1995年1月17日の阪神淡路大震災の被災者として、人生で初めて生命の危機を感じ人世界観が変わるとさえ思った出来事でしたが、水道復旧まで1ヶ月、ガスは2ヶ月かかりましたが、会社の見舞金でおつりがでる程度の被害だったこともあり、悲しいかな過去のイベントの一つとなっている自分がいます。
当時、神戸の状況をニュースでみた友人が後年、テレビドラマかと思ったっと言ってましたが、津波や原発の状況を見ても現実感が無い私がいました。
嫁は躊躇していましたが、被災地へ行くというのならともかく、それ以外は通常の生活をすべきだと私は考えます。
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18キップを握りしめ、敦賀行き新快速に乗り込みました。
3月12日で廃止となった、雷鳥の姿を確認しながら…。
(2011/03/19,新快速)