タイトル:派遣コールセンター渡り鳥
~電話口では「神対応」、脳内では「全方位ツッコミ」。~
第1話:電子レンジと時をかけるババア
~本日のドリンク:無糖ブラックコーヒー(ショート缶)~
ガコン、という重い音と共に、その「黒い液体」は取り出し口に転がり落ちてきた。
無糖、ブラックコーヒー。ショート缶。 今の俺には、これくらいの苦味がちょうどいい。甘えは許されない。 これから始まるのは、理不尽という名の弾幕ごっこなのだから。
「……カフェイン装填完了」
プシュッ、とプルタブを開け、一気に喉へ流し込む。 カフェインが血液に溶け込み、脳の戦闘モード(バトルフェーズ)が起動する音を聞いた。
俺、灰谷(はいたに)レンは、目の前にそびえ立つ雑居ビルを見上げた。 今日から配属されたのは『四つ葉家電・総合お悩み相談窓口』。
俺は空になった缶をゴミ箱に放り投げ、ネクタイをミリ単位で締め直す。 さあ、仕事(戦争)の時間だ。
「お電話ありがとうございます。四つ葉家電、担当の灰谷でございます」
午前10時30分。 ヘッドセットの向こうから、敵(客)の第一声が飛んできた。
『あ、もしもし? お兄さん? あんたんとこのレンジねえ、「温め」を押しても昨日のおかずが戻ってこないのよ!!』
……は?
俺の思考回路が、一瞬ショートした。 戻ってこない? 何が? 時間が?
(おいババア待て。それは電子レンジじゃない。タイムマシンだ) (お前が求めているのは四つ葉家電の製品じゃなくて、青い猫型ロボットの道具だろ!)
脳内で全力のツッコミを入れつつ、俺は表情一つ変えずにキーボードを叩く。 顧客情報を呼び出す。購入履歴あり、半年以内の「優良」マーク付き。ここで怒らせて返品になれば俺の評価に関わる案件だ。
「さようでございますか。ご不便をおかけして申し訳ございません。『戻らない』というのは、温まらないという意味でしょうか?」
『違うわよ! 昨日食べた味がしないのよ! 何かこう、昨日のあの新鮮な感じがしないの!』
(当たり前だ! 時間は不可逆なんだよ!) (エントロピー増大の法則を無視すんな! レンジは腐敗を止める魔法の箱じゃねえんだよ! 一晩経った煮物が、作りたての味になるわけねえだろ!)
しかし、俺の声色は春の日差しのように暖かい。
「なるほど、風味が落ちているとお感じになるわけですね。……ちなみに、ラップなどはかけられておりますでしょうか?」
『ラップ? かけてるわよ! でもね、テレビでやってたのよ。「最新のレンジはまるで作りたて」って! 嘘じゃないの!』
出た。「テレビで言ってた」。 コールセンターにおける三大厄介ワードの一つだ。俺は冷静にガードを固める。
「お客様、テレビCMなどの表現は、あくまでイメージでございまして……」
『言い訳はいいから! 友達のえっちゃん家のレンジは、もっと美味しくなるって言ってたわよ! あんたのとこのは不良品じゃないの!? 交換しなさいよ、今すぐに!』
敵の攻撃パターンが変化した。「比較」からの「交換要求」。 ここで「仕様です」と突き放せば、炎上して二次クレーム(上席出せ)に発展する。
(くそっ、えっちゃんって誰だよ! えっちゃんの舌がバカなのか、えっちゃんの家のレンジが魔改造されてるかのどっちかだろ!) (このままじゃ押し切られる……。論理(ロジック)で殴っても無駄だ。この手のタイプは感情で動いている!)
