「こいつ(わが子)には、大きな双六の
                 振り出しに立たせたい」
             (「一人息子」から良助の言葉)
 
あらすじ
1923年の信州の田舎。小学校で級長の野々宮良助(葉山正雄)は、成績がよく担任の大久保先生(笠智衆)は、中学への進学を勧める。母のつね(飯田蝶子)は、早くに夫に死なれ、製糸工場で働き一人息子の良助を育ててきた。母は家が貧しく進学はさせないと思っていた。しかし、良助を叱ったものの、「これからは学問が大事だ」と大久保先生は学校を辞め上京してしまったので思いなおし、田畑を売り進学資金を工面した。そして良助を中学に入れ、東京の大学に進ませて卒業させた。その後良助から市役所に入ったという便りもあった。
 
1936年、母のつねは東京で暮す良助(日守新一)が、もう27歳だし、出世もしたろうからもう嫁でも貰わないといけないと、初めて良助に会うため上京した。駅に着くと良助はつねをタクシーに乗せ自宅へ案内した。
 
案内された自宅は、場末のゴミ焼却場に近い、近隣から騒音の聞こえる借家だった。そして「実は女房を貰っちゃいました」と妻の杉子(坪内美子)を紹介して昨年子どもができたことも報告した。そして市役所も半年前に辞めて夜間中学の教師になったと告げ、夕方学校へ出かけていった。薄給の良助は、母のため同僚から10円を工面してもらった
 
翌日、つねは良助の案内で大久保先生に会うこととなった。大久保先生は上京したが、夢は果たせず、粗末なとんかつ屋の店主となっていた。つねは何十年ぶりかで再会して懐かしがった。その後、良助はつねを連れて上野・浅草・九段を廻り、トーキー映画を見せたが、映画の内容に退屈したつねは居眠りをしていた。
 
良助はつねに「親に苦労をかけて無理に東京の学校を出てもこんな有様。僕にがっかりしていますか」聞いた。つねは「お前はこれからと思っているよ」と答えた。「僕は小さな双六の上がりなんですよ」としんみりと洩らす。その夜、つねは寝られなかった。恩師でさえ「とんかつ屋」の店主だから現実は厳しいと良助は起きてきて言い訳する。つねは、学校へ行かせる為、田畑も家も売り払って今はアパート暮らしだと泣く。
 
翌日、杉子は着物を売って、どこかへ連れて行こうとお金の工面をした。隣りに留守を頼んでみんなで出かけようとしたとき、隣の子供が遊んでいて、馬に蹴られ大ケガをして入院となってしまった。出かけるどころではなく、子どもを病院に連れてゆく。隣も貧乏なので、良助は手持ちのお金を全部治療費として渡してしまう。
 
その翌日、つねは帰郷した。良助には孫のためにとお金を置いていった。良助は正規の教員検定試験に挑戦する決心をした。田舎に帰ったつねは、同僚に東京はすごいところだったと話して聞かせる。
 
感想など
l       艱難辛苦に耐えたからといって、必ずしも報われるとは限らない。人生は思うようにならない。そんな映画で「負け犬」への共感とエールを贈る作品でした。
 
l       成績の良い息子を、無理して大学まで行かせたが、社会人となった息子は、努力も空しく薄給の教師で借家住まい。息子も「東京へなど出て来なければよかった」などと努力の甲斐がなかったことを嘆きます。出世を夢見ていた母親は、そんな息子と会って落胆します。もう少し後で来てもらいたかったという息子の嘆きは実にもの悲しい
 
l       息子も「おらあ、必ず出世する」と宣言して進学します。母親も期待して苦労に耐えた。きっかけを与えた恩師も、東京ではとんかつ屋の親父で貧乏暮らし。27歳の息子が「小さな双六の上がりなのだ」と嘆くが「まだ、これからだよ」と母は励ます。最後は息子もわが子に対し「こいつには、大きな双六の振り出しに立たせたい」と期待するところに、新たな夢を感じさせます。
 
l       つねを歓待するため妻の杉子は、着物を売ってお金を用立てます。そして出かけようとしたとき、近所の子が馬に蹴られて入院します。近所の家も貧しい家です。妻が用立てたお金を良助は、ケガをした子どもの治療費に上げてしまいます。それを見ていたつねは、立派な息子で鼻が高いと喜びます。そんな息子の温かな心情に接して、納得して帰郷するつねの姿が哀れで微笑ましい。
 
l       後年作られた「東京暮色」に発展ような辛く切ない作品でした。恩師から赤ちゃんの「夜泣きのお呪い」を貰って貼った夜に、つねと良助、そして杉子が、辛さに堪えられずメソメソと泣くシーンは、皮肉でしょうか、ユーモアでしょうか。
 
l       芥川竜之介の「朱儒の言葉」から「人生の悲劇は親子となったことに始まっている」が映画の冒頭に書かれていました。有名なアフォリズムですが、この映画は決して悲劇ではないと思います。たとえ貧しくても息子も大久保先生も一家を構えて生活し、子育てに邁進しています。この映画は、芥川のアフォリズムを否定していると感じました。
 
l       映画は、フォスターの「オールド・ブラック・ジョー」で始まり、ラストも「オールド・ブラック・ジョー」で締めくくりました。息子が母親に見せたトーキー映画は「未完成交響楽」でした。
 
   拙ブログ「未完成交響楽」記事(参考)

 
GALLERY
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 タイトル                              製糸工場で働くつねイメージ 13 イメージ 14
 進学を勧める大久保先生                  進学したいという良助を叱るつねイメージ 15 イメージ 16
 進学させることを決意したつね                上京し、13年ぶりで良助に会うつねイメージ 17 イメージ 18
 借家へ案内する良助                     妻を紹介するイメージ 19 イメージ 20
 妻の杉子                            同僚に借金して枕を買ってきた良助イメージ 3 イメージ 4
 恩師大久保先生を訪ねる2人                 大久保先生は「とんかつ屋」のおやじだったイメージ 5 イメージ 6
 トーキー映画に居眠りをしてるつね             思うようにゆかないと話す良助イメージ 7 イメージ 8
 田畑も家も売ったと話すつね                  近所の子が馬に蹴られるイメージ 9 イメージ 10
 治療費を渡す良助                      感謝される良助イメージ 11 イメージ 12
 お金を置いてつねは帰郷した                東京の話を同僚に話すつね