歴史的町並み残る「卯之町」
司馬遼太郎さんも驚愕の
西予市「卯之町」は
三好旅館のある津島町岩松から
宇和島バスで1時間程のところ
「街道をゆく」を読んだ時
まずココに来てみたかったので
ドッキドキのワックワクで
バスを待っていました
津島の岩松バス乗場から見る景色はこんな感じ
(ぜひ拡大でご覧下さい)

卯之町に着いてまずは電車の駅に
行ってみました

駅から徒歩で5分くらいの地点から
こんな感じの町並みが続きます














※開明学校→西日本最古の小学校
「街道をゆく」から想像していた通りの
素晴らしい町並みで
そのスゴすぎる商家のボリュームは
想像以上でコワすぎる
京都のように土産専門の家が並ぶのではなく
飲食店が並ぶのでもなくて
今もきちんと静かな暮らしがあるのにも驚いて
震える手でシャッターを切っても
落着いてできなくて
上手く撮れてるのか
ダメなのか
興奮しすぎて混乱して
水を2本も飲んでしまった
司馬遼太郎「街道をゆく」より
......
しかしそれにしても卯之町という江戸期の城下町でもない土地に
よくもこれだけ立派な町屋と町並みが形成されたものだと思った。
(宇和島十万石というのは、相当なものであったらしい)
と思わざるをえない。
江戸末期のある時期、蘭学は宇和島といわれたときがあった。
わずか十万石の、それも江戸や上方からはるかに離れた
「南予」という僻遠の地で
あたらしい学問の花がひらくには、
それなりの経済の裏打ちが必要であったろう。
藩が一冊二十両、三十両という洋書を長崎や江戸で購入させ、
早い時期には高野長英、村田蔵六などの蘭学家を遠くから招聘し、
その他、理化学や医学の器機、器材を購入するなど、
新学問の育成というのは大変物入なものであった。
この藩の財政が農業のみに依存せず、小藩なりの規模で
殖産興業と商品経済に力を入れていたことを
その裏側の実績として見のがすことはできない。
幸いこの卯之町という商人町が
江戸末期の商家の家並みをのこしている。
この一角に立つだけでも、
宇和島藩の当時の実力が想像できるのではないか。
......「街道をゆく」P88~89より
その一角に立ってみて
宇和島藩の実力の大きさに驚いて
その足で
宇和島城へゆく事に決めて
宇和島バスに乗ったのでした