今はじめてこのBLOGに来た人は、イキナリ
~おわりに~から逆に読んで行っても意味が
わからないと思うので、こっから順に読んで
いただければと思います。
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http://ameblo.jp/gameisover/entry-10548815101.html
今はじめてこのBLOGに来た人は、イキナリ
~おわりに~から逆に読んで行っても意味が
わからないと思うので、こっから順に読んで
いただければと思います。
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まず、はじめに、今まで読んでくれた皆さん、どうも
ありがとうございます。
5月の終わりから5ヶ月くらいの間、途中でPCがぶっ壊れ
ながらも、なんとか毎日かかさずUPしてきたこの話も
ついに完了しました。
ここで、すこし「あとがき」代わりにちょっとなにか
書こうと思うので、もう少しだけお付き合いください。
まず、このBLOGに使ったテンプレートのデザインは、
実際の私のイメージや普段の好みとも、この物語の
ストーリーとも掛け離れているけど、まるで初めから
この物語の結末を示唆しているようで、最初に見たときに、
コレ以外ない!と思いました。
しゃぼん玉や鳥の命のはかなさ、もろさが極道たちの人生と
カブったし、どこへ行くのかもわからず、あてもなく遠く、高く
空の果てに飛んでいく様は、その当時、私のスグ近くにいて
今は手の届かないところにいる彼らのことを象徴しているよう
でした。
そして血なまぐさい抗争や、彼らの極道としての理不尽な
生き様の先に、このテンプレートのような、青く白く澄んだ
安らぎが待っていればいいという希望も込められてる気が
して、カナリ気に入っています。
1番最初の「~はじめに~」でも書きましたが、この小説は、
当時15歳の高校1年生だった私が、自分の実体験を元に
書いたフィクションです。どこまでが実体験でどこまでが
フィクションであるかは、皆さんの判断にお任せします。
私が当時この物語を書いた理由は、いろいろあるので
ひとことで言うのは難しいですが、決してヤクザを美化する
つもりではありません。ただ、ひとつには、あまり知られて
いない世界だし、マンガや映画で描かれることはあっても、
大抵が主人公は極道本人かその妻たちで、子供の視点から
というモノがなかったこと、たまにあってもアクションかギャグが
中心でリアリティーにかけていて、実際の私たち子供の
極道の家での生活、想い、などを知って貰えるチャンスが
ほとんどなかったからというのがあります。
モチロン、同じ極道の家の子供であっても、1人1人環境も
境遇も考えも違うのは当たり前なので、極道の子供たち
全員が当時の私やこの物語の主人公と同じ生活や考えを
しているワケではありませんが、アクションやギャグの世界
ではない、リアルな生活の一端は感じ取っていただけたら
本望です。その他の理由は、この物語を読んでいただく
ことによってウマく伝わっていればいいな、と思います。
そしてアメーバルームのプロフにも載せていますが、
は
私のリアルライフBLOGです。完全ノンフィクションです。
この物語と併せてお楽しみいただければ嬉しいです。
ってか、宣伝?w
http://juno18life.at.webry.info/
長らく読んでいただいて本当にありがとうございました。
稚拙な私の文章を見捨てずに読んでくれた皆様と、
ささやかだけど熱い当時の私の心の叫びを、今になって
また大勢の方々の目に触れる機会を与えていただいた
ことに、本当に感謝しています。
今日で中学生もおしまい。あさってママと2人で
この街を発つ。
