先日、あるライブイベントへ赴いてきた。
薄暗い、ショットバーにセッティングされたステージは、なかなかの雰囲気を表していて味がある。
これから、三組のアーティスト達が演奏する・・・どんな世界が繰り広げられるのだろう、という期待が沸き上がってくるような、感じ。
ひとしきり見終わっての感想。
「技術だけじゃあ、上手いのか下手なのか素人にはわからんて」
これは率直な気持ち・・・
特に私のように、音楽は好きな方だし苦手なジャンルでなければ雰囲気を楽しみたいから観に行くよ、という素人を引き込ませるには、絶対に疎かにできないポイントがある。
エンターテイナー性、パフォーマンス性、
いわゆる、表現力である。
この度の三組は、同じ楽器で同じジャンルを演奏したにも関わらず、そのポイントの重要性に気づかせるほど、カラーの違いがはっきりしていて、ある意味気持ちよく堪能したといえばそうかも。
個人的に、二番目のグループがポイントをしっかり掴んでいたと感じ、観ていて飽きなかった。
いや、他の客も同じ感想だ、会場のノリが明らかに違った。
ライブは、聴くというより観るである。
目を閉じて聴く人、そうそう居ないだろう。
そう考えると、視覚からの影響は9割・・・むかし読んだ本で「人は見た目が9割」ってタイトルがあったが、タイトル通り非常に的を射た内容だったので、しばらくリスペクトして止まなかった事を思い出した。
この、見られている、という意識は、何もアーティストだけに言えたことでなく、人として日常すべてに当て嵌めていいぐらいだ。
もちろん、ステージに立つ、という行為では、その意識のレベルと努力が如実に表れる事を認識しないと、えらいことになる。
「お客は、純粋に歌や曲を聴きに来ただけ♪」←こんな、おめでたい感覚で披露できるのは、世界的に認められたトップアーティストだけに限られた特権。
素人に毛が生えたぐらいじゃ、どこで人を惹きつけるかって研究しないとな?
服装にしても、ダサいとまず論外だしな。どのジャンルの服装にしても、イケてるかイケてないか…。
自分に合う着こなしも、いくらでも腕をあげることはできる、意識次第。
まして、演奏や歌う本人が遠慮がちでノリが悪いとか、もう帰れよと言いたくなる。
リズムやノリの良さも、常にグレードを求める人は努力を惜しまない。
二番目に披露したグループの一人が何気なく話してくれたのだが、コピーしているアーティストの映像は腐るほど観ているそうで。
好きだから、ただ観ているのとは、違う。
なぜ、どうしたら、どうやって、常にこの意識で研究材料に使っているのだ、納得いくまで。
で、自分も成り切ってみて、どう映るかを鏡をみながら動きを真似てみる、これはある程度ナルシストのスイッチが入らないと、本気でできないよな。
あちこちのライブにも、客として潜入する・・・これは一般的によく伺える行為。
他にも、良いと思った事は違うジャンルでも研究する、基本、好奇心旺盛なのだろう。
好奇心、これは、武器になる。
人が何かをするに、何かをものにするには、欠かせない好奇心。
好奇心は、その対象から魅力を感じるからこそ生まれる。
なぜ惹きつけられるのかを、全身で理解しようとするエネルギーが生まれる。
すべて、意識のレベルがものを言う・・・
技術だけバカみたいに磨いても、人が興味をもってくれなきゃ自己満足の枠から出てこれない。
技術磨きは、職人さんが直向きに取り組んでいるイメージを抱くが、その職人でさえ、基本をたたき込んだ上で次々に感性というものを表現力に生かして作品を手懸ける。
まぁ、結局どの世界も、魅力があるものには、表現力がある。
感性やセンスのレベルは、どうしても問われる。
何でもいい、何でもあり、という発想は時にはき違える輩が出てくる。
あくまで、ジャンルやスタイルであり、グレードやクオリティを求める場合にピンキリを一緒くたにする発想ではないという事が前提であって、そこまで考えが及ばない人が大きな勘違いをする。
自分はこれでいい、間違ってもいい、←こういう事を、Twitterなんかでつぶやくヤツに限って、他人から認めてほしい願望が人一倍 笑 努力はしませんけどっていう 笑
同じつぶやくなら、他人に向けるフレーズじゃなくてさ、自分のモチベーションをあげる為に、自分に喝を入れる為に、活気づくフレーズを並べてみろよ?
要は、逃げているだけ。
自己を磨く努力を端折り、周囲から受け入れてもらう事を当然のように無意識に思っているから、極端な話、自分の事まで他人がたわしでゴシゴシ磨いてくれるものと勘違いしてやがる。
話が少し逸れたが、表現力は他人から影響される事はあっても、それは学ぶ手段であり、真似るところからオリジナルを作り上げていくものなのだろう。
賛否両論あって、厳密に言えば、それはもの真似じゃないか、とくればそうかもしれない。
しかしながら、誰がみてもオリジナルで真似できない技術をいっぱい持っていても、そのテクが理解できる少数派の人が認めるだけで、最初から最後まで退屈でした~っていう多数派の人に魅力を感じてもらうようにならなかったら、いつまでたってもそこ止まりで勿体ない。
実際、連れは一番目のバンドの時に睡魔と戦ってましたから 笑
自分たちのライブを観に来る客、ここにスポットを当てないと、表現力は養われない。
自分たちにスポットを当てる時点で、正直終わっているような気がするんだな。
いうまでもなく、どの世界でも言える基準となりそう。
これ、日常生活に当てはめても言える・・・他人からどんな印象を抱かれているか。
体裁とか、よく見られたいとか、薄っぺらい概念ではなくて。
この場合、自分がどう有りたいかとイメージする為に、自分の価値観やセンスを確立する上で、自分以外の人がどう感じるか、普遍的な感覚において他人の目を参考にする。
好みの問題までいくと、それに無理に迎合して、好かれようと自分を失うバカな事までしてしまって、本来の成りたい自分や有りたいスタイルを見失う。
要は、好感が得られる感性やセンスは大事。
そこを磨くためなら、良いなと思う所作や雰囲気を真似てみる。そこから、自分で色々幅を広げたり発展させるのも、楽しくなればこそ得られる醍醐味。
同じ台詞でも、言われて素直に納得のいく相手と言われて不愉快に感じる相手がいる。
結局、人はその人物の価値を無意識に感じ取っている。
手っ取り早いのが、見た目。
他にも要素はあるとして・・・時間かけて印象は根付いてくる。
個性だ、自由だ、自分がいいと思えばいい、これ一見格好いいように聞こえるが、どのシチュエーションにも通用すると思ったら大間違い。
使い分けができない人が、開き直りで使っている言葉。
そして、勘違いが起こりやすい人。
ほぼ、トンチンカンな発言が多いが、正論であっても、大概、おまえに言われたくない、と思われている。
また話がズレたか・・・
自ら磨こうと努める人は、プライドも大切にし、自分を持っている上に柔軟性や吸収力が伴っていて、アンテナが利くから、自分に必要なものとそうでないものを瞬時に嗅ぎ分ける。
何というか、結論を言えば、どの世界でも自分から行動しようとする欲望、その好奇心の中でしか、表現力が養われないのだろう。
上には上がある、という自分への自覚があるからこそ磨きたいという欲求と、自分で枠を決めないで知らない領域にも突っ込んでみたいという願望もあり、それがエネルギーになっていると思う。
