以前わたしは、友人との出来事から得た氣付きを書いたことがありました
こちらの記事では、
「魂は成長していく」という考えと、
「魂はただ変化していくだけ」という考えが、
見る視点を変えているだけで、
全く矛盾していないものだ、というわたしの理解について書いていました
「魂はただ変化していくだけ」というのが、よりマクロな視点(高次の視点)です。
とても大きな視点で見れば、
わたしたちの魂が次元上昇しようと、地球が滅びようと、全ては、この大きな宇宙の中ではただの「変化」でしかありません。
それは、春、夏、秋、冬…と季節が繰り返し巡っていくことが、大きな視点で見れば、ただの変化だということと似ているのかもしれません
その中で、動物たちや植物たちはまた生まれ、死んでいきます。
それらは、大きな季節の流れの中で、それ以上でも以下でもなく、ただただ起こっていることなのです。
しかし、じゃあ「魂は成長する」という考えが間違いかと言うと、そんなこともありません。
魂の成長とは、愛が深まっていくということです。
この世界にすでに存在する愛に、より深く氣付いていく、ということです。
これは、より細かいミクロの視点なのだと思います。
それは、春、夏、秋、冬…の大きな流れの中でも、
細かく自然を観察すれば、年を経ながら
少しずつ樹々が成長していくことと似ているのかもしれません
樹々は変化していきます。
そして動物たちも、より良い寝床を探そう、より良いパートナーを見つけよう、より豊かな餌場に辿り着こうと、懸命に生きているのです。
マクロの視点で見れば「ただ変化しているだけ」とも捉えられますが、
もう少しミクロの視点で見れば、間違いなく
成長は起こっていると言えると思います
このような、一見反対に見えたり矛盾するようなものも、
見方が違うだけで、実は
同じことを言っていたり、
どちらかがどちらかを包括するものだったりします
わたしたちは、何かに対して
「その考えは違う!」と思ってしまうこともありますが、
そんな時、それは
何かが「見えていない」ということなのかも知れません
また、常により高次なマクロの視点から見ることが正解というわけでもなく、
その時の必要に応じて、
ミクロとマクロを使い分ける必要があるのです
例えば、わたしが相談者さんのお話を聞くときにも、
ベースには、
「全ては最善のことが起きている」というハイヤーな理解(マクロの視点)が必要です
仮にわたしが、
うまく相談者さんに自分の体験談を伝えられなかったな…とか、
しっかりと深いところまで辿り着かせてあげることができなかったな…とか、
そのような無念な感情が湧いたとしても、それらはその時に必要だからこそ起こっていることでもあるのです。
もしかしたら相談者さんの魂にとっては、
もう少し今の悩みを持ったままでいた方が、
最終的に大きな氣付きを得られるから、あえてまだ深いところまで辿り着かなかったのかもしれない
もしかしたらわたしにとって、
うまく体験談を伝えられなかったことが、
わたしの内観を促すために必要なことだったのかも知れない
宇宙の采配は完璧なので、どんなに表面上は良くない出来事が起こっているように見えたとしても、
実は後から振り返ると、
全てが最善のことなのです
これは、大きく俯瞰したマクロの視点です。
しかし、全て最善のことが起きているからと言って、
わたしが相談者さんにより多くを伝える努力を
しなくてもいいのかというと、それも違います
先ほどよりもミクロの視点になれば、
わたしが努力して相談を聞く技術をあげたり、意識を深めたりすることによって、
やはりそれだけわたしの
引き出しの数も増え、
多くの人の顕在意識にも働きかけることができるようになります
だから、ミクロの視点(より現世的な視点)が必要ないかと言うと、そんなことはないのです
大切なのは、
それらを適切に使うということなのです
ミクロとマクロの視点を適切に使うということは、実は結構
バランス感覚を必要とする、難しいことでもあります
「知識として知っていれば使える」というものでもなく、
実はマクロの視点を手に入れるということは、
ある危険性を孕んでいるな…とも、感じたことがあるのです
それは、マクロの視点を、逆に自分と向き合わないための言い訳として使ってしまうという危険性です。
例えばわたしが、
「本当は、わたしは相談を聞く実力がないかもしれない」 「自分の実力と向き合うことが怖い」
という怖れを持っていたとします。
しかし、自分ではそれに氣付いていません
そんな時、相談者さんのお話をうまく聞けないことが重なり、わたしは
モヤモヤしていたとします
しかしわたしは、「自分の実力と向き合うことが怖い。」というブロックを持っているので、
「いや、でも、宇宙のやることは完璧なはずだから、わたしがうまく相談者さんのお話を聞けなくても、このままでも大丈夫なんだ!」
…と、自分を納得させてしまいます。
これが、マクロの視点を
自分と向き合わないための言い訳として使ってしまう…ということです
マクロの視点って、より大きくなればなるほど、全てを受容する方向に向かいます
だから、まだまだブロックが多く存在している時点でマクロの視点を手に入れてしまうと、
このような、
自分と向き合わないための盾にするということが起こってくる可能性があるのです
(この例とは違いますが、わたしもこれをやっていたことがあるので、実感を持ってお話できます
笑)
高次の視点(マクロの視点)で見られることだけが良いことだというわけではなく、
この
バランス感覚を手に入れていくことこそが、とても大切なことだと感じます
マクロとミクロの視点、両方をうまく用いていくことが、次元を自在に行き来することとイコールになります。
高次の視点を手に入れるほど、そして自分と繋がるほど、わたしたちは
自由になっていくのです
そしてわたし自身の経験から、
高次の視点を手に入れることと内側と繋がることは、うまくバランスをとりながら、宇宙によって導かれながら、発展していくものなのだと感じています
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