卒業式の帰りに、ママと一緒にパパのお墓に卒業の
報告に行った。ちょうど月命日だったせいか、部屋住み
だった人を含めて何人かの組の人に偶然会った。
極道としては当たり前のこととは言え、みんな今でも
こうやって時々来てくれてるんだ、と思うと嬉しくなった。
寂しがり屋なパパだったから、パパも喜んでいるに違い
ない。
みんな元気そうだった。でも当然すると思っていた、パパが
いた時にしていたあたしの大嫌いだったあの独特の挨拶は、
今はもうカタギであるあたしたちにはしなかった。これは
あたしにとっては大きな衝撃だった。一瞬、懐かしいと思い
かけたみんなに急に拒絶されたような気がしてショックだった。
でも、あたしはこれで ハッと目が覚めたような気がした。
これが本当のカタギの暮らしなんだな、と実感させられた。
今まで家でパパや若い衆たちに囲まれていても、あたし
自身はカタギの生活をしていると思い込んでいただけで、
あたしの生活スタイルは実はやっぱり極道のものだったのだ。
確かにあの頃のあたしは、組の動向に無意識に関心を 持ち、
パパや若い衆たちの話にしょっちゅう首をつっこんでいた。
あの時、組員でもなく本来カタギのはずのあたしが、家で
若い衆たちに囲まれてるせいで本当のカタギの世界にも
極道の世界にも居場所がない、と思い続けていたけど、
実際にはあたしは極道の世界に居場所をみつけて、
すっかり極道と同じ色に染まっていたのだ。そんなこととは
自分ではまったく気付かずに。
「玲菜、もうゲームは終わったんよ」
急に無口になって考え込んでしまったあたしの髪に
触れながら、帰りの電車の中でママが言った。
ゲーム?ママの方を振り向きながら、あたしは前に
川上さんがよく言っていたその言葉のことを思い出した。
結局どういう意味かよくわからなかった んだっけ。
「極道の暮らしをゲームに例える人もいてな。ゲームには
ルールがあって、それを守っていたら途中でやめようと
思ってもなかなか抜けれない。本人たちは自分で選んだ
んやから、それでも仕方ない。
でもルールには家族を含めてカタギの人をなるべく参加
させないってのがあるはずなのに、そのルールを破ってる
極道が多過ぎる。皮肉なことに家族を大事にしてる極道
ほどそうなりがちで、結果、知らないうちにゲームを始めて
しまった家族が結局は一番つらい思いをするって。
私も前は意味がようわからんかったけど、今になったら
わかるような気がするわ。知らん間にいつのまにか
アンタも私もゲームに参加してしまっていたんやなあ・・・」
ママが感慨深げに言った。
パパがいなくなり、極道の世界から本当の意味で離れて
みて、ママもあたしと同じような寂しさや物足りなさを
感じていたのかもしれない。
ママの言葉を聴いて、あたしもやっと川上さんの言ってた
“ゲーム”の意味がわかった。ゲームっていうのは抗争の
ことではなく、極道の暮らしそのもののことだと。あたしは、
そしてママも、自分では全くそのつもりはなくその暮らしに
どっぷりつかっていたのだろう。それなのにあたしはいつも
“居場所が ない”と自分の居場所を探していた。そして極道の
世界からも切り離された今、本当に居場所がなくなってしまった。
もうパパの職業のせいで人目を気にして肩身の狭い思いを
することもないけど、特別扱いをしてもらえることもない。もう
組の人たちがあたしたちにあの独特の挨拶をしてくることは
絶対にないし、街で見かけた子供たちのように、若い衆たちに
守られて歩くこともない。東京に行ったら、あたしの素性を知る
人は全くいない中で本当のカタギの暮らしをしていかなければ
いけ ない。
ずっとそういう生活を望んでいたはずなのに、なぜか急に
とてつもなく寂しく悲しくなった。パパと同じように、いや
それ以上に寂しがり屋らしいあたしにそれができるだろうか?
