水鳥は餌をある程度食べてしまえば
いとも簡単に池を後にして飛んでいきます。
その姿は、執着の無い、とても気持ちのいい光景です。
それに引き換え、我々人間は
辛いこと 嫌なこと 哀しいことがあると
いつまでも、その事に対し執着し
想いが想いを呼び、そして益々苦しみ悩むのです。
執着とは
自分の考えを正当化したいがためのもの
自分を相手から守りたいがためのもの
そこには、自分はいるが、相手はいない
自分しかいない自我の塊なんだ
そんな自分を見つけたら
全てを認め反省し
新たな道を歩き始めよう
水鳥も次の池に行っても餌のある保証はない
誰だって、執着を捨てるのは怖いんだ
お釈迦様も潔い水鳥をみて、自らの心の執着に気づいたのだろう
いつまでもこだわっていても仕方がない
自分の道は自分にしか歩けない
多くの人の心に灯りがともりますように