美しい舞台でした。
こんなに美しい舞台を、この小さな劇団で観ることができるなんて!
小さいからいけないというわけではない。
だけど、資金や集客という面で、いろいろ制約は受けるでしょう?
どうして、これほどの才が集まるのか。
まずは、演出の田尾下哲さんのもとに、この美しい世界を構築してくださったあらゆる才に感謝!
ただ、一つ一つの場面の極上の美しさに対して、ストーリー展開が読めなかった。
ナゴヤ座の夜明けで、私の中に作り上げられた人物像との差に戸惑ったのかもしれない。
そもそもナゴヤ座でも、演じる人によって、全く違う人物像が出来上がっているように見えてはいたのだけど、それをまとめて、自分なりの人物像ができていたんだろう。
なので、超極上の登場人物たちの非道やセリフが受け入れがたく、また理解できなかった。
最終、この物語は、何を言いたかったのだろう。
もともと、一回見ただけでは分からないだろうなとは思っていた。何回も再演を繰り返し、それでも分からなくて、けれども、登場人物とともに生き抜いた満足を得たり、そういう類の作品だと思うから。
けれども、悩み苦しんだ末に辿り着けたなら、どれほどの幸せを得られるか。
いわゆるカタルシスというもの。
あの幸せの場所に辿り着きたい。
配信のラストシーンを見返したり、他の方の感想を読んだり、いろいろ、いろいろ考えて、そして、見つけた!
私の答えを!
答えは、全てここにあった。
「待たれよ、しかして希望せよ」
エドモンがあの長い歳月、洞窟の中で過ごした日々に奪われたものは、希望だった。
船長になり、恋人と結婚し、家庭を持ち、幸せな生活を築く。
その夢は叶わなかったけれども、あの長い長い歳月、エドモンを信じ、愛し続ける人がいた。
恋人のメルセデス。
エドモンの子供を宿したまま、フェルナンと結婚したけれど、生涯、ただ1人の人しか愛せなかったと歌う。
ただの一度も?
愛せなくても、生まれた子供との生活を守ってもらい、ともに暮らせば、情は湧くでしょう?
フェルナン、可哀想すぎ😢
それが気になって、メルセデスが涙ながらに歌うのにも、頭の隅っこで、フェルナンは?と思ってたのだけど…
ごめんね、フェルナン。
メルセデスは、エドモンだけを愛し続けなければならなかった。
それが、エドモンの希望だったから。
エドモンは、全てを奪われたと思っていたけれど、そうではなかった。
希望は、エドモンには見えなかったけれど、ずっと傍にあった。
なので、エドモンは復讐などしなくていい。
「私をこんなにも愛してくれる人がいたから、復讐をやめた」いうセリフがあったのだけど、私は、エドモンが辛かったのは、誰も信じられなくなって、愛することができなくなったからだと思っていた。
人は、誰かのために、何かのために生きてこそ、生き甲斐を感じられる。
ファリア司祭は、エドモンと出会って、エドモンのために生きることができた。
メルセデスはエドモンとアルベールのために。
ピエールは、兄と兄の信用のために。
そして、ナポレオンですら、死に瀕してなお、再びその手に天下を取るという希望を抱いていた。
「待たれよ、しかして希望せよ」
人は、いかに生き、いかに死すべきか。
エドモンもピエールも死んでしまったけれども、1番、大切なものを手に入れた。
涙が止まらなかった。
これがあってるかどうかは分からない。
でも、この場所から、もう一度、あの物語を観たい。
と思いながら、配信を観る。