八高線の記念列車 | 新田鉄人「久慈だョ!全員集合」

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難病と闘いながらピンの鉄道芸人、その他で活動する、元本物の鉄道の駅員と電気部、さらに保線の経験を持つ、新田鉄人のブログへようこそ!岩手県久慈市公認、北三陸久慈市ふるさと大使。潜水士の資格取得済。



東京都の八王子と、群馬県の高崎を結ぶということで名付けられた八高線。正式には倉賀野と高崎間は高崎線で、八王子と倉賀野間の路線名です。さらにJRになってしばらくしてから、八王子~高麗川(こまがわ)間は電化されて川越線と直通運転、通勤ラッシュ時は拝島~立川間の青梅線を使い、中央快速線の東京までの直通便もあります。
八高線の全線開業から80周年を記念して、かつて八高線オリジナルとしてデビューしたキハ38形に似た塗装をリバイバルしたディーゼルカーが高麗川~高崎間で走っています。私はほぼ地元でこのパンフレットをもらいましたが、順次八高線のディーゼルカーをこの色に塗り替えるとありましたが、今でも写真の隣に少し見えているキハ110系通常塗装の編成ばかりが来ます。
全線ディーゼルカーの時代は通勤型が多く、ラッシュの通学客で5両編成にしても身動きがとれない時代があり、そこに当時東北地方を中心に投入されていた向かい合わせの座席もあり片側2ドアの写真のキハ110系が投入され、客が乗り切れるのか心配しましたが、現在はさほど混みません。むしろ高崎近辺のほうが、混雑が目立つ便があります。


こちらは、電化された八王子~高麗川間、さらには川越線に直通する運用で活躍中の205系電車で、八王子~高麗川間電化20周年記念のヘッドマークを付けた編成です。この電化に際しては、205系が入ったのは後の話で、川越の車両基地所属の黄緑(ウグイス)色の103系と新製された209系が走りました。どちらも足りなくなり、103系1編成が他の線から転入、209系は東京臨海高速鉄道から6両転入、足りない2両は新製されました。
103系は、後から入った1編成を除いて地元では山手線のお古と思い込んで、宮城県の仙石線から来たと言っても信じてもらえず、103系の老朽廃車の代替で投入された車両の205系こそが山手線のお古ですが、運転席のある車両が足りず中間車を改造して運転席を新設し新しいデザインとなった他、帯の色も異なるからか、そう言ってもこれもなかなか信じてもらえません。
JR東日本自体から205系が減ったこともあり、貴重な存在です。
国鉄時代に大事故が何度もあった八高線ですが、現在は南北で景色がかなり異なったり、乗り換えは面倒になったものの乗り通すのも面白いです。