今日、裁判員制度初の死刑求刑裁判の判決が言い渡された。注目された判決は『無期懲役』だった。


 裁判員の一人は、外野で殺人事件のニュースを見ていたときは犯人が死刑になればいいと思っていたが、いざ裁く立場になったら死刑を言い渡していいのだろうかと考えてしまったというようなコメントを出していた。

 メディアは、死刑が求刑されるような裁判は裁判員の精神的負担が大きいことをクローズアップしている。裁判官なら死刑裁判を裁いても精神的負担は大きくないとでも言うのか。裁判官はプロなんだから死刑裁判を裁いても負担は無いなんて勝手なことを言わないで欲しい。裁判官も裁判員も同じ人間だ。


 司法に一般庶民の意見を取り入れたいというのが裁判員制度の考え方なら、裁判員にはTVの前で殺人事件を見たときに感じた感情を忘れないで欲しい。


 遺族は言っている。「これで死刑じゃないなら、いったい何人殺せば死刑になるのか。」


 私は命よりも重いものは無いと思う。そして命に代えられるものも無いと思う。そんな無辜の命を奪った場合、命を持って購うしか術は無いと思っている。

 犯人の命が遺族の望みなら、私はその望みを叶えてあげたいし、その痛みを少しでも癒してあげたいと思う。


 裁判員はランダムに選ばれるが、選考段階で「必要なら極刑を選択できるか」「それが精神的にきつくないか」を確認して、裁判に前向きな人を選ぶような仕組みを構築すべきだと思う。


 腑抜けた裁判員などいらぬわ。裁判所よ、我が元へ呼出状をよこせい。さすれば世の蛆虫どもを屠ってくれるわ。


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