忙しすぎる。
変化と新たな試みは成長のための栄養だけど、それにしても、だ。苦笑
心身ともに疲労気味の休日。
時間から解き放たれた場所へ行きたくなって、車を走らせた。
片道5時間近く、初めて訪れる過疎の村。
それぞれの家の屋根の上には梯子や滑り台が付いていて、
この地区の雪がどれほど多いかがわかる。
ようやく迎えた芽吹きの季節。深い翆の山々はどこまでも気高く、そこに住む生きとし生けるものすべてを包みこむ父性を湛えていた。
まるで水の底のような静寂、けれども確かな大地の呼吸が細胞に響いてくる。
その風景は背骨に宿る遺伝子の記憶をそっと撫でるようにやさしかった。
車を降りると、瑞々しい草木の香に薪のにおいがかすかに混じりあっていることに気づく。
生と死、人の営み。アイロニックだけど、時間の外ではあらゆるものが然るべきときに、
然るべき場所へ運ばれていく。まるで星の巡りと同じように。
しばらく歩いているうちに、本来のエネルギーが身体に戻ってきて周り出した。
美しいこの村に敬意を表し、写真は一枚も撮らずに帰宅。
帰る途中、一年の半分以上は雪で閉ざされている山道を通った。
驚いたのは県道なのにほとんどが車が一台しか通れないような狭さ。しかも所々で片側
が崩れ落ちていたり、上から落ちてきたであろう岩石が鎮座していたり。対向車ゼロ。
というか、自分以外の車を一台も見かけなかった。
珍しくちょっとこわかったけれど(ものすごいカーブだったし)、山の頂上に差し掛かったとき、樹々のあいだから見えた景色にポカン。山も河も海も町も、夕日に輝いてあまりにもきれいだったから。
ふと、この光景を数日前の夢でみていたことに気づいて不思議な気持ちになった。
そういえば夢も時間の外にあるのだった。
明日もいい一日