ナリくんのこちらの記事を見て、なんだかいろいろ考えさせられました。




わたし、最初に自分の母親と向き合おうと思えたのは、ナリ心理学のおかげだったんです。


ナリ心理学に出会っていなかったら、母親との関係がわたしの生きづらさの原因だなんて、思いもよらなかったと思います。



だから本当に、ナリ心理学はわたしの人生にとってとても大きなものなのです。





今回こちらの記事を読んで、なんだか改めて思いました。


わたし、怒られたことはあっても、本当に叱られたことって、実はあまりない。





少し前、自分の中に、「人を怒らせることが怖い」というブロックを見つけたことがありました。



仕事で、明らかに相手のミスなのに、それを指摘して逆ギレ?されるのが怖いから、変にこちらのエネルギーを小さくしてしまっていた自分に気づいたんです。


明らかに相手が書類のミスをしているのに、(しかも何度も)こちらが変に「何度も書かせてしまってすみません…」なんて謝ったりしていました。   



それは、「相手を怒らせてしまったらどうしよう…」という、わたしの不安からの行為でした。      






思い返せば、わたしは小さい頃、母からよく感情的に「怒られて」いました。  


母は不機嫌なことが多かったから、そんなイライラをわたしにぶつけていたんですね。(本人は自覚が無かったと思いますが。)  


そして、わたしはそんな母を怒らせないように、機嫌を伺いながら成長してきました。   



そんなわたしのブロックが、まだまだ残っていたんです。       





でも、ナリくんのブログでも書いてあるように、「怒ること」と「叱ること」って、根本的にその奥にあるものが違います。   



「怒ること」は、ただ単に怒りのエネルギーをぶつけること。=自分のため。


でも「叱ること」は、相手のために、愛を持って何かを伝えること。=未来のため。





わたしは「相手を怒らせること」をものすごく恐れているけれど、 それって、「叱られること」ではなくて「怒られること」が怖いんです。


むしろ「叱られる」のは、自分のダメな点が改善できるので、ありがたいと思えます。     




でも、「怒られること」の何がそんなに怖いんだろう?と考えたときに、 実はそれって、全く実態のない恐怖だと氣づいたんです。    



「怒られる」ことで、わたしは「自分を否定された」と思って、相手のお眼鏡に叶えなかった自分はダメだと思ってしまって、それが怖かったんですよね。  


相手から「いらない人」だと思われるのが怖かった。    





でも最近、例え相手から「いらない人」だと思われたからって、それがわたし自身の価値とは何の関係もないということが、少しずつわかってきました。  


他人には、わたしの価値を決めることは絶対にできません。      





わたしは仕事で相手がミスをしたとき、「怒らせる」のが怖いから、あまりそれを言えませんでした。  



でもよく考えれば、相手のミスをきちんと指摘することは、相手のためでもあるのではないかと思ったのです。

 (そのミスを責めるのではなく、相手のために「指摘する」ということです。)     




わたしが、「相手を怒らせるのが怖い」というブロックを本当に癒せれば、 相手のために、きちんと「叱ることができる」人になれます。  


いやむしろ、それを癒さないとわたしはカウンセラーにはなれないと思います。笑     




とりあえず、「母に怒らないで欲しかった」「認めて欲しかった」という痛みは以前も浄化したことはあるのですが、再度見てみようと思います。     





そして改めてですが、がっつり叱れるナリくんの愛ってものすごく深いと感じました。   


わたしの性格的に、同じようには無理だと思うけど、自分のためではなく、相手のために行動できる人になりたいと、改めて感じさせられました。     



ナリ心理学、自分を本気で変えたいと思っている方には本当におすすめです。



★心×宇宙真理の発信、やってます!