小学校4年生。

 

親父の商売がコケた。

 

見事に失敗した。

 

親父は「酒乱」だった。

 

酒を飲むとわけがわからなくなる。

 

暴れる。オカンへの暴力。・・・・さらには、オレたち子供たちにも手が出るようになっていった。

 

 

・・・こりゃぁ・・・殺されるかもなぁ・・・

 

 

逃げた。

オカンとオレ、そして弟とで家から逃げた。

着の身、着のまま。

自転車に乗っての「夜逃げ」だ。

 

 

そのまま離婚。

 

んで、同じ市内で転校。

 

転校した先ではイジメられた。

 

元々がウチは裕福な家だったからな・・・

そっからの転落物語。

 

「溺れる犬は叩け」

 

イジメられた。

 

 

・・・・友達もできず・・・・誰も遊んでくれず・・・・野球チームにも、サッカーチームにも入れてもらえない。

ただ、「透明人間」となって

 

がっこーへ行って・・・んで、帰ってきた。

 

 

母子家庭となったオカンは働きづめ。

 

ただ、毎日、弟とふたり公園で遊んでたなぁ・・・・

 

 

あとは、ふたりで、部屋で「絵」を描いてた。

 

スケッチブックに、クレヨンで絵を描いてたなぁ・・・・

 

 

がっこーではイジメられ・・・・

 

んで、「美術」の時間も、机を取り囲まれることもなく・笑。

 

淡々と絵を描いてた。

 

 

・・・・・でも、そのうちに、「絵」が、美術の時間がきっかけとなって話すヤツが出てきたんだよな。

 

 

前のがっこーとは違って・・・この小学校は・・・なんてーか・・・

 

洗練されてた。

 

まぁ、同じ市内でも都市部のがっこーってこともあってか、「部活」とかがキッチリしてて、運動部、文化部なんかも、キッチリと活動してたんだよな。

 

 

最初に声をかけてきたのが、同じクラスの「美術部・副部長」ってヤツで、

 

 

「上手いやん・・・・どこで習ってんの?」

 

 

ってのが最初の言葉だった。

コイツが、いっかにも「美術部」・・・文化系って感じのロン毛のヤツで・笑。

小学生のくせに、なんだかフランスとかの「絵描き」みたいな雰囲気・笑。

 

都市部のガッコーってことがあるのか、「文化系」ってのも、それなりの立場みたいなものを持ってて・・・

ふつー、小学校なんつったら、「運動神経1番!」なんだけど・・・前のガッコーはそうだったからな。

 

野球が上手い。

サッカーが凄い。

 

ってのが、ガッコーヒーローの条件だったんだけどな、この「都市部」の小学校は「文化系」っていう・・・インテリ??笑・・・・みたいなものにも敬意をはらうって感じがあったんだよな。

 

・・・で、もちろん、こっちは「絵」なんて習ったことはない。

ただ、我流で、好き勝手に描いてるだけだ。・・・・ってなことを言うと

 

 

「そうなん?メッチャすごいやん!」

 

 

ってな話になって見事「美術部入り」・笑。

 

 

そっからは美術部・部室・・・・美術教室が居場所になった。

 

 

なんたって、ガッコーではイジメられるんで、居場所がなかったんだよな・・・・それで、校庭の隅っこ・・・・焼却炉があって・・・・そこに休み時間とか逃げてたんだよな・・・・教室にいてもロクなことがない・・・

 

「美術部入り」してからは、美術教室が居場所。逃げ場。・・・・しかも、友達もいる。

認めてくれる仲間がいる。

 

美術教室では、好きに話せた。

 

イジメられてるとさ・・・「言葉」って気を使うんだよな。

どこで、相手の機嫌をそこねるかわかんないから・笑。

 

まぁ、無口になってくんだけど・・・・笑。

 

あとは、とにかく気配を消す・笑。

 

「透明人間」に徹する。

 

見ざる。言わざる。聞かざる。・・・・自分をいないものとして過ごす・笑。

 

 

・・・・大丈夫だよ。ボクは単なる「柱」だから・・・・

 

みたいに気配を消す・笑。

 

 

前のガッコーでは、美術の時間ったらヒーローだったんだけど・・・・

じつは、それだけじゃなかったなんだよな。

ふつーのガッコー生活自体で、中心人物だったんだ。

クラスの野球チーム。サッカーチーム・・・・・なんでもかんでも中心・笑。

 

「クラスの」・・・・ってんじゃなく「学年の」って意味の中心人物だった。

 

でも、それは、決して「オレ個人」からくるもんじゃなくて、ウチの家が裕福だったからだ。

それへの遠慮ってか・・・・そんなものからの仕業だったんだよな。

 

とっころが、オレは、生まれた時からその環境だから、自分が恵まれてるなんて思っちゃいない。「恵まれてる」ってことがわかんない・笑。

 

その「家」のおかげ、親父たち大人の威光、それによってガッコーの中心人物になっていただけ。

 

周りから見れば 「いけ好かないガキ」 でしかなかったんだよな。

 

そこへの、ウチの転落劇。

 

「いけ好かないガキ」

 

「生意気なガキ」

 

恰好のイジメの対象になってしまったわけだ。

 

 

 

・・・・で、新しいがっこー。イジメられてるがっこー

「美術部」の顧問は、とーぜん美術の先生で・・・

 

女の先生で・・・・いっかにも「美術の先生」って感じ。

芸術家って感じ。

背が高くて、服装にも、髪型にも頓着ありません。

・・・・なんだろう・・・・アメリカ映画とかに出てくる現代の「絵描き」って感じ。

時間があれば「絵」を描いてます。・・・・んな先生だった。

 

