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GEEKER GAME

不定期(?)でゲームの紹介をしていきます。懐かしいものから最新のものまで独断と偏見で選出!

元の成都(四川省)を攻め落としたら、すぐ隣の襄陽(湖北省)から元の軍隊がぞろぞろと出てきて成都を奪還しようとしてきました。もちろん我が軍は返り討ちにしながら襄陽ににじり寄ります。それと同時に、カラコルム(モンゴル帝国首都)と敦煌でじっと待機していた王子たちの軍隊を一気にユーラシア大陸東海岸に差し向けて合流し、大都(北京)と襄陽を同時攻撃です。

 大都を攻めたのはアンドロニコス兄さん。敵はあのフビライ=ハーン! 純粋な騎兵隊だったチンギス=ハーンとは異なり、文明の利器を持った部隊でしたが、こちらは数とテクニックで勝利です。



 史実ならば次期国王の兄さん、まずはフビライ=ハーンに一勝!



 フビライ=ハーンももう80歳。セリフも弱気になっています。



 ところが解放するとこの強気の一言。現在ミカエル8世が大都に向かっているので、決着はその時につけましょう。

 その他の王子たちは襄陽に続いて臨安(浙江省)を攻め、その勢いで泉州(福建省)を包囲しているところです。また、パガンからは陳朝のハノイに攻め込み、あっという間に制圧してしまいました。ただいま東南アジアおよび華南地方の街道を整備しています。



 ハノイの君主となったマーラヴァルマンは、史実ではインドに存在していたパーンディヤ朝の王。1295年の春、ビザンツ帝国の支配都市は47。新たな都市、西安(陝西省、古くは長安と呼ばれていた)を建設。以前にてこずった東アジア同盟の期間は終了し、元と鎌倉幕府は再び戦闘状態になっています。今回こそうまく利用しなければなりません。

 

1295年夏、ミカエル8世崩御!

 大都へ向かう途中、サマルカンドに立ち寄っていた折の事件でした。そして史実と同じくアンドロニコスが跡を継いで国王となったのですが、それに異を唱えた領主たちがビザンツ帝国からの独立を宣言!



 カラコルムは司馬元燕によってオイラート領として独立!



 カラチ領主だったゼーヘートゥがダルマパ王朝を樹立!



 マスカットを首都としてアムル=イフマーがギヤルク帝国を建国!

 イル=ハン国の裏切りといい、今回のことといい、ビザンツ帝国の敵は内側にいることが多いようです。とはいえ、イル=ハン国の時のような対応をすれば問題は無いでしょう。何より先手必勝です。

1295年 夏

 王位継承によって全国300人の将軍たちの忠誠度が最大20程度下がっているので(最高は100)、それらを回復しながらの戦闘です。まずはシーラーズからカラチに蒙古騎兵の1軍を差し向け、一瞬で攻略しダルマパ王朝滅亡。わずか1ターン(2ヶ月)も存続しなかった王朝でした。

 また、マスカットに向けてバグタードおよびメッカから1軍ずつ進軍。カラコルムに対しては敦煌とエミールから1軍ずつと大都から国王アンドロニコス自らが出陣。王位継承して最初の仕事です。そして、その間にもユーラシア大陸の東の果てでは王子たち(ではなくて国王の弟たち)が泉州(福建省)制圧。周辺の元軍も掃討。

1295年 盛夏

 マスカットには足の速い蒙古騎兵が向かっていましたが、次のターンで到着。敵は火砲を持っていましたが、強引に攻め落としてギヤルク帝国滅亡。

 オイラート領には足の遅い火砲兵も向かわせているため、攻撃が遅れています。カラコルムにいた他の将軍たちは一旦周辺都市に避難です。もちろん全国の将軍たちの忠誠度の回復にも注力。交易に出ている将軍はしばらく帰ってこないので、回復が遅れてしまいます。

1295年 秋

 ようやく軍隊が集結したのでカラコルム攻撃。足が速く兵数の多いアンドロニコス国王軍が囮となって城内の敵を誘導し、場外から火砲を狙い撃ち敵部隊を足止め。すぐにカラコルムは陥落し、オイラート領滅亡。国王は国内の平定を祝って宴を開催し、忠誠度回復(と子作り)にも励みます。

 今回独立したカラチとマスカットは、ビザンツ帝国が建設してから何年も経っていなかったので、都市の基盤が弱く奪還は簡単でした。先に元と鎌倉幕府を倒しても良かったのですが、気分がすっきりしないので先に鎮圧してしまいました。

 その後、弟たちは元の会寧(黒龍江省)にてフビライ=ハーンとの二度目の戦い。鎌倉幕府との戦いで手薄になっている会寧に火砲兵を惜しみなく投入して制圧。フビライ=ハーンを朝鮮半島の開城に追いつめたのでした。



 ビザンツ帝国は国内が混乱している間にもアンコールの地に都市を建設しました。こちらの怪獣のような御仁はアンコール領主ジュールブラム。1296年新春、支配都市は49。相変わらず元と鎌倉幕府が戦闘をしています。
 

 1297年新春、ついにフビライ=ハーンも天寿を全うしました。元の国王の座を継いだのは長男のドルジです。ミカエル8世とフビライの直接対決はありませんでしたが、戦闘ではビザンツ帝国が二度に渡って勝利し、フビライを朝鮮半島まで追いつめたので、ビザンツ帝国の判定勝ちと言っていいでしょう。

 さてその元ですが、鎌倉幕府と戦闘が続いており、ついに九州の太宰府を勢力下に置いてしまいました。日本本土が元のものになるのは抵抗がありますが、実は私はこれを待っていました。両国が潰し合っている隙に朝鮮半島の開城を攻め落とすためで、目論み通りです。次は元が鎌倉に攻めてくれるといいのですが。

 こうして気分よく極東を攻めていたら、またしてもえらいことが起きてしまいました。カラコルム領主の金方慶(史実では元とともに日本を攻めた高麗の武将)がビザンツ帝国に反旗を翻して独立したのです。またかよ!



 なぜ二度もカラコルムの地で反乱が起きたのかはわかりませんが、今度はキルギス朝を名乗っています。しかも前回オイラート領として独立した時の領主である司馬元燕が登用され、手を貸しているようです! こいつは許せん!

 ビザンツ帝国の対処も手慣れたもので、周辺4都市から1軍ずつカラコルムに派兵し、1297年夏には鎮圧してしまいました。まったく手間ばかりかけやがる。



 二度もビザンツ帝国を敵に回した司馬元燕は斬首するつもりでしたが、間違って解放してしまいました。悔しい……。



 金方慶は斬首。裏切り者は許さないことにします。



 1297年秋、支配都市は51。国王の弟の一人であるラドゥミール(架空の人物)はカリマンタン島(ボルネオ島)に都市ビントゥールを建設。残るは日本列島のみ!