☆総飛行時間 16720時間。「白い滑走路」にも特別出演、60歳から日本におけるエビエーション・アート(航空画)の確立にも尽力された、キャプテン 神谷 國夫(かみや くにお)氏。(1926年生まれ 愛知県出身 元JAL機長)

 

☆一番大変だったことは?との問いかけに、『(戦争の)昭和20年。闇の中、海面(水面)本当にギリギリの50メートル位で、ずっと機体を保つこと。そうしないと(敵機に)見つかってやられてしまう。低すぎても(機体が水に触れて墜落してしまうから)高すぎても(狙われるから)いけない。朝、仲間は(海へ)いなくなっていった。』

 

☆個展時の『飛行機と共に歩む人生』のコピーは、奥様と一緒に画廊の2階で考えました。大きめのサングラスの似合う国際派、ハイカラな奥様(旧GHQで働いていらっしゃったこともあるそう。)で、二人の小さなお子様を連れての海外赴任時のことなどを(ご苦労も多かっただろうに)淡々と楽しげにお話していらっしゃったことが思い出されます。

 

こちらは、2008年10月 個展開催時の拙文です。

 

昭和の時代、記憶の中にある懐かしい、あの飛行機たちが其処ここに。『あなたの思い出の飛行機は何ですか?』

元日本航空機長、キャプテン神谷國夫氏(JAPAシニア会員)が描く(機長のことを敬称で、キャプテンと呼ぶ。)《飛行機を主体とした パイロットのパイロットによる、パイロットのための航空画です。》もちろんパイロット以外の人も、とっても楽しめますよ!飛行場などで、飛行機を見た時に、機体の美しいシルエットにカメラを向けられた方も多いのではないかと思います。展覧会では、特に、飛行中の飛行機の機体の美しさを(一般の私たちでは、普段感じることが難しいアングルから。)深い愛情・熱い想いと、共に強く感じることができます。元中央美術協会会員。元二科支部準同人。大空の様(さま)【大海原〜海上を船と競争をしているかのように、楽しげに飛ぶ飛行機】【漆黒の闇の中を光速で飛ぶ飛行機】【美しい夕焼けのグラデーションの空、太陽の光が、ふわふわとした、鱗雲にあたり、あたかも川の水面のようにキラキラと光る上を、飛行していく一機】【雲の切れ間を颯爽と少し機体を斜めに傾けて飛ぶ一機】・・・大作を含む約30点。また、近年の事故への警鐘を込めて描いた 第32回県二科展で読売新聞静岡支局受賞『○○(まるまる)の兆しB』も同時展示。(これだけが、モチーフに飛行機ではなく、壊れゆく人工衛星にメッセージを投影。尼崎脱線事故などの悲惨な事故に対する、本当に優先されるべきものー乗客の命を守るーことの大切さを。)

キャプテン神谷氏の、飛行機との最初の出会いは、民間の飛行学校へ行った、小学3年生の遠足でした。飛行機への憧れを胸に1942年官立新潟航空機乗員養成所本科1期生として入所。1944年陸軍予備役伍長任官に。1945年一等航空機操縦士の資格を取る。(同年、太平洋戦争終結。)1954年日本航空に入社。そして33歳という若さで機長に。国内線を経て国際線パイロットとなり、世界の空を飛び回った。(総飛行時間 1万6720時間。)1975年には、田宮二郎さん主演のテレビ映画『白い滑走路』にも特別出演。乗員部長、運輸大臣から航空功労賞。指導者としての依頼が数多くあるも、1986年『死んだ飛行機(飛ばない飛行機)には、乗りたくない』と名言を残し、 定年退職。 定年後に油彩をはじめられ、本格的にデッサンを学ばれました。1996年、絵のテーマを『航空』に決め、以来航空画ひとすじに。『諸外国に比べると、日本では航空画のジャンルが確立されていないように思われます。Aviation Artist としてこの分野の確立をするのが私の夢です。』と語られる神谷氏。〜エビエーション・アート(航空画)の確立をめざした〜初個展です。会場では、見る角度(立つ位置)によって機体の形が、変わって見える、驚きの作品も。床の緑のテープに沿って、ゆっくりと歩いてみてくださいね。秋晴れの気持ちの良いお天気がつづいています。どうぞ秋の銀座へお出かけ下さいませ。

 

(文責 旧ギャラリー銀座運営者 岩井)

 

 

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