『隔離』はなぜ?続けられたのか | 水面に浮かぶ水銀の月

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下級役人から見た、教育現場の内実や子ども達との日々を、愛を込めて発信しています。

12月4日 (日) ~ 10日 (土) までが

『 人権週間 』とやらであった為


標語 を作らさせられたり


自分の行動を 「 ◎○△ 」 

チェックさせられたりした

子どもたち。(↑1週間分 )



形骸的な、この手の 催し 

この薄っぺらさを何としよう?





 「 日本は福祉後進国 」


 「 困難を抱える人間に

 自助努力を求める国 」



とは福祉科の学生であった頃

よく聞かされていた言葉だが


今もさして変わっていないだろう。


福祉の現場で働く方への扱いも

相も変わらずブラックであるし。




私はお上を、全く信用して

いないのだけれど、それは


取り残された方々の

姿が根底にあるから。





中でも、バブルの世で教授達が


 『 日本の恥ずべき人権侵害


と憤っていたのが、ハンセン病

への、国の 愚策 に対してです。




1981年 の段階で、WHO 


多剤併用療法 ( MDT ) を

最善の治療法として勧告し


もはや世界的にハンセン病は

治る病であったにも関わらず


日本は、1996 ( 平8 ) 年 まで


『 らい予防法 』

を廃止しなかった。




感染力が極めて弱いと

わかっていながら国は


絶対的終身強制隔離 を止めず

『 患者絶滅政策 』を続けた。



 何故に??!





たぬこさん が書かれた記事 ⇩



療養所の方々が、ご高齢で亡くなり
歴史から抹殺されてしまうその前に

今!訴え続けていかなければ!!
改めてそう思わさせられました。

ありがとうございます赤薔薇


【 追記 】
 残念ながら、上記の記事は
 現在残ってはおりませんが
 掲載させて頂いています。

  •́⁠ ⁠ ⁠‿⁠ ⁠,⁠•̀ ハイヒールキラキラ愛口紅




以前の現場で、未だに療養所で

暮らさざるを得ない方のお話を

聴かせて頂く機会がありました。



 子どもの頃に隔離され

 それきり故郷へ戻れず


 名前を変えられ

 不妊手術をされ


 親戚に隠れて、母親だけが

 こっそり会いに来てくれた。


 しかし、こうしてやっと

 故郷へ帰っては来れても


 親戚は誰も名乗り出てくれない。

 母親の墓の場所も、わからない。




その後、お寺同士の協力で


お母様のお墓参りをする

ことは出来たそうですが


地域内に住んでいるはずの親戚は


結局誰一人、名乗り出ては

くれなかったそうです。





そうやって、『 予防法 』が

廃止されても尚、療養所以外

行き場のない方々が多くいる。



残念ながらここは、そんな国。



上っ面な『人権』教育は

わざとなのかもしれない。




『 無関心とは 精神の麻痺であり、

 死の先取りである 』


 ~ アントン・チェーホフ ~