最近、ペンキ画家のSHOGENさんの動画をよく拝見しています
SHOGENさんは、ペンキ画を勉強されるために、単身でアフリカに渡り、ブンジュ村というところで村人たちと共に暮らしていた…という経験のある方です。
不思議なことにそのブンジュ村の人々は、縄文時代の日本人の暮らしを、そのまま受け継いで生活していたのだそうです
(その村の村長の祖父は、その昔シャーマンとして、古き日本人の暮らし方を、夢の中で教わっていた、というのです。)
SHOGENさんはその村で教わった日本人の古来の生き方を、日本の人々に伝えられています
最近見たこちらの動画で、
古来の日本人は、生きとし生けるもの全てに言葉をかけ、愛を持って接していた。
だから、日本人は全てのものから愛される存在だったんだよ。
…という内容を見ました。
それに、なんだかとても感動したのです
そして試しに、さっきお皿を洗う時、これから洗うお皿やスプーンやフォークたちに、声をかけてみました。
「あなたたちがいるから、毎日ご飯が食べられるよ。本当にありがとう。」
「ちょっと水が冷たいかもしれないから、お湯が出るまで待とうね。」
「なかなか汚れが落ちないから、少し強くこするね。」
というようにです
するとなんだか不思議なことに、食器たちが、わたしたちと同じように人格をもった、愛すべき存在のように思えてきたのです
わたしは今まで、正直食器洗いに対して「めんどくさいもの」「早く終わらせたいもの」という感覚を持っていました。
早く終わらせて、ブログを書きたい。
本を読みたい。
早くお風呂にも入って寝ないといけないのに。
明日の授業、どうやって展開しようかな…。
…などなど、考え事をしていたり、YouTubeを見ながらとか、違うことをしたりもしていました
しかし今回、食器たちに声をかけながら洗うことで、「今ここに集中する」ということが、もう少し深く理解できたように思うのです
それはつまり、「目の前のものに、自分の世界に現れてくれたことに感謝しながら所作を行う」ということなのではないでしょうか
この食器たちがなければ、わたしはうまくご飯が食べられません。
そんなことにすら、わたしは今まで考えが及んだことはなかったのです
食器たちは、わたしの世界で、今まで感謝されることもなく、ひたすらわたしに奉仕し続けてくれていたのです。
実際に声をかけることで、そのありがたさが胸に染みてきました。
「実際に声をかけるって、すごいことだな…」と、その時感じさせられました。
また、こちらの動画では、SHOGENさんが描くペンキ画が、ことごとくひび割れていってしまう、というエピソードが話されていました。
絵の先生と同じ画材で、同じように描いているはずなのに、SHOGENさんの絵だけがなぜかひび割れてしまう
SHOGENさんが悩んでいたとき、村の人々は教えてくれました。
「SHOGENは、『今ここ』にいないからだよ。
今ここにいることを楽しまないと、ひび割れも止まらないよ。」と。
たくさんやりたいことがあって、「早く、早く!!」と物事をこなすことが、わたしの中でも当たり前になっていました。
でも、食器たちに話しかけてみたとき、
今、目の前にあるもの、いてくれる存在たちを愛でることこそ、大切なことなのだな…
と、感じさせられたのです。
「今ここ」を大切にする、というのは、さまざまなところで言われていることです。
しかし今まで、今の目の前のことを一生懸命やる、くらいの認識で、それについてあまり考えたことがありませんでした
その本当の意味は、「目の前のものに愛を持って接する」ということだったのですね。
これからも、ふとしたときに、目の前のものに、生きているように声をかけていきたいと思います
今日もありがとうございました
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