Dr.スランプあられちゃん

 

の作者、鳥山明先生がお亡くなりになりましたね。

 

んちゃ!

 

当時、女の子が黒い大きな伊達めがねをかけて言っていたのを思い出しましたよ!

日本、いまや世界中を虜にした鳥山先生のマンガは心の中で生きていますよ。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

ヒトには平等に与えられているものがありますよね。

 

時間、

1日24時間、一年365日(今年は366日ですが)。

どんなにずるをしても、変わらない定理ですよね。

ただ、1日24時間をどう使うかは意識の違いによりますが、、、

 

環境もそのひとつなのですね。

環境というと、平等?と思う方はたくさんいると思うのですね。

 

同じ人間に生まれ、

かたやお金持ちの家に生まれた赤ちゃんと

 

貧乏?の家に生まれたことで苦労してきたを思う人もいるでしょう。

 

 

ここにBUGがありましたよ。

 

環境というものは、親や先祖から受け継いだ貴重な居場所なのですね。

 

 

人それぞれ環境の粒度は違っていますが、

生まれた瞬間に与えられた自分の居場所なのはみんな平等だと思うのですよ。

 

 

 

昭和生まれの私(ガミオ)としては、親から、

 

 

よそはよそ、うちはうちと

 

 

よく言われて育ってきましたよ。

 

 

 

 

 

赤ちゃんの頃は自分と他の存在するものは親だけなので、この環境には関心がありません。

でも、幼稚園や小学校に通うようになると、自分に自我が芽生えてくるのですね。

 

 

いつもと違う、思うよにならない。

 

 

 

という環境の違いに戸惑いが出てくるのですよ。

この戸惑いの差分を埋めるか、戸惑いを受け入れるかの違いが意識というものなのですね。

 

 

 

小さいコミュニティーで過ごす頃は、あまり変化に気づかないことも多いと思います。

しかし、親元を離れ、自分が一人で生活するようになる、ある意味大きなコミュニティで過ごすようになると

自分の過ごした環境があまりにも小さ過ぎたと感じたことが多い筈です。

 

 

 

生まれてきて受けてきた現実(環境)は同じだと思うのですよ。

 

 

えっ!全然違うよと思うかもしれません。

 

 

 

そう思うのは、意識の上に環境という二文字が上がっているからなのですね。

この差分を埋めようと四苦八苦して生活しているのですよ。

この差分は微差と感じる人もいれば、格差と感じる人もいます。

 

 

これは感性の問題で、

 

格差と思ってしまえば、埋まらないのですね。

微差と思えば、その差をなんとか埋めようと考えるのですよ。

 

 

 

 

小学生の頃、大好きでよく遊んでくれた女子が近くに住んでいましたよ。

 

 

 

私(ガミオ)の育ったコミュニティは大阪の南の方で、紡績産業が盛んでした。

お気に入りの女の子の家はその紡績工場の社長さんだったのですね。

 

 

 

家の門は大きく自動で開くのですよ。

門の近くにはカメラもあったのですね。

 

 

現在なら当然のようにある監視カメラですが、昭和の時代には珍しく、ほどんど大きなお寺やお金持ちの家にしかなかったのですよ。

初めて家に入れてもらった半世紀近く経った今でも感激は覚えていますよ。

 

 

お友達として認めてもらった感激、

 

 

門を開けると、その先にドアがあるのではなく、長い道路があり、その先に大きな屋敷があること。

今、思えばビバリーヒルズみたいな感じですかね。(でも子供の頃なので尺度が違う)

 

 

玄関はホテルのような入り口で自動ドアではありませんでしたが、玄関が自分の部屋くらいあったのも覚えていますね。

 

 

廊下(当時の自分の家には廊下がなかった)も広く、その先にどんな部屋があるかわからない程、とてつもなく大きなお屋敷でしたね。

 

ここに格差を覚えたのは当然のことだと思いますよ。

でも、これは格差でいいのですよ。(と自分でも納得している)

 

 

でも、自分をお友達として認めてくれて、豪邸に招いてくれた彼女に感謝しています。

 

 

メイドみたいな人が彼女の部屋にジュースを持ってきた時に感じましたね。

我が家ではメイドみたいな人はいないので、母親がジュースを持ってきてくれて、興味津々で彼女を見ていたのを思い出します。

 

 

彼女の両親は共に忙しく、子供の面倒は他人に任せていたこと。

でも、授業参観や運動会で見かけた彼女の母親はとっても美しく綺麗な方でしたね。

この時、彼女のことを羨ましいなと思いましたよ。

 

 

 

 

この環境は自分にとってみれば、格差です。

でも、お互いにとっては普通なことなのですね。

 

 

中学生になった頃は、彼女は大阪のど真ん中にある私立の女子校に行きましたので、それっきりですが、

その後、時代は流れ、豪邸の跡地に大きなマンションが建っていましたね。

 

 

 

環境はみんな同じなのだ思います。

その差を微差と感じるか、格差と感じるかでその後は変わってくるのですね。

 

 

 

微差と感じればその間の差を少しづつ埋める思考に変わってくるのですね。

その差を埋めるためにどう行動するかで、自分の居場所にたどりつくのですよ。

 

 

 

 

自分の居場所、自分を豊かにするお薬ですね。

 

 

 

いつも笑顔で陽転思考💕

今日も一日、いいこと探してわくわくしましょ❣️

 

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大好きなリカ先生は彼女の母親に似ていた!