なんだか、河合隼雄さんの本を読んでいて、感じたことです。





学校の図書館で、河合隼雄さんの著作集が除籍になったので、もらいうけてきたという話を以前書きましたニコニコ



なかなかまとめて読む機会がなくて、いまようやく3巻目という感じなのですが、

やはり読んでいると、さまざまな部分でインスピレーションが降りてきますキラキラ






本の中で河合さんは、人間の発達?の仕方について、

「東洋の感覚では、『成長』ではなく、『成熟』である」

というような内容を書かれていました流れ星





西洋の感覚では、人間の発達は「直線的なもの」であり、

東洋の感覚では、「円環的なもの」なのだそうです。




西洋的な視点だと、

人間が生まれてから「成長」していき、青年期が人間の発達的にはピークで、その後は衰退を辿るようなイメージがあるそうなのです。


しかし東洋的には、

青年期がピークというわけではなく、歳を重ねるほどに「成熟」していき、また死をもって一旦生まれ変わる、終わりがまた始まりだという感覚なのだそうです。




そのような、西洋と東洋の違いについて説明する意図で、河合さんは「成長ではなく成熟」というような内容を書かれていたのですが、

わたしの中では、なんだか魂のことにそれらの言葉があてはめられるような氣がして、はっとしましたスター







今までわたしは、わたしたちがこの世界に生まれるのは、「魂の成長」のためだと発信してきましたニコニコ



しかし実は、今思えばその中に、まだ言葉にはなっていなかった違和感があったんです。






わたしの言う「魂の成長」とは、愛の感覚が深まっていくことです。


そしてその過程で、その人にしかない学びを得ていくことです。



それはどちらかというと、上へ上へと「進歩」していくというよりは、

感じられるもの、範囲が深まっていく、「深化」していくというような感覚でした。



しかし「成長」というと、どうしても「進歩」していくというようなイメージが湧いてきてしまいますキョロキョロ





また、進歩していくこと=良くなっていくことであり、

皆んな「努力しながら」成長していくというイメージもあります。



なので、

「魂の成長」を目指そうとしないのはダメなことだプンプン

というような感覚も、暗に与えてしまう言葉なのかもしれません。






しかし実際には、わたしが言う「魂の成長」は、皆んなが努力して目指さないといけないものというわけでもなく、

そもそもさまざまなものを「手放していく」過程だったりもしますニコニコ





何かを「手放す」ためには、まずは何かを「握りしめ」ないといけません。



その方の顕在意識が悩み苦しみ、何も動けないと感じている最中でさえ、

それは魂にとっては大きな飛躍であり喜びです流れ星



そしてその中で得る学びは個々で異なっていて、

決して、「段階的に、一直線に進んでいく」というイメージではないんです。






「魂の成熟」(または、円熟?)という言葉は、なんだかわたしにとって新たな光になったというか、「これだ!爆笑という感じがしました。




これからは、「成熟」「円熟」という言葉を使っていきたいと感じます。


今日もありがとうございましたおねがいキラキラ



星過去動画星

宇宙視点から俯瞰する…ってどういうこと?



爆笑未来明の公式LINE登録はこちら爆笑


・相談や質問してみたいこと、内観してみたいことがある方。(無料です。)

・未来明(みきか)とメッセージのやり取りをしてみたい方。

・なんとなくピンときた方。(笑)


お気軽にメッセージくださいねハート

あけましておめでとうございます爆笑キラキラ



今、諸富祥彦さんの『悩みぬく意味』(幻冬舎新書)を読んでいるのですが、

その中でタイトルの言葉、「いのちが、私している」というものがでてきたんです。



なんだか感覚としてとても興味深いと感じたので、少し引用させていただきますおねがい




スタースター以下引用スタースター



「私は、大いなるものに生かされている」とよく言われますが、これはまだ立脚点が「私(自我)」の側にある表現です。


しかし、先の私の体験では、立脚点のシフト(転換)が生じました。

「私」の側から、「私は生かされている」と捉えるのではなくて、「いのちのはたらき」の側から物事を見るようになったのです。


すると、もはや、「私が生きている」とは言えません。



生きているのは「いのちのはたらき」そのものであって、むしろ逆に、「いのちが、私している」

「いのちのはたらき」がまずあって、それがあちらでは「花」という形、こちらでは「草木」という形、あそこでは「鳥」という形をとっている。


その同じ「いのちのはたらき」が、今、ここでは「私」という形をとっている。


(中略) 


この世界のすべてのものはーー立脚点が「いのちのはたらき」の側にシフトするにつれてーー 「ひとつ」につながっており、「ひとつのいのちのはたらき」を分け合っている、という仕方で「見えてきた」のです。


諸富祥彦著『悩みぬく意味』(幻冬舎新書)より引用



スタースター引用ここまでスタースター




わたしは、諸富さんのように、大きな実感をもってそのようなものが「見えてきた」という感覚を感じたことはありません。



しかし、内観を深めていくと、

「自分」というものの範囲がどんどん広がったり深まったりして、

それと同時に「自分」の枠が曖昧になってくるような感覚を感じます流れ星




ここに確固たる存在としてあるように感じる「自分」というものも、

実はそれは幻想で、ただただ宇宙の意図?にそってその時々で現れてくるものなんだな…という感じがするのです。






諸富さんの、「私する」という動詞の発想は、本当にすごいな…と思います。



もし、「私する」というように、「私」が目的語になったとしたら、

それもまた、「私」という「もの」が存在するような感覚を与えてしまいますキョロキョロ





しかし、諸富さんはあえて「私」を動詞として使い、

主語である「いのち」が、「私」とダイレクトに繋がり、さまざまな体験をしながら生きていることを表現しているのではないでしょうかニコニコ



(引用部分にはありませんが、同じように、「花する」「鳥する」という言葉もでてきます。)




