Graduation | Fat Boredom

Fat Boredom

三日坊主な澤山くんが「ブログを続ける」という果敢な挑戦に挑むブログ。

はい。
本日二つ目の記事。
絶賛連投中です。
ここでは卒業について書いてくよー

卒業してからこの3日間、ずっと複雑な気持ちで過ごしてきた。
正直な話、昨日も思い出し泣きしたし、今日も危うくしかけた。
それもきっかけがホンマにしょーもなくて、今日は自分の自転車に貼ってある学校のシールを見て、「あ、これも大学入学前に取っておかないと…」と思った瞬間ウルってなった。
ホンマに末期。

俺も実はここまで空虚な気分になると思ってなかった。
なんでだろうって、最初は単にみんなとの別れがつらいからと思ってたけど、ある人から言われたように、「予定が合えば今後もいつでも会えるし、誰かが死んだわけじゃない」し、その理屈も納得できたから、どうやら俺は離別という現実だけに悲しんでるわけではないっぽい。
けどよくよく考えたらそのある人が言ったセリフを裏返してみると、つまりは予定が合わなければ会えないし、わざわざ予定を合わせるという手順を踏まないと人に会えないってことにもなる。
最早そんな関係は今までの関係とは全然違うし、そこに日常性なんかはない。
今まではある特定の人と一日話さなかったとしても、その次の日には話そうと思えば話せたし、話すつもり無くても話す機会も多くあった。
授業が一緒やったら話すし、委員会がかぶれば話すし、帰宅も一緒になれば話してた。
なんとなく毎日を過ごしてるだけでつながりは増えていったし、つながりのある人とは仲良くなっていった。
もうこれからはそういうことがないのが一番悲しい。
春休み入ったばかりやから、「いや、俺は10年も20年先もみんなと仲良くしてるぜ!」ってまだまだ言えるけど、大学に入るとどうなるか分からない。
大学に入れば誰もが、必ず新しい友人ができるとは思うんやけど、それが来た時にはSISの人たちが全てじゃなくなる。自他共にその時がやってくる。
大学で忙しい時はどうしてもSISの人が頭から離れてしまうことがある。
この6年間が素晴らしい6年間であっただけに今後のそういった受け入れがたい生活の変化が本気で嫌。
どんなに嫌でも、この学年の関係は多かれ少なかれ変わっていく。
そんな現実が卒業直後の自分には受け入れられない。SISのこのままの雰囲気でずっとやっていきたい。
昔国語の授業で扱った作品の一つに中島敦の『山月記』っていうのがあったのを今でもよく覚えてる。臆病な自尊心、尊大な羞恥心っていう言葉を覚えてる人は多いんちゃうかな。
あの作品の中で徐々に虎となっていく李徴が自分の変化について語る場面があった。
昔は何故虎になってしまったのだろうと考えていたのに、気づいたらある日、何故人間だったのだろうと考えている自分がいて、それが凄く辛いと語る場面。
この状況がまさに今の自分のように思う。
今は自分がSISの生徒であることを信じて疑わないけど、いずれの日にか自分が大学生であると自覚したときに、この卒業したみんなの関係も変わってしまうというのがめちゃくちゃ辛い。

しかし、こんな気持ちになれるのもみんなと素晴らしい時間を過ごせたからやと思うし、本当にこの学校での様々な出会いには感謝してもしきれない。
割とマジでなんで自分に友達がいるんやろと思う時があんねんけど、本当は嫌々でもしゃーないから一緒にいてやってるという人はいつもありがとう。
今後、関係が変わるいうても、中には仲良くなっていく人もいると思うし、その人達は今後とも長い付き合い、よろしくお願いします。飲み仲間になってください。結婚式に呼んで下さい。子供を紹介して下さい。良ければ俺に少額の遺産も残してくれると嬉しいです。

うん。とまぁ、なんか真面目な感じになっちゃったけど、卒業に際してこれが俺の素直な気持ちです。もう明日からこんな真面目なこと書かんし、むしろ文章力が無いから書きたくないし、もっとしょうもないこと書いていきます!何にしよう、朝の便通についてでも書こうかな!