もちろんそんなことは不可能なのはよくわかってるし、
カタギの人たちは白い目で見るから誰にも言えないけど、
本当はあの世界に帰って、あの頃いた人たちと一緒にいたい。
でも今頃そんなことを思っても、始まっていたことすら知らな
かったあたしのゲームはもう終わってしまった。電車の窓から
流れて行く景色を見ながら、絵理子ちゃんや真奈美ちゃん、
その他パパの知り合いの組関係の人の子供たちや、街で
見かけた極道の父親に連れられた名も知らぬ子供たちの顔が
次々に浮かんでは消えた。
あたしのゲームは終わってしまったけど、組が存在する限り
今も日本のどこかで、ゲームはまだまだ続いていくのだろう。
いつのまにか外は真っ暗になり、窓をのぞくと流れていく
景色の代わりにママとあたしの顔が映っていた。
受験も終わり、東京の一応第1志望の高校に
無事合格。あとはこっちで卒業式を待って、
その後いよいよ引っ越しだ。
パパの骨のことはまだパパの親戚と話し合って
いる最中で、決まるまではこのままこっちに
置いておき、月1回ママとあたしで帰って来る
ことになっている。
10日位前のニュースで、西岡組と光龍会が
抗争を終結させたと言っていた。パパが逝って
から半年も経たずに抗争終結だなんて、なんだか
やり切れない気分だ。でもたった5ヶ月で極道
関係の話がとても遠いところの話にも思えて来る。
あの頃うちにいた人たちは、今頃どうしているん
だろう。どっちにしても、この手打ちでみんな一応は
安心しているだろう。
こないだのあたしの誕生日の晩に、若い衆を
連れたお父さんと一緒の子供たちを何組か見た
時から、最近街でもそういう子たちが目について
気になるようになった。あたし、自分がそうしてた
時はそれが当たり前で、他の同じような子たちの
ことなんて全然気にならなかったのに。
むしろ若い衆など連れていない、カタギの
お父さんといる子たちがうらやましくてそっち
ばかり気にしていた時期もあったけど、今は
まるで逆になってしまった。
今年はパパの喪中でもあるし、若い衆もいない、
本当に静かな、静かな幕開けだった。
結局あたしは絶対合格圏の東京の私立高校2校に
願書を出した。東京へは小学生の頃、夏休みに
何度か行ったりしていたし、ママのほうの親戚や
知り合いも多い。2月になったら試験を受けに
久しぶりに行くんだ。
瑛子ちゃんたちは、あたしが東京の高校に行くと
知って残念がってくれたけど、夏休みには遊びに
来ると言っていた。
ママはパパの骨を東京に持って行きたいらしい。
そのほうが法事やお墓参りも便利だし、やっぱり
そばに置いておきたいのだろう。でもパパはこっちの
人なので、親戚の人たちといろいろ話し合ってるみたい。
パパの組関係の人たちだって、お墓参りには今でも
来てくれているらしいけど、東京へ持って行っちゃったら
それも来にくくなっちゃうし。どっちがいいのか、あたし
にはわからない。
正直、いろんなことが突然に起こりすぎて、わけが
わからなくなることがある。時々なにもかもがイヤに
なり、このままどっかへ消えられたら楽なのに、、、
とか、やっぱりパパを殺ったヤツのカタキを打ちたく
なる衝動に駆られることもある。
でも、こないだあたしの誕生日にレストランで食事を
した時にママも言っていたけど、パパはあたしが
生まれたとき、ものすごく喜んだというのは前から
ママや周りの人たちから聞いていた。アルバムを
見てもそれはよくわかる。
まだまだやりたいこともたくさんあったであろう
パパのためにも、あたしは弱音を吐いたりヤケに
なったりしないで前に進んでいくべきなんだと思う。
なにより、ママをこれ以上悲しませるわけには
いかない。
それにかつて命がけであたしを守ってくれた若い衆
たちがいたことを思うと、うかつなことはできない。
やっぱ、これから何があっても自分を大切にしよう
と思った。
いよいよ受験が近い。なのにママはちょっと前から、
東京に引っ越したいようなことを口にしている。
あたしにも東京の高校に行って欲しいみたい。
そんな今更、とも思うけど、ママは元々東京出身だし、
