爺(師匠)は岡山県総社市の画家であります。

 

自分が知り合ったのは高校在学中の事。

爺は高校の建築科兼美術教師でした。

 

個人面談の空き時間に広い校内を散策中、

フと通りかかって覗いた美術部部室。

そこで「なんだか面白そうじゃね?」って

思ったのがきっかけで、現在に至るんです。

 

美術部入部後、すぐに油絵を描く事に。

でも、そこに用意されたのはキャンバスではなく、

大きなベニヤ板

寸法を伝えられ、ギコギコとノコギリで

切り出したのはF30号サイズのナンチャッテ

キャンバスでした。

 

まぁ、初心者でも画用紙に油絵具を塗ったら

紙がへにゃへにゃになるのは想像が付きましたが、

ベニヤ板に作品を描くとは思ってもみなかった💦

 

描けりゃ何だっていいんだよ

 

・・・って教えでしょうか?

 

渡辺暉夫 画伯

 

爺(師匠)は若かりし頃は東光会に席を

置いていたとの事。

学生だった自分は「ふ~~ん・・・」って感じ

でしたが、今から思えば日展傘下7団体で

ガチでやってたんだ?と、新しい驚き。

 

爺(師匠)は自分自身の事を殆ど語らないんで、

当時の戦績とか弟子としても全く知らない。

だからウィキも書けないんだコレが。

 

数少ない情報の中から聞いた話によると、

爺(師匠)の師匠はカワハラシュウヘイ

・・・という画家らしい。

 

河原修平 - Wikipedia

 

どうやら岡山で有名な「三変人」の一人らしい💦

 

爺(師匠)は少年時代に河原氏に弟子入りし、

美術を学んだという。

 

渡辺暉夫 画伯

 

・・・にしても、河原氏とは似ても似つかない

爺(師匠)の絵。

今でこそ「河原氏の弟子」という作家さん達と

交流はありますが、皆さんなるほど、どことなく

似たタッチや色合い。

 

爺(師匠)はいったい何を学んでいたのか?💦

 

今、振り返って思うに、自分は爺(師匠)から

「油絵」を教えてもらった記憶がない。

 

言われた事と言えば・・・

 

・たとえ描けなくても、一日20分は絵の前にいろ。

・自分の目を信じろ

・「線」を描けるようになれ

・搬入(飾り付け)は最後まで手伝え

・搬出(かたづけ)は最後まで手伝え

 

・・・みたいなのが印象的。

技術を教えてもらった覚えがない。

 

それでもまぁ、今では油絵らしきものは

描けてるつもりなんでヨシとしてますが、

後に知ったこの教え、実は爺(師匠)も

河原氏から言われてた事らしいですわ。

 

渡辺暉夫 画伯

 

ま、一応、爺(師匠)の教えは「絶対」な

ワケで、今でも守り続けてるんですけど、

最近になってやっと理解出来る事もあるんですね。

 

例えば地元の美術展での搬入・飾り付け。

 

一通り飾り付けが終わると大御所達は

「あとはヨロシク」

・・・って引き上げるんですが、ここからが

各会のルーキー達の時間。

苗字の「あ」~「わ」まで順番に並んでいますが

会場全体のバランスをとるために、色合いや

作風でシャッフルする作業になるんですね。

 

壁面には主に二種類あって、「お出迎え」の

壁、「見せ場」の壁があるんですわ。

 

各ルーキー達が相談しながらバランスをとって

並べ替える中で、自分の作品がどの位置に

割り当てられるのか・・・?表向き審査のない

展覧会でも、ひっそりとした審査みたいなものが

ちゃんとあるんですね。

 

自分の作品がルーキー達にはどう映っているのか。

 

搬入(飾り付け)作業はそれを測り知るために

外せない作業だという事を爺(師匠)は

教えてくれてたのか・・・と理解出来ました。

 

渡辺暉夫 画伯

 

また、それをする事により作家さん達と

知り合いにもなれて、批評や情報が得られる。

 

技術はそこら中から情報を集めて盗め

 

みたいな教育方針?

 

たまに構図的な事を教えてくれた事も

なかったワケではないかな?

 

「円・・・じゃ」・・・とか、「主役を置け」とか。

 

自分はバカだから理解するには数年はかかります。

 

「気付けよ・・・?(-。-)y-゜゜゜

 

考えたあげく気付く。だからこそ身につくのかも

知れませんが、いや・・・時間かかるわ💦

 

小野健司 自称画伯

 

そんな爺(師匠)に育てられた自分の絵。

 

全く爺(師匠)の絵に似てません。

 

「お前ェは何を習ったんじゃ?」

 

・・・と、爺(師匠)の友達的な方々によく

言われますが、似てりゃいいってモンでも

ないんでしょうな。

 

一応、生き残って活動を続けてますから、

 

そんな教育法もある

 

・・・ってトコでしょうか?