


10歳、おめでとう泣き笑い