「生きていればきっといいことあるから。」
そんなことを娘に伝えたことがある。けれど、それは彼女のこころに大きなトゲとして突き刺さったのかもしれない。
え?不安しかないんですけど。日々が辛くて辛くて仕方ないんですけど。
と思ったかもしれない。

希望なんて持てる余裕がない人がいる。計り知れない息苦しさ、そこはかとない生きづらさ、重々しさを感じて生きている人間がいるということに娘を失うまでは私も気づいていなかった。

ある人が娘の自死を受けて、「命の大切さ」を訴えるイベントを開催したと聞いた。

「命の大切さ」

長く生きること、ただ生かされているだけでも、自死をせずお迎えが来るまで命を全うすることだけが正解なんだろうか?

別に誰かに正解不正解など決めてもらう必要はないけれど、それでも「命を大切にしよう」という言葉が陳腐で浅はかなスローガンに今は聞こえてしまう。

娘は13年の人生を精一杯生きた。
最期の2年は苦しんで苦しんで、それでも一生懸命自分を表現し、周りへの優しさを忘れることなく、決して悪口を言わず。けれどその苦しさは13歳というまだ未熟な娘にとって到底乗りこれられるものではなかった。

わかってほしい。苦しさを知ってほしい。誰か助けてほしい。そんな思いで娘は救いを求め、訴え続け、他に苦しんでいる人がいれば助けようとすらした。

最期の瞬間まで自分らしくあろうとした。

そんな娘を誇りに思う。

そしてその苦しさを理解しきれなかったこと、救ってあげられなかったことに、これからもずっと懺悔し続けるのだろうと思う。