2011年3月12日の午前中、
ベントが行われた行われないだの
首相がヘリで視察しただのと報道されている時、
久しく連絡を取っていなかった家族に
電話をしました。
サラリーマン時代、
「原発は問題無いよ。『5重の壁』で安全だよ。」
と伝えていた家族にです。

「福島原発はもうダメだ。関東まで放射能被害が及ぶかもしれない。不義理を重ねて連絡も取ってなかったけど、最期の電話と思って欲しい。みな元気で。」

大袈裟ではなく、関東にいながらにして
大量被曝するかも・・・と腹を括っていた一方で、
心の中のもう片方では
「格納容器だけは大丈夫」と
信じてもいたのです。
何ら根拠の無い妄想です。
圧力容器よりヤワい造りなのに・・・
自分で自分を笑ってしまいますw

それだけに、15時36分のニュース速報ならびに
17時45分の枝野会見にて
「爆発的事象」の報を聞いた時は、
全身脱力しました。

それでも、1-F現地で
死力を尽くして頑張っている方々を思うと
すぐに原発反対とは言えませんでした。
原発城下町に住んでいて、
原発勤務中に被災した方々が
家にも帰れず、家族の安否も判らない中
目の前の危機に対処せざるを得ないのです。
その心境たるや、筆舌に尽くし難いものです。
3月20日、ぐるっぽに寄せた自分のコメントは
まだどっち付かずのスタンスです。

しかしTVで
「心配無い問題無い」と繰り返す
政府・当局・御用学者を観ているうちに
沸々と怒りが込み上げて来ました。
「爆発しても問題無かったら、最初から5重の壁なんて必要無いじゃないか!」

原発は人の○○につけこむ薄汚い存在です。
(○○には皆さんの思い付く言葉を・・・)

立地調査からして、
ある種の後ろめたさが付きまとっています。
ダミーの観光会社を設立したり
工場の立地だと嘘をつく。
活断層があっても
御用学者の御墨付きを得て過小評価する。
過疎地であればとにかくOKなのです。

原発とバレれば
道路を整備したり施設を建設したり
その為の雇用を増やして
住民を懐柔する。
住民も「ここまでしてくれたんだから・・・」と
心を許し始める。
さぁ後は建設・稼働まで一潟千里です。

定期検査になれば、
食うに困っている人間をドヤ街で集め、
汚い仕事を押し付ける。
その人間が幾ら被曝しようと
知った事ではない。
いざとなったら放射線管理手帳の数字だって
改ざんする。
「人間らしさ」とは全く対極の存在です。

文字通り貧しい者の生き血を吸って、
日本の電気は作られています。
私も使っています。

何とかしよう、
何か別の発電方法を考えようと
思いませんか?