高校の修学旅行でのお話。
寝台列車が全盛期だった80年代に「羽田から往復飛行機」という、鉄道好きな私にとって面白くない修学旅行の行程だったが、唯一楽しみな内容があった。
それは、ほぼ一日自由行動の日。
4~5人でのグループ行動、計画を立てて決められた場所に決められた時間までに戻るというルール。
それは、ほぼ一日自由行動の日。
4~5人でのグループ行動、計画を立てて決められた場所に決められた時間までに戻るというルール。
当時、北海道でも、採算の取れない国鉄赤字線の廃止が盛んに行われていた。
そこで、近々廃止になる路線に乗ろうという事で岩見沢~万字炭山間の「万字線」を選んだのは良かった。
「ただ同じ路線を往復するのはワザが無い。山向こうの石勝支線、夕張駅から峠越えをして万字炭山駅まで歩こう!」との計画に。
列車の出発時間までも少しとなり、ショートカットで約15Kmの山中を突き進むが・・・
そこで、近々廃止になる路線に乗ろうという事で岩見沢~万字炭山間の「万字線」を選んだのは良かった。
「ただ同じ路線を往復するのはワザが無い。山向こうの石勝支線、夕張駅から峠越えをして万字炭山駅まで歩こう!」との計画に。
列車の出発時間までも少しとなり、ショートカットで約15Kmの山中を突き進むが・・・
<この周辺には北海道を代表する炭鉱が数多くあった。>


<力尽きる著者、当時16歳(やらせ)>
・・・時間、距離とも無謀でしたね。
仲間3人と話し合い、行程半ばで完歩を断念し、通りかかった札幌ナンバーの商用車をヒッチハイク。
なんとか万字炭山の駅までたどり着く事ができた。

仲間3人と話し合い、行程半ばで完歩を断念し、通りかかった札幌ナンバーの商用車をヒッチハイク。
なんとか万字炭山の駅までたどり着く事ができた。
<やっとの思いでたどり着いた終着駅、万字炭山駅。>


私たちが乗る万字線の折り返し気動車が1両で到着。降車客なし。乗るのも私たち4人のみ。
(ホーム上は、一服する運転士さん)

この数ヵ月後の翌1985年(昭和60年)3月31日をもって万字線は廃止になった。
国鉄が、JRとなった今、民間企業の「採算重視」・・・当たり前の経営の在り方だとは思いますが、古き良き時代の「人間くさい、人情味溢れた旅情」を求める人間の意見は「無責任な主張」なのでしょうか・・・
(ホーム上は、一服する運転士さん)

この数ヵ月後の翌1985年(昭和60年)3月31日をもって万字線は廃止になった。
国鉄が、JRとなった今、民間企業の「採算重視」・・・当たり前の経営の在り方だとは思いますが、古き良き時代の「人間くさい、人情味溢れた旅情」を求める人間の意見は「無責任な主張」なのでしょうか・・・
次回は、今回の「修学旅行コース」を1985年夏、バイクで巡ります。