1月13日だから113系の話題で… | 新田鉄人「久慈だョ!全員集合」

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難病と闘いながらピンの鉄道芸人、その他で活動する、元本物の鉄道の駅員と電気部、さらに保線の経験を持つ、新田鉄人のブログへようこそ!岩手県久慈市公認、北三陸久慈市ふるさと大使。潜水士の資格取得済。

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今日は、日付にこじつけて国鉄~JRの113系の話題にします。113系は、先輩格の111系のパワーアップ版として1963年(昭和38年)に登場、普通車は片側3ドアで基本的には車内はボックスシートと横向き座席の組み合わせです。
系列名には意味があり、113系の百の位は1~3が+-の方向が一定の直流の電気で動く、十の位は1~3は当時は近郊型を意味しましたが今は通勤型も使います。近郊型は、通勤型電車より長い距離を走りラッシュにも対応できる、やや万能性に優れた車内設備があります。一の位は空いているものから選んだその系列の固有名詞のようなものです。
国鉄で代表的な塗装は「湘南色」と呼ばれる上のタイプと「スカ色」と呼ばれる下のタイプですが、関西には薄いグレーに青帯、赤帯というのもありました。

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国鉄からJRに変わる時は、東日本と東海、西日本に計2800両が継承されましたが、今は200両も残っていません。珍しい例では、JR東日本がJR四国や伊豆急行に譲渡、JR四国のものは大改造を受けたのち番号も付け直して活躍中です。
一時は国鉄時代に大阪近郊にも登場しましたが、東京近郊では東海道本線や総武~横須賀快速線のものにグリーン車を組み込み、JRになってから新製されたステンレス製から他の系列で使わなくなったものまで様々なタイプがありましたが、現在は消滅、JR東日本とJR東海では113系自体が既になくなっています。
JR西日本に残るものは、廃車が出る一方で塗装の単色化が進んで黄色だけになったりJR四国のやや派手な改造や塗装の車両とともに国鉄っぽさからは少し遠ざかったものがほとんどです。
私が子どもの頃は、東海道本線の東京発着でグリーン車のない8両編成が存在したり、高校時代は急行型電車が不足する日に品川~大垣間の臨時夜行列車で走るなどありました。
一時代を築いた名車両も、西日本と四国でしか見られません。