【H27年夏旅(第二部)】広島市〈第二話・広島城二の丸編〉 | ★まる描いて地球★

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基本、メモ帳代わり(記録の為)にブログを立ち上げました★

その為、昔から溜めておいた古い記事や、改めて見つけた古い記事なども多くなりますが、時系列にエントリーは無理かな★


テーマはその都度増やすつもりです



〈第二話・広島城二の丸編〉


 原爆ドームから少しブラブラしながら、多分30分近く歩いた気もします


 シャレオという地下街を通り、県庁前や病院及び美術館を左右に見てその先地下道を抜けると、広島城二の丸に続く広場の様な所に着きました


広島城跡(国史跡)

広島城案内板

 現在残っているのは、内堀と本丸・二の丸・三の丸一部(地図上の現在地及び観光バス駐車場辺り)で、三の丸を除いた部分が史跡指定されています


 城内には、復元された天守閣と二の丸、広島護国神社や旧日本軍の礎跡等が有りました





二の丸




内堀(及び本丸)


御門橋(ごもんばし)と表御門(おもてごもん)

 右端は平櫓(ひらやぐら)


手前:多聞櫓(たもんやぐら)と奥:太鼓櫓(たいこやぐら)

 表御門上部と併せ、三つの櫓には無料で入る事が出来(土足禁止)、各種展示物が置かれています


平櫓内部
元就(もとなり)直筆の書状(複製)

 毛利元就は、広島城を築城した毛利輝元(てるもと)の祖父で、一領主から中国地方の大半を支配するまでになった戦国大名です

鉄砲狭間(てっぽうざま)


表御門内部

太鼓櫓(上)及び平櫓(下)の模型



多聞櫓内部
中から見たお堀

再建天守閣の鯉瓦


 勿論これだけではなく、もっと色々な展示物が有ったものの、写真は撮っていません


太鼓櫓内部
多聞櫓と平櫓


 ここでの内部写真も無いのですが、この櫓には和太鼓が置かれていて、実際に叩く事も出来ます


 もしかして、合図目的等の為に元々ここには和太鼓が置かれており、櫓の名前の由来になっていたのかなと想像




〈第三話 に続く〉