この世界を生きる「私」というのは、実は主語ではなく述語だったんですスター







このような立脚点の転換を持っていると、

さまざまなものが違って見えるように思います。





この世界にある悩み苦しみは、主語が「私」だからこそ起きることです。




しかし、「いのち」の側から見れば、

それらの体験は、「私」を使って「いのち」が体験したいと思っていることなのですキラキラ






わたしは今まで、「自分が創造主である」という発信をしてきました。



また、「自分の魂が望んでいるからこそ、その出来事が起きている」とも感じてきました。





それらの感覚が間違っているとは思いませんが、

より大きな視点から見ると、それらを望んでいるのは「私」ではなく、すべての存在の背後にいる「いのち」そのものだったんですね。


また新たな感覚を得られたような氣がして、嬉しいです照れ



今日もありがとうございましたキラキラ

今年もよろしくお願いしますウインクルンルン



星YouTube星

人生には、悩み事は付きものですよねショボーン

もしも悩みがなかったとしたら、もっと明るく、楽しい人生を送れているのに、と感じる方も、少なくないかもしれませんねアセアセ


しかし、実はわたしたちは、

そうやって悩むことを自分で選んでいる、

悩むことにはメリットがある、

と聞いたら、あなたはどう感じるでしょうか流れ星


それについてしっかりと理解できると、自分が悩んでいた理由が深い部分から理解できます。

そして、新たな視点から、自分の内面を捉えることができると思いますキラキラ

ぜひ、ご覧ください爆笑



爆笑未来明の公式LINE登録はこちら爆笑


・相談や質問してみたいこと、内観してみたいことがある方。(無料です。)

・未来明(みきか)とメッセージのやり取りをしてみたい方。

・なんとなくピンときた方。(笑)


お気軽にメッセージくださいねハート

昨日、ぐるぐるさんとのセッションがあり、その中で出てきた言葉で、印象的なものがありました。


それは、「行動すること」「存在すること」について話しているときに出てきたものです。





一般的な価値観では、ただ存在するだけでは意味がなく、行動することにこそ意味がある…と思われがちです。


しかし本当は、「ただ存在している」ということこそ、わたしたちの本質的な在り方なんです。






セッションの中で、ぐるぐるさんが

「これから、『行動』というものの定義も変わっていく。」

とお話されていました。



それはどういうことかというと、

今までは、「わかりやすく目に見える行為」行動だと捉えられていました。


何かを学んだり、成果を出したり、人と話したりなど、何か「身体を動かす」ことをわたしたちは行動だと感じています。




しかし、目に見える形で身体を動かしていなかったとしても、わたしたちはただ存在しているだけで、自分自身の「表現」を行っているのです。


そしてその「表現」は、自然と周りに影響を与えているのですスター




これからの時代は、そのような捉え方もどんどん広がり、

『行動』が、ただ目に見える身体の動きを指すという感覚ではなくなっていくのかもしれませんキラキラ





そんなお話を聞いているとき、

「わたしたちは、それぞれが自分の表現を極めている芸術家なんだな…。」

という感覚が湧いてきました照れ






どんな人も、自分自身にしかできない表現をしています。



それらが、自然と波のように重なり合って、この世界が現れてきているんです。







少し話は変わりますが、

以前、明治大学の教授である諸富祥彦さんのワークショップに参加させていただいたとき、

グループのみんなで自由に身体を動かすようなワークがあったんです。





最初は個々で自由に動いていて、

そこからみんながそれぞれの身体の動きを感じながら、その時浮かんだ動きを自由に表現していきます。


それが、周りから見ているとなんだか不思議な感じで、海の波のように見えたり、なんだか一つの演劇作品のように見えたりするんですニコニコ





その時は、そのワークにどんな意味があったのかよくわからなかったんですけど、

それは、わたしたちみんながそれぞれの「表現」を行って、それらが一つの作品になっていくことを、感覚的に伝えてくれていたんだろうな…と感じますキラキラ






外側からどんな風に見えていたとしても、

それは、それぞれの「魂の表現」を行なっているだけなんですよね。



そこに存在しているだけで、十分にエネルギーでの影響は与えていて、

何を「する」かということは、実際にはその場への影響としてはあまり関係ないんです。





というよりも、「行動」と「存在」の境目が曖昧になって、溶け合っていくような感覚の方が近いのかもしれません。




それぞれがそれぞれの魂を表現し、そして一つの作品ができあがっていく。


わたしたちは、壮大な芸術作品だったんですね。



今日もありがとうございましたニコニコラブラブ



星YouTube星

流れ星初めてホワイトボードを使って話してみました爆笑!!


苦手な人、合わない人、嫌いな人がいた時、私たちは一般的に「その人から離れる」「できるだけ考えないようにする」などの対処法をしますよねキョロキョロ上差し


しかし本当は、それだけだと根本的な解決にはなっていないことが多いです。

自分の内側が変わることなしには、同じような人が何度も現れてしまい、いつまでも同じようなことで悩むことになってしまいますアセアセ


では、どうすればいいのでしょうか。

ぜひ、ご覧くださいおねがいキラキラ



爆笑未来明の公式LINE登録はこちら爆笑


・相談や質問してみたいこと、内観してみたいことがある方。(無料です。)

・未来明(みきか)とメッセージのやり取りをしてみたい方。

・なんとなくピンときた方。(笑)


お気軽にメッセージくださいねハート