 

・・・・で、ここでも、これまでと同じことが起こる・笑。

 

 

先生が、授業で描いた作品を勝手にコンクールに応募して・・・・で、入選する・笑。

 

ただ、前の学校と違ったのは、先生が引率して、そのコンクールを見に行ったことだ。美術部のメンバーで。「部活」のいっかんってことだな。

 

で、「総評」をしてくれる。解説をしてくれる。

 

特賞。入選・・・・そんな結果とは関係なしに、気になった作品の解説をしてくれる。

 

 

コンクール会場ってことは、それなりにレベルの高い作品が並んでるわけで、それらに対して解説してくれる。

 

 

この視点がいい。

 

このモチーフがいい。

 

この色使いが上手い。

 

・・・・ガッコーの授業とは違ったレベルの「美術」の話が聞けた。

 

何より良かったのは

 

 

「技術を教わった」

 

 

ことだ。

 

 

これまで、絵を、なんとなく、・・・・気のおもむくまま・・・・なーーーんも考えずに描いてただけだ。

 

授業でテーマを与えらえて、・・・そっから頭の中に降ってきたものを描いてただけだ。

漠然と・・・感性のおもむくまま・・・・「見たまま」を描いてただけだった。

 

だから、表現したいものが上手く描けなかったり・・・・・思っていた色が出せなかったり・・・そんな地団太、ジレンマみたいなのを抱えていた。

 

 

「なんで、こーなるんだよ?」

 

 

ってなことが多かった。

そんなことを、・・・いっこいっこ失敗して、経験して上達していったってのがある。

 

 

そんな部分を「技術」「テクニック」・・・・理論として解説、教えてもらうことができた。

 

 

「水上君がやりたいのは、こういうことかな?」

 

 

先生の机の上に山積みになった、美術の参考書・・・・図鑑、美術図書・・・・そんな中から絵画を示して、テクニック、技術の解説をしてくれた。

 

色使い。

そして筆使い・・・・タッチ・・・・絵具による違いとか・・・・とにかく、教えられたことは数知れずだ。

 

 

「絵」というものが、

 

「絵画」というものが、

 

感性とか、そういった心情的なものから生まれるのではなく、そこには描き方の「HOW TO」

理論、技術、テクニックがあるんだと説明された。

 

感性、情緒・・・・それだけから生まれるのではなく、その裏付けとしての「理論」「学問」があるんだと教えられた。

 

 

これが大きかった。

 

 

圧倒的に「楽」になった。

 

絵を描くのが「楽」になった。

 

 

足し算しか知らないのと、掛け算を知ったのとでは、計算する時間が圧倒的に短縮される。それくらいの違いがあった。

思考錯誤して失敗を繰り返す時間が減った。

 

今まで、いつまでもいつまでも時間をダラダラかけて一枚の絵を描いていたものが、授業時間内でおさまるようになった。・・・・にもかかわらずクォリティが圧倒的に上がっていた。

 

 

「コンクール荒らし」

 

ってな状態だった。

 

手元にはコンクールの賞状が山になった・笑。

 

 

学校での居場所もできて・・・・さらには、美術部が中心となって友達もできていった。

 

いつしか、学校の中でも居場所ができていた。

 

 

何より大きかったこと。

 

 

この学校の美術の授業は、

ただ、テーマを与えられて時間内に描いていくってな授業じゃなかった。

 

途中途中で、経過ってか・・・

 

生徒が描いてる作品の中から、気になった作品・・・・・テーマに沿ってるとか・・・・この部分が今回のテーマですよ・・・とか・・・

 

そんなことを、生徒の作品を前に示しながら、先生が「授業」・・・・文字通り、美術の「授業」をすることだった。

 

 

・・・・で、その「例」として前に出される作品は、たいていはオレの作品だった。

 

 

もちろん、「褒める」ってだけじゃない。

 

「違う」って指摘されることもある。

 

それでも、オレの作品が「例」として出されることが多かった。

 

これは、オレの作品が優れてるってこともあっただろうけど、「美術部」ってことも大きかったんだろう。

 

自分の「美術部」の生徒なんだから「褒める」は当然として

 

「違う」って指摘も言いやすい。

 

他の生徒より、はるかにコミニュケーションがとれてるわけだからな。

 

 

・・・・いずれにしろ、これで、クラス内でのオレを見る目は変わっていく。

 

 

そして、賞状の山は自信に繋がった。

 

自信は毅然とした態度を生む。

 

気がつけば、失った自分を取り戻していた。

 

 

 

・・・・今から考えれば・・・・・

 

あれは、先生なりの、オレに対しての授業だったんだろう。

オレへの援護射撃、応援歌だったんじゃないかと思う。

 

 

中学の時、時田先生がオレを助けてくれたように。

 

小学校の美術の先生もオレを助けてくれたんじゃないかと思う。

 

 

 

いずれにしても、「絵」は・・・・オレにとってかけがえのない存在だった。

 

「絵」によって、美術の先生によってオレは生き返った。・・・・そして小学校を卒業する。

 

 

 

中学1年生。

 

一度、イジメられるというところからの復活劇を演じていく。

 

二度と同じ轍は踏むまい。

 

「いけ好かないガキ」にはならないように細心の注意をはらった。

 

心を戒めて学校生活を送る。

 

復活劇は上手くいっていた。

 

上手くいっていた・・・・・上手くいくと思われた・・・・なんだけどなぁ・・・笑。

 

 

世の中って・・・・そー甘くは、いかないんだよな・笑。