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人は自分が好きだし、人に良くみられたいです。
だから、自分で自分に嘘をついて
本当の自分から目をそらしてることも多々あります。
でも時々、そんな嘘や飾りをひとつひとつ
これは本当の自分か?
本当にそうありたいのか?
と自分自身に問いかけて
1枚1枚はがしてみます。
その先にあるのが
格好悪い自分でもいいじゃない、
別にそれでもそれは自分だもの。
自分に自分で嘘ついたってかっこつけたって
それは逃げてるだけだし、目をそらしているだけじゃないかな?
本当の自分とまっすぐに向き合って
受け入れるところからスタートしませんか?
この作業はすごくしんどいです。
本当にしんどいです。
逃げたくなるかもしれません。
でも、それだと本当の幸せからも逃げてしまうかもしれない。
本当の自分とまっすぐに向き合って受け入れていれば
本当に頑張れるところで頑張れるし逃げたりなんかしない。
逆に逃げていいところでは、あっさり逃げれる。
人生、勝負するところでは勝負しないといけないと思う。
いろんなことから逃げて、自分からも逃げ続けてる人生だと
気づくのを後回しにしてるだけだと思う。
できるだけ早いうち近いうちに
逃げないで本当の勝負をしてほしいと思う。
自分と向き合った結果が逃げることならそれはそれでいいと思う。
じゃぁ自分は何だったら逃げないのか
勝負するのか、そっちも一緒に見つめて欲しい。
君のこれからの人生に幸多きことを願う。
何か月もゲームを作成してると
途中で、本当にこれは面白いのだろうか?
と自信が揺らいでくる時がある。
面白いと確信はしているが
それは本当なのだろうか?
客観性がないのではないか?
特に新規性の強いものはそうだ。
たとえ面白いとしても、ニッチな面白さで
うけないのではないか?
どんなに自信があっても
自問自答の日々。
ある程度遊べるようになって
多くの人にプレイしてもらえるまでは。
自分の責任と判断で作成している以上苦しいし厳しい時期。
途中で、本当にこれは面白いのだろうか?
と自信が揺らいでくる時がある。
面白いと確信はしているが
それは本当なのだろうか?
客観性がないのではないか?
特に新規性の強いものはそうだ。
たとえ面白いとしても、ニッチな面白さで
うけないのではないか?
どんなに自信があっても
自問自答の日々。
ある程度遊べるようになって
多くの人にプレイしてもらえるまでは。
自分の責任と判断で作成している以上苦しいし厳しい時期。