あたしと2人になってしまった今では、向こうのほうが
助けてくれる人もいていいらしい。
それにパパと一緒になってこっちに来たママにとっては、
この街のすべてがパパとの生活の想い出に近すぎて
ツライみたい。
あたしはどこでもママについて行くけど、受験のことも
あるので早く決めて欲しいとだけ言っておいた。今から
イキナリ新しいところに引っ越すのは不安がないと
言えばウソになるけど、そうするしかないだろう。
あたしの15歳の誕生日。はじめてママと2人だけの
誕生日。
ママは友達を家に呼んでもいいと言ってくれたけど、
あたしはママと2人で食事に行くことにした。ママは
まだ仕事をしていない。あんまりお金がかかることは
したくないけど、ママは食事のほかにあたしの欲しい
ものを買ってくれた。
ホテルのレストランでの食事のあと、散歩がてら
歩いていると、どこかでお祭りがあったらしく
その帰りの人たちにたくさん会った。あたしたちも
行ってみることにした。たくさんの夜店が出ていて
もうけっこう寒いのに、すごい人だ。こういうところに
ママと2人になってから来るのは初めてだ。
ぐるぐる歩きまわっているうちに、知らない人だけど
極道らしき人たちがちらほら目に付いた。あたしは
いつのまにかパパに似たカンジの人を目で追って
いた。パパなわけがないのに。
それでもパパの面影を探してキョロキョロしていたら、
今度は若い衆を連れた見るからに極道のお父さんと
一緒の小学生くらいの女の子が目についた。無意識で
昔のあたしと重ね合わせ、またパパのことを思い出した。
あたしだってついこないだまであんなふうにして
いたのに。あの時はまさかこんな早く、こんな形で
パパが死んでしまうなんて、思ってもいなかった。
若い衆たちとふざけながら歩く子供たちを見ながら、
パパはもちろんのこと、一時はあんなにイヤだった
若い衆たちが、あたしのまわりにはもう1人もいない
ことが、とても寂しく感じた。
ママはまわりの人の勧めで、仕事を始める気になって
いる。これからお金のことだって心配だろうし、家に
ずっとこもっているより気分転換にもなるし、いいこと
だと思う。でも長年専業主婦だったし、しかも組長の
姐さんという特殊な環境にいたので、今から納得行く
仕事をみつけるのは思っていたより大変みたい。
新しい生活にも慣れてきてそれなりに楽しいけど、
時々ポッカリと穴が開いたような気分になる。
若い衆たちのことも、一時はあんなに邪魔に思ったり
していたけど、イザいなくなると寂しい。やっぱりあたしも
パパと同じように大勢の若い衆がまわりにいないと
落ち着けない寂しがり屋なんだろうか。
でも、あれだけ若い衆に囲まれていても、パパは
1人で逝ってしまった。だれもなにもできなかった。
あたしだって同じ家にいて、ほんのちょっと前に
リビングでしゃべったのに。結局あれが最後の
会話になってしまった。あの時した、またママと
3人でどっか行こうという約束も果たせなかったな。
最初の頃は時々、なにもできなかった若い衆を
恨んだり、自分を責めたりもした。でもそんな逆恨みは
いけない。もうパパは逝ってしまったんだし、殺した人
以外誰も悪くないんだ。殺した人のことも、まだ時々
体が震える程の怒りを感じて、なんとかして探し出して
あたしが復讐に行きたい衝動に駆られることもあるけど、
なるべくそんなふうには思わないようにしている。
あたしがそんなことをしても、ママはもちろんパパだって
喜ばないに決まってる。パパはこういう極道の道を
自分で選んだんやから。残されたあたしたちが恨み
ごとを言ってもしょうがない。それはわかっているん
だけど、時々なんとも言えない気分になる。
世間の人にとっては「極道」や「ヤクザの親分」だった
パパもあたしにとってはただの普通の父親だった。家に
いた若い衆たちだって同じ。だからどこかで「パパは
極道だったんだから、こんな死に方をしても仕方ない」と
簡単には割り切れない自分がいる。口にはださないけど、
ママだってそれは同じに違いない。
いつまでこんな気持ちを抱えて生きていかなければ
いけないんだろう?
