つづき・・・





その運転手は事故について次のように語っている。



「私は5号車に乗っていたが一瞬のことであまり記憶がない。
バスの前面フロントガラスが割れ、そこからほうり出されるように
川にのまれたようだ。

手足を一生懸命動かしたが、すごい濁流でどうしようもなかった。
約100メートル流されてようやく岸に辿り着き、崖を約1メートル

必死に登っていると上の方で懐中電灯の光が見えたので、
思いっきり大きな声で 『助けてー』 と叫んだ。

するとロープが降りてきたのでしっかりとつかまった。
バスが落ちるとき、

子供たちの『アーッ』っという声が今も耳から離れない」





その後遺体の捜索は1ケ月あまりにわたって行われたが
12人は依然行方不明の状態が続いた。



なかには一家全員が事故で死亡し遺体の引き取り手がない場合には
遺族の現住所である名古屋市が引き取ることになったという。





1ヶ所のバス事故で104人もの犠牲者が出たのは

史上初めてのことであり、きわめて悲惨な事故となった。



この転落事故での崩れた岩石、土砂等の量は、

推定740立方メートル、ダンプカー約250台分であったという。






つづく・・・