なんでもギャラリー カフェchiko-chiko

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正岡子規の門下生で、俳句の雑誌「ホトトギス」を中心に自ら句作する一方、
俳壇撰者として影響力を持ち、多くの俳人を見出し、俳壇に君臨した。
昭和29年には文化勲章も受賞した。。


子規は虚子と碧梧桐の2人を門下の双壁と称賛していた。
子規が2人を比較している。


「碧梧桐は冷かなること水の如く、虚子は熱きこと火の如し、碧梧桐の人間を
 見るは猶無心の草木を見るごとく、虚子の草木を見るは猶有情の人間を見るが
 ごとし、随って其の作る処の俳句も一は写実に傾き、一は理念に傾く、
 一は空間を現し一は時間を現す」


虚子はこんなことを言っている。


「選と云うことは一つの創作であると思ふ。少くとも
 俳句の選と云うことは一つの創作であると思ふ。
 此全集に載った8万3千の句は一面に於て私の創作で
 あると考へて居るのである。」


異論のある人も多いだろう。
ただ、この言いきりはすごい。
こうも言っている。


「私はひとによって採択に斟酌しない。其人が俳壇における地位を
 自認しようがしまいがそれに頓着なくまづい句はどしどし落とす。
 其人の眼から見ると暴君のやうにも見えるであらう。
 此事が積もり積もって満腔の不平の圧へ難いものが背叛者となって
 行くものと思ふ。
 私はこの犠牲者を沢山に出した雑詠全集を自ら尊重する。」


ずいぶん激しい物の言い方である。子規亡き後の俳壇を引っ張ってきた自負と、
分裂していく俳壇の主流を歩んできた自信がみなぎるが、穏やかではない表明である。
権力者の意思もうかがえる。


撰者と云うものはそのくらいの決意がなければやっていけない。
まさに子規の言うように熱きこと火の如し、有情の人、理念の人なのだろう。


ただ決意と云うものは、人に語らぬが花とも云えるのだが。





前回の続き


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10月13日 大雨恐ろしく降る 午後晴れ
の記述から始まるこの日は緊迫した1日である。


今日も飯がうまくない。1行目から感情のくすぶりがある。
昼飯もすぎて、午後二時ごろから天気が少し直りかけてくる。


律は風呂に行ってしまう。
母は黙って枕元に坐っている。


子規の精神状態がにわかに変になってくる。
「さあ たまらんたまらん」
「どーしやう どーしやう」


いつもの様な逆上が始まるのかと恐怖すると
ますます心乱れ
「たまらん たまらん」
「どうしやう どうしやう」
と連呼する。


母は静かな言葉で
「しかたがない」


誰かに知らせるため電信を打ってもらいに
母に行ってもらうようにする


母は車屋に頼むという。
子規は直接行ってくれ。50歩100歩だという。
そういった自分の心の中は、我ながら恐ろしかった。


さあ静かになった。


左向きに寝たまま硯箱を見ると
二寸ばかりの鈍い小刀と
二寸ばかりの千枚通しの錐がある。


自殺熱がむらむらと起こる。


次の間に行けば剃刀がある。
しかし悲しいことに今は腹這うことも出来ない。


やむなくこの小刀でも喉笛を切断できぬことはない。
錐でも心臓に穴をあけて死ぬことはできる。
恐ろしさが勝つので決心がつかない。
死は恐ろしくない。苦しみが怖い。
病苦でも耐えられないのに、死にそこなってはと
思うのが怖い。


小刀を取ろうか取るまいか考えているうち、
しゃくりあげて泣きだした。


母が帰ってきた。


ここから数行調子の変わった、やや滑稽味を帯びた文章が続く。


そのあと、古白曰来 とあり、
その下に、自殺を試みようとした道具の
小刀と千枚通しが、筆でスケッチされている。


古白というのは、ピストル自殺した子規の従弟である。
その古白が「来いと言ってる」のだ。
その下には、それを使って自殺しようとした道具を
味のある筆致で描いているのだ。


ここで「仰臥慢録」はとぎれ、「仰臥慢録二」とした部分が
はじまる。


「仰臥慢録二」には、10月13日の残りの部分がある。
その内容は簡単で


しゃくりあげて泣いているところへ電信で読んだ人が来て、
いろいろ不平をもらしているうちに夜に入って、
心はればれとしてくる。


というものである。
妙な構成であるが、
この日は子規にとってよっぽど切迫した日だったのだろう。

 
この日の記述以後、子規は変わってくるのである。


10月15日
死を売り物にしていると、後にあれほど罵倒していく中江兆民の
「一年有半」(兆民が食道がんを患い、医師に余命を聞いたところ
1年半と告げられたことから、このタイトルをつけて筆を起こした)
ついても格調高く、批判している。