俺は手元のミュートボタンを一瞬押し、深く息を吸った。
戦略変更。「共感迎撃(シンパシー・カウンター)」へ移行する。 俺は声をワントーン下げ、あえて「残念そう」に呟いた。
「……お客様。大変申し上げにくいのですが、それは機械の故障ではない可能性が高いのです」
『はあ? じゃあ何が悪いのよ』
「……お客様の腕前、でございます」
『はい?』
相手が怯んだ隙を見逃さず、俺は畳み掛ける。
「実は、弊社のレンジは一般的な『温め』機能しか持っておりません。しかし、お客様が昨日作られたお料理は、恐らく火加減、味付け、全てが完璧なバランスだったのでしょう」
『ま、まあ、昨日の肉じゃがは自信作だったけど……』
「やはりそうですか! つまり、お客様の『神がかった料理の腕』があまりに素晴らしかったため、無機質な機械の温め直しでは、その繊細な『手の温もり』や『愛情』までを再現しきれなかった……。機械が、お客様のレベルに追いついていないのです」
『……!』
受話器の向こうで、息を呑む気配がした。 ここだ。クリティカルヒットの手応え。あと一押し!
「最新のAI搭載レンジであっても、お客様の『手料理の魔法』を完全再現することは不可能です。味が落ちたと感じられたのは、昨日の出来立てが、それほどまでに美味しかったという証明なのです」
数秒の沈黙。 そして、声のトーンが劇的に変わった。
『……あらやだ。私の腕が良すぎるってこと?』
(ちょろい。)
『そう言われてみればそうねえ。機械ごときに、私の味が出せるわけないわよねえ』
「おっしゃる通りでございます。むしろ、レンジごときがお客様の味を再現できたら、それこそ一大事です」
『ふふっ、お兄さん、上手いこと言うわねえ! 分かったわ、このレンジは使い続けるわよ。私がカバーしてあげるしかないものね!』
「寛大なご配慮、痛み入ります。また何かございましたら、いつでもお電話ください」
『ありがとね! ガチャン!』
ツーツーツー。 通話終了。
「……ミッション・コンプリート」
俺はヘッドセットを机に置き、背もたれに深く沈み込んだ。 HPは満タンだが、MP(精神力)は空っぽだ。 モニターの時計を見る。通話時間25分。体感時間は2時間だった。
◇
午後5時15分。 業務終了後、俺たちはビルの裏手にある狭い喫煙所へ転がり込んだ。
そこには既に、いつもの派遣メンバー――元住職の権田さん、元芸人のケンジ、元大学准教授のハカセたちが陣取っている。
「ちーっす。レンさん、お疲れ」
俺の顔を見るなり、ギャル美(24)が近づいてきた。 派手なネイルをした指先で、俺の好きそうな安物のタバコを一本、差し出してくる。
「……サンキュ」 「顔、死んでるよ? 今日も変なのに当たったっしょ」
ギャル美が自分のライターで俺のタバコに火をつける。顔が近づく。ふわりと甘い香水の匂いがして、さっきまでの「肉じゃがの幻影」を消し去ってくれた。
俺は深く吸い込み、肺に溜まった「謝罪」と「おべっか」を、紫煙と共に空へ吐き出す。
「……電子レンジにタイムリープ機能を求めてくるババアだったよ」
その一言で、喫煙所内が一斉に沸いた。
「ぶはっ! ラノベかよ!」 元芸人のケンジが手を叩いて爆笑する。「時をかけるババアじゃん、全米が泣くなそれ」
「ふむ……時間は不可逆。エントロピーの法則に抗おうとするとは、その老婆、なかなかのアナーキストだね」 紫煙をくゆらせながら、元准教授のハカセが真顔で頷く。
「喝っ!!」 突然、元住職の権田さんが叫んだ。「過去を振り返るな、今を生きよと説くべきであったな……南無」
「いや、説教したらクレームになるんで」
俺の冷静なツッコミに、また笑いが起きる。 ギャル美が隣でクスクス笑いながら、「レンさんなら、タイムマシンも売れそうだけどね」と小突いてきた。
俺は苦笑いしながら、肩をすくめる。
明日もまた、電話は鳴る。 けれどまあ、この一服と、この笑顔があるなら、明日もなんとか戦えるだろう。
(第1話 完)
作者コメント