生きた。描いた。愛した。

夭折のモダニズム・三岸好太郎の生涯

大正から昭和初期  近代日本洋画の青春期を駆け抜けたひとりの画家。その繊細な詩情に満ちた作品は、今も新鮮な感動をあたえてくれます。

1903年(明治36年)札幌に生まれる。

 

美術館入口付近

 

赤い肩掛けの婦人像 1924

この制作の年に結婚することになる節子夫人(三岸節子)を描いた作品

ジョルジュ・ルオーの影響を受けた頃の作品 マリオネット 1930

二階へ上る階段踊り場で素敵な作品を発見。

 

蝶と貝殻シリーズ

のんびり貝 1934

飛ぶ蝶 1934

 

隣接する近代美術館にも行く予定でしたが、改修工事中で休館

カフェでゆっくりしました。

 

「私は建築家になるべきでしたね。建築は絵画なんかより先進的です。」と語るほど建築にも関心をもった三岸は亡くなる年の1934(昭和9年)斬新な構想を盛り込んだ新しいアトリエの建築を計画します。しかしそのアトリエの完成を見ることなく、旅先の名古屋で客死し、31歳の短い生涯を終えます。

東京・中野区鷺宮にそのアトリエが残されているので、帰京したら行きたいと思います。