兆民居士は喉に穴が一つあいたという。わたしは腹、背中、臀とはいわず
蜂の巣のごとく穴があいている。
1年半の寿命というのは、わたしと同じだ。
ただあなたには美というものが分かっていない。
理があれば、あきらめはつく。美が分かれば楽しみができる。
杏を買ってきて妻とともに食うのは楽しみには相違ないけれど、
1点の理がひそんでいますよ。
「焼くが如き昼の暑さ去りて夕顔の花の白きに夕風そよぐ処
何の理屈か候べき」


自分の葬儀をコミカルに語り、家人や見舞客を思いやるようになってくる。


10月29日 曇り
の記述で「仰臥慢録」はいったん中断される。


翌、明治35年3月10日 月曜日 晴れ
から再開されるが、「日記のなき日は病勢つのりし時なり」
のコメントがある。


この日から麻痺剤服用の記述がある。
8時40分麻痺剤を服す


10時に包帯を取りかえるが、この日腹部の穴を見て驚く。
穴というのは小さい穴かと思っていたらがらんどうだった。
「心持悪くなりて泣く」


痛みを止めるために麻痺剤を飲むようになったのか、
時間をきちんと記録している。


しかし病状が悪化したのか、この日記は3月12日で中断される。


再び日記は6月20日から始まるのであるが、麻痺剤服用日記と
あるように、麻痺剤を服用した時間の記述がほとんどである。


この日記は7月29日で終わる。


この間、子規は「病床六尺」を5月5日より公表しはじめたのである。
そして、これは死ぬ2日前まで続く。


一般に公表していることもあろうが、病状はさらに悪化しているにもかかわらず、
「仰臥慢録」に比べて落ち着て、滑稽味を増した文章になっている。


公表している物のため、妹の律への不満をあからさまには書けない。
7月16日から7月20日までと7月24日に病人看護について論じているが、
落語の小言幸兵衛が小言をまくし立てているようで、滑稽味を帯びている。


さらに7月26日には、またも中江兆民に対し教え諭すように
病気について論じているところなどかなり滑稽だ。


兆民居士は、死生の問題についてあきらめがついたように見えるが、
あきらめがついたうえで天命を楽しむという境には至っていないね。
ややわかりかけて来たようにも思えるが、まだ十分にわかっていないね。
もう2,3年病気をしてごらん。今少しその境地が分かるかもしれない。


子規というのはたぶん座談の名手で、集まってくる見舞客は、
子規の談義を聞くのも面白かったのではないかとおもえる。


「仰臥慢録」と違って題材も家庭内を中心とすることでなく、広く世間に題材を取ったり、
死期近くなってきたためか過去の思い出も多く出てくる。
どうでもいいようなことも記されているが、ときおりドキリとするほどの一文や、
美にいきなり出会うことがある。


6月2日に記述にこういう部分がある。


余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。
悟りという事はいかなる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、
悟りという事はいかなる場合にも平気で生きて居る事であった。


モルヒネの服用にもよるのだろうが、8月10日の夜にはこんな夢を見ている。


梅も桜も桃も一時に咲いている、美しい岡の上をあちこちと立って歩いていて、
こんな愉快な事は無いと、人と話しあった夢を見た。睡眠中といえども暫時も
苦痛を離れる事の出来ぬこの頃の容態にどうしてこんな夢を見たか知らん。


しかし病苦は子規が死ぬまで去らなかったようだ。
「病床六尺」の最後の記述。
(9月17日 死ぬ2日前である)


俳病の夢みるならんほととぎす拷問などにだれがかけたか


悟ったようでも猛烈な痛みの前には、そんなものは吹き飛んでしまうのが人間だろう。
ただ、死ぬ14日前の9月5日には途方もなく美しい文章が残されている。


暑く苦しい1日が暮れ、隣の普請の大工左官の声も聞こえなくなり、茄子の漬物に
舌打ちならした夕餉の膳を押しやった時、向島より1鉢の草花が届く。
緑の広葉並んだ間から、7,8寸もある真っ白な花がゆらめいている。
夕顔である。床の間の鴨居に天津から送られてきた樺色の旗2流が掛け垂らしてある。
そこに夕顔を置くと、また違った趣がある。


「くれなゐの、旗うごかして、夕風の、吹き入るなへに、白きもの、ゆらゆらゆらく、
立つは誰、ゆらくは何ぞ、かぐはしみ、人か花かも、花の夕顔」


子規は夕顔の花がとても好きだったと思える。


子規の病勢が相当進んだ3月末、友人(弟子)たちが交代で子規を看病することをきめる。
9月10日ごろより麻痺剤も聞かない状態となる。
9月18日、朝から容態悪化。眼の放せぬ状態となる。
この日、高浜虚子が付き添っていた。


