ジョブズのことを研究して(「スティーブ・ジョブズの思考法・中経出版」つくづく思うことは、彼の中に、知性と野性、テクノロジーとリベラルアーツ、西洋と東洋…いう正反対のものが同居していることだ。

 

有名なタンフォード大学の卒業式のスピーチは、世界の大学の歴史を通じて学者以外がした最も気品のあるものといわれる。

IBM、マイクロソフトと戦ったジョブズの強い、多いものに対する戦闘性はすさまじいものだった。アンドロイドで真似をされたグーグルに対しても「これまでの蓄積をすべて使ってでもグーグルが倒れるまで戦う」と野性まるだしだった。

 

ふつう知性的な人に野性がなく野性的な人に知性がない。(これは、精神性の問題であって見かけや体力という肉食系と草食系の関係とは全く違う。ジョブズは長く肉を食べない草食主義者だった)。

 

ジョブズにはその両極端が同居していた。生まれつきで、例えば男であり女であることは不可能であるように、彼も両極をもって生まれたとは考えにくい。むしろ、IQは最高だったが、スポーツ嫌い泣きみそでいじめられっ子であったようだ。泣きみそは終生そうだった。アップルを追放されたときだけでなく、音楽を聞いても言葉を聞いても泣くのだから。

 

大学を中退しヒッピーの群れに入り、オーソドックスな世界から外れ野(や)に育つうちに身につけた反体制的な野性だった。そしてこのような行動は、「自分とは何か?」「自分をもっと鍛えたい」という強い欲求によって始まった。

 

そして、実家のガレージで起業して、ビジネスは頭がいいだけではいけない。知性だけでは勝てない。競争心、闘争心がなけば成功しないと必要に迫られて、野性の牙を磨いていったと思う。その時にもっと若い時に身につけた習性がプラスした。

 

ところで、ジョブズの場合、自ら自分とアップルのことを「リベラルアーツ(自由な一般教養)」と「テクノロジー(先端技術)」の交差点」と言ったように、一級教養人、科学者という、知性も磨き抜いていったのである。

 

まだある。ジョブズの構想力には西洋的な論理性があるが、着想する人間力には東洋的な情緒的(禅が決定的に影響した)な面をもつ。パソコンを追い落とす勢いの、まるで竜安寺の石庭を思わせるようなiPadのデザインと市場戦略はまさにその両極の結実だ。

 

矛盾する両極端が大きな価値を生む。しかし、だれもその両極を生まれながらもってはいない。必要に迫られて意志に力で身につける、習性にする。混沌の時代大競争の世の中―――人間性がそこまでいかななければ、大きな成功なない。

 

凄い知性と荒い野性――このような矛盾をまとったスティーブ・ジョブズのような企業家は日本に何人いるだろうか?

いや、いるいる。中小企業の経営者やビジネスマン、プロスポーツマンの中には。