(・・・その①からの続き)
昔、川上さんになにがあったのか、誰も教えてくれなかった
から、結局あたしにはわからない。けどずっと見かけ通り
冷めていると思っていた川上さんが、パパが前に言ってた
通り本当はすっごく熱い人だということはわかった。
物心ついたときからそばにいて、川上さんのことはよく
知ってると思っていたけど実は何も知らなかったんだな。
いったい何を見ていたんだろう、あたし。他にもこんなこと
だらけなのかも知れない。
「それはそうと、こないだから聞こう思うてたんやけど、
あんたその傷どうしたん?」
あたしもこないだから気になっていたことを、ママが聞いた。
川上さんは一瞬ためらったあと、ちょっと照れたように言った。
「10日くらい前、伯父貴にしばかれたんですよ」
「橘さん?」
ママはパパが“兄貴”と呼んでいた人の名前を挙げた。
「はい。ほかにも上のほうから直々に」
やっぱり。あたしは思わず川上さんの両手の指を確認した。
よかった、包帯もしてないし、ちゃんと10本全部ある!
どういうことかというと、パパの兄弟分など小島組の上部
組織である西岡組本家や心誠会本部の幹部たちから、
”お前が付いていながら親分が殺られるようなヘマしやがって”
とケジメを取らされた(しばかれた)ということだ。でも、ケガは
させられたけど、指をもってかれなかっただけ、まだしもだ。
川上さんのケガに気付いた時から、なんとなく予想はして
いたとは言え、ケガした本人を目の前に実際に聞かされると、
生まれたときから見てきたけど今まで意識してこなかった
ヤクザ社会の非情さを認識されられる。
「兄貴、せっかくの男前が台なしですね」
伊藤クンがからかった。ママが溜息をついて言った。
「はぁ、相変わらずね。下がなんかやると理由なんか
関係なく上のモンが他の組から狙われる、上になんか
あると事情も聞かずに下のモンが同じ組のモンから
しばかれる」
今回のことは小島組の中の誰も悪くないけど、川上さんは
組でも上のほうで、いつもパパについていたので今回
いろんな意味で一番大変な立場にあるみたい。それでも
川上さんは、
「あっちを立てればこっちが立たずですわ」
と、いつもの余裕を見せて笑っていた。
しばらくそのまま雑談しているうちに、あっという間に
夕方になった。ママがキッチンに立って言った。
「もうこんな時間やから、夕飯も食べて行きなさいよ」
「いえ、もうキリがありませんから」
川上さんはそう言って、伊藤クンをうながして立ち上がり
かけた。
そこへ女の人が訪ねて来た。どうやら伊藤クンの
彼女が迎えに来たらしい。伊藤クンはママに挨拶すると、
あたしに、
「玲菜ちゃん、これからいろいろ頑張ってね」
と言って、川上さんに、
「ほな、兄貴、事務所のほうで」
と言うと、あわてて出て行った。ママとあたしは顔を
見合わせて笑った。川上さんも笑って、
「ったく、しょうがないな、あいつは。あ、そろそろ俺も
失礼します」
と言った。
ママは何かを思い出したらしく、
「あっ」
と叫んで、
「ちょっと、そこで待ってて」
と言うと、急いで2階に行ってしまった。2人でママが
降りて来るのを待っているあいだ、川上さんが言った。
「玲菜ちゃんは俺にとっては妹のようでもあり、娘の
ようでもある特別な存在でした。今までありがとう。
ところで俺が前に言ったこと、わかってくれました?」
川上さんが前に言ったことって、本当はあたしには
居場所があるってことでしょ。あたしは黙って首を
振った。結局、いまだにあたしの居場所なんて
みつからない。川上さんだって前に自分で“そんなん
誰も一生みつからないもんだ”って言ってたやん。
それに最近では日々のいろんなことに追われて、
居場所をみつけようってことすら忘れかけていた。
「今わからなくても、近いうちにわかる時が来ますよ。
もうゲームは終わってしまったんだから」
またゲーム?ますます混乱。“ゲーム”って前にも
言ってたけど、抗争のことじゃなかったの?抗争は
もう終わったの?パパの復讐も?
あたしが何か言おうとした時、ママが何かの包みを
持って下りて来た。川上さんは、
「お預かりします」
と言って受け取った。あたしたちは玄関まで見送った。
川上さんは改めてママに挨拶すると、あたしの方を
向いて言った。
「お元気で。じゃ、いつかまた」
あたしは挨拶を返しながら、いつかまた会う日なんて
ほんとに来るのかな、と思っていた。
こうしてとうとう全員が行ってしまってから、なんだか
気が抜けてしまった。ついこないだまで全部で
11人もいた家の中は、今ではママとたった2人に
なって妙にひっそりと寂しかった。今までもパパの
出張とかでこういうことはあったけど、今回はわけが
違う。もう誰も一生帰って来ることはないんだ、ここには。
夕飯もダイニングの大きなテーブルでママと2人。
大人数用のテーブルは2人で座るには広すぎて、
不自然でむなしかった。いつかこんなのにも慣れる日が
来るんだろうか。ママはあたしの好物のハンバーグと
ポテトサラダを作ってくれたけど、胸が詰まって涙が
出そうであんまり味わえなかった。ここで大勢で
わいわい言いながら食べた食事が思い出される。
みんなにもう1度会いたい。戻って来て欲しい。
1日目でこれだもんな。この先、いったいどうしたら
いいんだろ。先を考えるのが怖いくらいだ。