夜中、子規がよく眠っていると、気を許し、
ちょっとうとうとしていた。
その刹那、子規の寿命は尽きた。
9月19日 午前1時頃。


虚子が仲間に子規の死を知らせようと外の飛び出すと、
17日の月が中天にかかったいた。


子規逝くや十七日の月明に


子規の辞世 3句


糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

痰一斗糸瓜の水も間にあわず

をとといひのへちまの水も取らざりき


この回終わり






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前回の続き

「仰臥慢録」は明治34年9月2日 雨 蒸暑(むしあつし)
の記述から始まる。


庭の情景と写生画、8月26日に行われた俳談会の時の句などを記した後、
食事の内容が詳しく書いてある。この後食事の内容は、記録日ごとに詳しく
書かれていく。


まず,その量の多さに驚かされるのと、
あいだに入る短いコメントに
子規の感情がほの見える。


のっけの記述の中にすでにこうある。


この頃食ひ過ぎて食後いつも吐きかえす
二時過牛乳一合ココア交て
煎餅菓子パンなど十個ばかり


吐きかえしては、また物を食うのである。
それも間食とは言えない量である
このようなことが繰り返される。


食い過ぎで苦しくなったり、
水下痢状態になって、
医師を呼ぶ状態となる。
また懲りずに、少し良くなると
食うのである。


翌日の9月3日の昼食の記述には、
鰹のさしみに蝿の卵あり
それがため半分ほどくふ
晩飯のさいに買置きたるわらささしみにつくる
旨くなし 食はず


鰹の刺身に蝿の卵があっても半分は食ってしまう。
ただ、晩飯になるとわさらのさしみは食わない。
ここにはくすぶった感情がある。


9月4日の昼食の後の記述にこうある
間食 芋坂団子を買来らしむ(これに付き悶着あり)


ここにはかなりはっきりした怒りの感情がある。


これが後に記される妹の律への感情の爆発の
導火線になっている。


子規の病気の世話には大変なエネルギーがいる
それを子規の母と妹が請け負っていた


しかも子規には来客、見舞客が多い(これは子規の
人間性に人を引き付ける魅力があったのだが)。
その接待も母と妹である。


子規は寝たきりの上、脊椎カリエスによる膿がでる。
そのため包帯の巻き替えを毎日行わなければならない。
その時は、便通もある。その便通も山の如しと
表現されるくらいの量がある時がある。
しかも膿の出る穴は次第に増える。
歯茎から出るようにもなる。


包帯の取り換えは毎日40分から1時間かかる。
この時便通もある。これは律の役割である。


そのほか小間使いから、子規の代筆、食事の支度をし、食事をさせる。
子規も部屋から出られないが、目の離せない病人のため
家人もほとんど家に釘づけになる。


見舞客がいないときで、痛みが襲ってきたときには、
一家の状況はかなりの張り詰めたものとなる。


子規が病苦のあまり絶叫、号泣する。
精神的不安定になり、逆上する。
病苦かる来るストレスのためエゴイズムの塊になる。


家人はそれの受け付け場である。


子規は送られてきた鴫3羽を、翌日の昼、3羽とも焼いて
一人で食ってしまうように家人に対する思いやりはない。


何しろ他のことはさておいても、病人の世話が第一だと
述べている。
「病床六尺」においては、婦女子はすべからく
そう教育するべきだとも云っている。


家人の食事内容といったら、子規が律の事を書いたくだりにもあるが、
「野菜にても香の物にても何にても一品あらば彼の食事はをはるなり」
非常に粗食だったと思われる。


子規が自分の所得について言及した部分がある。
やや自嘲的にではあるが、一か月50円の収入を得られるように
なった事を書いている。
そこに月の払いの内容を記述した個所がある。
合計32円72銭3厘。


(羅列した支出のほかに医療費も当然あったと思われるが、それは記述にない)


そのうち子規一人のための支出と思えるものが
6円15銭    魚(さしみ一皿15銭乃至20銭)
3円45銭    車及使(内水汲賃1円半)
1円78銭    菓子、砂糖、氷(付落沢山あり)
2円30銭2厘  現金払飲食費(付落沢山あり)
         鰻、鮪、西洋料理、佃煮、八百屋物等


合計13円68銭2厘
支出の半分近い。


9月20日から9月21日に出てくる有名な律に関する
病人看護に対する勤務評定ともいえる記述でも、
じつは子規は自分のエゴイズムも家人の大変さも
よくわかっている。


律の事も、殺してやりたいほど腹の立つことのある女ではあるが、
兄の看病人となって終わらせてしまう哀れさも重々感じている。
さんざん律の悪口を書いたあとで落ち着いたのか、
いったん筆を止めたように思える。


そして母、妹と3人で菓子を食うのである。


3人で菓子を食った後、律は綿(子規の包帯巻き替えに使用する)を
買いに行くのである。


それでも病苦の苦しさから、
「病勢はげしく苦痛つのるのに従い我思ふ通りにならぬために絶えず
癇癪を起し人を叱す 家人恐れて近づかず 一人として看病の
真意を解する者なし」
という状態になる。


こうした日常の中、
やがて緊迫の10月13日を迎える。


次回に続く