職を転々とし、作家秘書
などもしていた夫ですが
その後に就いた、エネルギー関連の
仕事の関係で( 東電ではありません )
原発事故後の、現場の様子も
生で、耳に入ってきています。
その、『どうにもならない状況』と
それらを隠す為にできたかのような
法の数々に、暗澹たる思いでいます。
もともと、夫のいる現場は危険が多く
年間交通事故死亡者数より亡くなる方
は多いのですが、表には全く出ません。
有毒ガスが発生する恐れの
ある、エリア内においては
『 炭鉱のカナリア 』の如く
前の人間が倒れたら、
振り向かず全力で戻れ!
との、現場教育がなされていて、
倒れた時には手遅れだそうです。
コロナ禍でも、「密を避けろ!」
と言われても、避けようもなく
ライフラインに大きく関わる
現場だから、止められない。
( 数百人単位で、『 密 』)
しかし、そんな様子は
当然ながら報道されず。
もっともそれでも、ほぼほぼ
感染者は出ていなかったので
コロナはもっと正確に
精査すべきじゃない?
私がそう、考えるようになった
キッカケの一つになっています。
抱える『こと』の大きさが
まずは、問題ではあっても
原発処理が遅々として
進まない理由の一つに
( オリンピックなど挟んで
しまったせいもあるが )
⇒ オリンピック関連の方が
単価が高いので、職人さんが
大勢そちらへながれてしまった
作業員の方に
素人さんが多い
ことも、あるようです。
( 売られてきた方も多い… )
そのような中、もう
引退された方たちが
「オレら、こんな年だから
今更何か浴びたところで!」
と、現場行きを “志願” なさった話を
聞くと、下げた頭を上げられません。
世の中は、そうした、表には
出ない方達に支えられている。
利益の裏にある『犠牲』を決して
忘れてはいけないと思っています。