パパが亡くなってから、もう3ヶ月が経った。法事関係の
主だった行事も終わり、新しい家にも少しずつ慣れて
来た。でもパパがあまりに急に逝ってしまったせいか、
今でも時々これは全部誰かの悪いいたずらで、あの家に
帰れば、パパが若い衆たちと今まで通り元気にやって
いる気がしてしまう。
あれからパパの組関係の人たちとは全然関わって
いない。もちろんあたしたち子供同士やママたち
奥さん同士で付き合いがあった人たちとは、連絡を
取り合ってはいるけど、それは組がどうこうではなく
ただの友達として、だ。
でも、ママや若い衆たちの間でしっかり者と評判
だった絵理子ちゃんは、あたしたちが引っ越した
直後に1人でうちに来て、パパの復讐に絵理子
ちゃんのお父さんが行くのかもとか、絵理子ちゃんの
うちも襲撃されちゃったらどうしようと思うと怖くて
眠れない、お父さんに極道を辞めて欲しいと言って
泣いていた。
前後して今まで極道がらみの話なんかしたことが
なかった組関係の子供たちからも、同じ様な不安を
打ち明けられた。あたしはなんと言ってなぐさめたら
いいのかわからなかった。
同じ頃、ママのところへも何人かの奥さんたちが
訪ねて来ていたので、同じような不安を打ち明け
られたに違いない。
いくらうちと違って組のことにはほとんど介入して
いない人たちでも、極道の妻や子供である限り
かつてのあたしと同じように組のことで悩まされる
ことはあるんだなと思った。今頃になってわかった。
でもあたしたち家族のいったい誰に組の人たちを
止めることが出来るだろう。
うちにいた若い衆たちやパパの小島組が、その後
どうなったのかは全くわからない。もうママは組関係の
ことは話したがらないけど、実の息子のように長年
面倒みてきた若い衆たちのことが気になっていない
はずはない。ママも辛いのだ。あたしはなるべくそっと
しておくことにして、ママにいろいろ質問するのはやめた。
しばらくは自分1人でテレビのニュースや新聞、週刊誌
などで組関係の情報をチェックしていたけれど、最近は
それもやめた。そんなことを知ったことで、もうあたしには
関係ない世界なんやから。
引っ越しの日。
あたしが生まれ育ち、今ではもう会うことができない
人たちとのたくさんの思い出が詰まったこの家とも
今日でお別れだ。
同じ市内だけど、1つ隣の駅にあるマンションの6階に
引っ越す。学校は遠くなるけど、今、受験を控えて
大切な時期なので、前と同じ中学にそのまま通う。
今まで大勢の若い衆たちに囲まれてなんでもやって
もらっていたのでたった2人で引っ越しの準備をする
のは大変だったけど、1つ1つ片付けていった。
パパが撃たれた応接間は事件の名残りはもう全くない
はずだったけど、ママもあたしもなかなか入る気が
しなかった。でもいつまでも手をつけないわけにも
いかなかったので、ママにうながされ10日ほど前に
ようやく片付けた。あまり余計なことは考えないように
して、2人でもくもくと作業をした。
あの事件のあと、あたしが応接間に足を踏み入れた
のは、あとにも先にもこの時だけ。でももう今日は
最後で2度とこの家に来ることはないので、家を
出る前に思い切って1人で入ってみた。
いくつか置いていく家具は残っているけれど、ガランと
した部屋に入ってパパが倒れていたであろうあたりに
寝そべってみた。もっと動揺するかと思っていたけど、
意外にもけっこう平気だった。
パパ、痛かったかな。でもパパはほとんど即死状態で
川上さんたちが駆けつけた時にはもう意識はなく、
病院に着いてすぐ死んでしまったらしいから、痛みを
感じるヒマもなかったかも。苦しむよりもそのほうが
ずっといい。
また、同じ抗争でもどっかに拉致られてリンチされて
殺され、捨てられるよりも全然マシだ。
しばらくそのまま寝転がっていたら、あの指詰めの
事件を始め、パパが生きていた頃この部屋や
この家であったいろいろな出来事がよみがえって
来た。もう泣かないと決めて今まで実行してきていた
はずなのに、気がついたら涙が頬を伝っていた。