2012年12月1日
ガンバ大阪のJ2降格が決まった。
このシーズンの得失点差は+2(総得点67、総失点65)
得失点差がプラスでのJ2降格は史上初という屈辱。
来シーズンに向けて、守備の建て直しが急務であることは明白だった。
ほとんどの選手がガンバに残ってくれたことは救いではあったが、それだけでは変わらない。
他の大きな変化が必要だった。
実力ある監督の招聘、新戦力の補強などがそれだ。
2013年、ガンバは長谷川健太を監督に招聘した。
そして、新戦力を獲得した。
その1人が、オ・ジェソクだった。
(画像はガンバ大阪公式から拝借いたしました💦)
それまでのガンバ大阪を一言で表すと、
「超攻撃」
という言葉が一番しっくりくる。
「3点とられても、4点とればいい!」
「攻めて攻めて攻めまくれ!」
そんなチームだった。
それゆえ歴代のSBも、
右SB 加地亮
左SB 安田理大、下平匠、藤春廣輝
と、サイドを駆け上がりクロスを供給するのが得意な、攻撃的な選手が多かった。
しかも、上記メンバーは皆「一方のサイド」でしかプレーできない。
そのため、けが人が出たら本職ではない選手(例えば、橋本英郎や佐々木勇人など)がSBを務めるしかなかった。
そんなガンバに加入した、「両SBをそつなくこなす守備職人」
当時彼を選手名鑑で見た瞬間に私はビビッときた。
「こういう選手は今までガンバにいなかった!」
「こういうタイプの選手が今のガンバには必要なんだ!」
「彼なら、ガンバの守備を変えてくれるはず!」
気づけば彼のことを気にかけていた。
2013年シーズン、彼はなかなかベンチ入りすることができなかった。その度、
「なんで選ばないんだよ!何のためにとったんだよ!」
と、心の中で思っていた。
2014年、ガンバ大阪は再びJ1の舞台に戻ってきた。
序盤戦は、右に加地・左に藤春のコンビが鉄板で、この年新加入の米倉がたまに右SBに入る程度だった。
しかし、ここでガンバにある出来事が起こる。
シーズン途中での加地のチーバス(米)移籍
そして、藤春の不調
彼にチャンスが回ってきた。
後半戦からは右に米倉・左にオ・ジェソク、右にオ・ジェソク・左に藤春という2つのパターンができた。
さらには試合によっては、右SBでスタートしたオ・ジェソクが、米倉の途中投入に伴って後半途中に左SBでプレーする、といったことも。
文字通り右に左に、素晴らしい活躍だった。
この年、ガンバ大阪はJ1復帰即三冠という前人未到の偉業を達成。
その輪の中には、確かにオ・ジェソクという男がいた。
その後の彼の活躍は言うまでもない。
「このままガンバで活躍して、ガンバで引退してくれたら……」
常々そう思っていた。
そんなオ・ジェソクが、2021年から韓国の仁川(インチョン)ユナイテッドでプレーする事が決まった。
プレー先を選ぶのは選手次第。
だからジェソクのこの決定を尊重したい。
でも、もう彼のプレーを日本で見れないことは少し悲しかった。
その時、私の脳裏にこんな思いがよぎった。
「ジェソクの仁川ユニフォーム、買おうかな……」
気づいたら、仁川ユナイテッドのオンラインショップを頻繁にチェックし、ユニフォーム購入リリースが出るのを今か今かと待ち続けている自分がいた。
そしてリリースが出て、購入ページに進んだ時に気づいた。
日本の住所が入力できない!!
その後の私の対応は早かった。
「よし!仁川にメール送るか!」
拙い英語ではあるが、仁川にメールを送った。
1日と経たずに仁川から返信があった。
対応の速さにびっくりした。
早速購入手続きをした。
これだけでもありがたいのに、後日仁川からこんなメールが届いた。
なんどジェソクが、日本からユニフォームを購入してくれた人達にサインを贈りたい、と言ってくれたのだ!
「ジェソクよ……お前どれだけ優しいんだよ!(´;ω;`)」
感謝の気持ちでいっぱいだった。
年甲斐もなく奥さんの前で思わずはしゃいでしまった( ˊᵕˋ ;)💦
そして3日前に届いたメール
こちらこそありがとうやで!ジェソク!
これまでJリーグでプレーしてくれて…
ガンバのために戦ってくれて…
ガンバにタイトルをもたらしてくれて……ありがとう!
そして今日……
そして……
ジェソクのサインも届きました!
ここまで真摯に対応してくれたオ・ジェソク選手と仁川ユナイテッドには、感謝の気持ちでいっぱいです…!
より一層、オ・ジェソクの事を好きになった1日でした…!