わたしの中に、「相手の話を折ってしまうことへの恐れ」を見つけました。
相手がまだ話し続けたいと思っているのに、わたしがそこで割って入ったり、自分の言いたいことを言ったりしてしまうと、
相手にとっては受け止めてもらった感、寄り添ってもらった感がなくなってしまうかもしれませんよね。
「もし、そうなってしまったら、相手が可哀想だ。」
わたしは、そのように感じていたことに氣付いたのです
しかし、それは言うまでもなく鏡です。
それはつまりわたし自身が、誰よりも「寄り添って欲しい」「そうしてくれないと、悲しい」と感じているということです
そのことに氣付かされて、その奥には何があるのか、見つめてみることにしました
その感情を感じているとき、
宇宙船でさまざまな星へ、その星をアセンションさせるために向かっているわたしのイメージが出てきたように思いました
使命感を持って、「この星で働くぞー!!」という勢いと気概をもって毎回星へと降り立つのですが、
その奥には、なんだか孤独感や寂しさがあるのです。
なんでだろう…と思ってよく感じてみたら、
わたしの故郷の星が滅びてしまっているような感じがありました
こうして、使命感と勢いと気概を背負ってやってはきたけれど、その奥には、
自分には帰る場所がない、
どこにも仲間や寄り添ってくれる人はいない、
この道を進むしかわたしには生きる道がない、
というような、大きな「寂しさ」があったのです。
そういえば最近、「わたしは『仲間が欲しい』という氣持ちをもっているんだな。」と、ふと氣付いた瞬間があったのです
職場や友人との関係でも、なんだか「所属してる感」を欲している自分にも氣付きました。
今回見えたイメージは、それとも繋がってくるものでした。
そんな自分を抱きしめて、
「自分には仲間がいない」
「寄り添ってくれる人はいない」
と感じている自分を癒したとき、
今のわたしの「寄り添って欲しい」という氣持ちも、消えているように感じました
よく考えてみれば、そもそも本当に相手に「寄り添う」ということなどできるのでしょうか。
改めて考えると、相手の氣持ちに寄り添おうとするって、なんだか小さな傲慢さを感じるようにも思います。
どんなにこちらが寄り添おうとしたとしても、
その氣持ちを癒すことは、結局本人にしかできないからです。
誰かがその方を受容して受け入れてあげることも、もちろん一時的にはとても必要なことではあります
しかし、いつまでもそのままの状態を続けるというわけにはいきません
どこかで、その方が「寄り添って欲しい」と感じていたその感情を、自分自身で癒す力を身につけていく必要があります
そう考えると、「寄り添う」というのは一時的な添え木の役割として大切ではありますが、
本当に大切なことは、相手が自分自身に寄り添うことができるように、サポートしていくことです
それは、わたし自身についてもそうです。
今までわたしは、「寄り添って欲しい」という痛みを持っていました。
しかしそのように思わなくても、星を失った自分を今のわたしが抱きしめることができたように、
自分が自分にいつでも寄り添ってあげることができるのだとも感じました
わたしは以前、こちらの記事で「真実の関係を結びたい」と感じていた自分に氣付いた、という内容を書いていました
真実の関係というのは、
・何でも胸の内を話し合える。
・それによって、お互いが成長できる。
・どんなことがあっても、離れることはない。
というような関係のことを言っていました。
しかしよく考えれば、すでに自分自身とは、このような「真実の関係」を結んでいるのだとも感じたのです
わたしがずっと欲しかったものは、
常にわたしの内側に、大きな安心感とともに「あった」のです
このブロックが癒せた状態で職場に出勤したとき、
なんだか今までのような、「溶け込まないと」「仲間にならないと」というようなあせり?のような感覚が、フラットになっているように感じました
(今までは、あまりその感覚に意識的になれていなかったんだな…とも感じました)
これは、わたしの中でとても大きなことです。
このブロックを癒せたということは、わたしの相談者さんとのお話の仕方も、きっとまた変わってくることと思います
また今後も、どのような変化があるのかとても楽しみです
今日もありがとうございました
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