運用する
いただいた愛がたっぷり満ちてきて、私自身が私を見つめるだけには充分なほどになった気がする。

洗いざらし去年は毒と弱音を吐いたし、空いた場所にたくさんのいただいた愛を入れることができたような。
で、この愛を運用しなければ

今度は弱ってるひとや、強がりたいひとの幸せを願い支える気持ちで、感謝しながら生きる。
そして弱ってるひとが、また立ち上がるとき、またそのひとも、たくさんの愛に満ちたひとになってる。
この人もまた、誰かを想い、愛の強さを運用する。
そして世界は愛と幸せに満ちる。
運用だから、でっかくしていく。

そんなふうにしていきたいなあ。
わたしはちっぽけだけど、いただいた愛を大きくして、またペコっと凹んだ時には弱音はいて。
繰り返し繰り返しいつの間にか巨大な愛に包まれる。
いつか巨大な愛と自分が一緒になる。
そんな世界。
World

OSHO禅タロットの絵が描く、この世界観のように。
どう見られたい?
ひとにこんな風にみられたい

あるいは
こんな風にみられたくない
って思うことがある。
でも、見方を変えると、そのように振る舞うことで相手にこう思って欲しいという、相手への期待ともとれてしまう。
こう思って欲しい
が、強くなると相手には支配されるような感覚がでてしまうかもねー。
極論です。はい。
♪( ´▽`)

それよりも、自分が心地よいから、自分が楽しいから、自分が安らぐからという想いからくる振る舞いは、相手本位ではなく自分本位。
相手への期待もないし、自分は満足だし。
期待されない相手も、わたしに対しごく自然に振る舞える。
そんなラフな関係になると、もっと楽で楽しく生きられるんじゃないかなあ。
もしも相手がそれに不満を抱いても、それは相手の問題。
相手の中にある感情と絡まってる。
その人も、誰か他人本位で生きてるから、不満なのかもしれないよ。時間をあけたり、目を見つめ合うと、絡まった部分がほどけるかもしれないなあ。
だから、自分本位で行きてみよう。
微調整はどちら本位でもどうせ必要なんだし♪( ´▽`)
ならば、自由にやってみよう

