先ほどまたひとつ、インナーチャイルドが出てきてくれたので書き記しておきたいと思います。
わたし、こうして文章を書くのは好きなのですが、どうも言葉で話すことに対して苦手意識がありました![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
YouTubeやスタエフでただ一方的に話すのならそこまで苦手ではないのですが、
やはり人と対面して話すことに苦手意識があります![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
それはどんな感じかというと、相手の言葉に対して、どう返したら良いんだろう…
という迷い?のようなものが出てしまって、
![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
スムーズに言葉を出すこと、交わすことができないのです。
以前、わたしは職場の人に対して、相手にとっての「正解」の対応をしようとしていた、ということについて書いていました![上差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/527.png)
![上差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/527.png)
ただ、以前の内観のおかげもあり、相手への対応に「正解」があるわけではない、というのはなんとなく腑に落ちている感じがするのです。
じゃあなぜ、言葉が出てこないのかというと、今回のインナーチャイルドも関係していたのではないか…と感じたのです![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
以前からお話しているように、うちの母は家では不機嫌なことが多く、
わたしは小さい頃からそんな母を見て、「怒られないようにしないと…
」と、氣を遣いながら過ごしてきました。
![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
だから自然と、わたしは自分から言葉を発することを控えるようになりました![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
それは、「母の氣に障ることを言ったら、怒られてしまうから」です。
これとは少し話しが変わってしまうかもしれませんが、
今考えてみると、わたしは母のいるところで、自分から「何かをしよう」と思うことができない子どもでした![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
「下手なことをしたら、また怒られる
」という意識がわたしにはあったので、
![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
自分から動いて怒られるより動かない方が傷つかなかったんですね。
…と言っても、「動かないこと」に対してもどちらにせよ怒られるのですが、
どちらかというと、「動かない」ことを怒られる方が、まだわたしにとっては良かったんです。
自分から動いたことに対して怒られるのは、
完全に自分が否定されたことになってしまいます。
でも、「動かない」ことを怒られるときには、自分の考えや行動が否定されているわけではありません。
しかも同時に、母にとっての「正解」も教えてもらえるのです。
「あんた、なんで〇〇しないの!!
」というようにです。
![ムキー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/009.png)
わたしはそんな感じで、自分から何かをしようと思わないことが普通になっていきました。
そしてそのような環境は、わたしの言葉にも影響を与えていたと思います。
わたしは小さい頃から、自分の氣持ちを話すということが苦手でした。
というより、「自分の氣持ちを話す」という経験を積んできませんでした![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
母に怒られてしまうとき、わたしにも、
「そういうつもりでやろうとしたんじゃない!
」とか、
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
「わたしにはこんな考えがあったからこうしたの!
」とか、
![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
そんな氣持ちがあったと思います。
しかしまだ子どもだったので、
それらの氣持ちをはっきりと言葉にすることは、わたしにとってとても難しいことでした。
しかもうちの家庭では、
「どうしてこれをしてしまったの?」とか、
「あなたは今何を感じているの?」とか、
わたしの氣持ちなどを尋ねられたりすることはほぼなかったので、
わたしはそれらを言葉にするという経験がないまま、大きくなっていきました![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
今でも、主に職場の人に対してですが、何かを話さないといけないときに、当時と同じようなぐっと詰まった感じを感じることが多いです。
(今まで、あまり意識できていなかったのですが…
)
![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
今回出てきてくれたインナーチャイルドは、まさに「もっと、自分の言葉で伝えたかった」と言いながら、わたしの胸の奥でうずくまって泣いていました。
彼女が飲み込んできてしまった、すべての言葉や氣持ちたち。
それらが、彼女の胸の中でぎゅうぎゅうに詰まって、息ができない感じでした。
わたしは、彼女を抱きしめながら、一緒に泣きました。
もっと、伝えたかったよね。
自分の氣持ちを、言葉にしたかったよね。
聞いてほしかったし、わかって欲しかったよね。
今までわたしが感じていた「ぐっと詰まった感じ」は、
彼女が「わたしはここにいるよ!」という合図を送っていてくれていたのだと思いました。
これに氣づけて、なんだか今、少し息がしやすくなったようにも感じます。
もう少し考えたことがあるのですが、また書いてみたいと思います。
今日もありがとうございました
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