観ていました。
河野太郎氏の言動が一番冷静・客観的かつ
現実的であったと感じました。

子供達の純粋な、だからこそ容赦の無い、
どストレートな質問・願いに対して
原発推進派も反対派も
答えられないのではないでしょうか?
「いつになったら外で遊べますか?」
「早く止めて下さい」
「子供の産めない体になるのでしょうか?」

私も、何と言葉を掛ければいいのか、
分かりません。
涙の出る思いです。

サラリーマン時代は
原発関連の仕事もしていました。
もちろん教育(洗脳?)も受けています。
放射線管理区域にも入りました。

ウラン燃料棒の製造工場も見学しました。
手を伸ばせば届く、正に目の前で
焼結工程に入っていくペレットを
見つめた事を思い出します。

親兄弟には
「全然問題無いよ。」と
事ある毎に言っておりました。

一方で、もんじゅや核燃料サイクルが
円周率の様な、どこまでも答えの出ない、
出ないからこそ長々と研究・開発できる
「原子力村」の飯のタネになっている事も
薄々気付いてはいました。
でも、当時は自分の仕事でしたから、
プライドを持って臨んでおりました。

水素爆発で建屋が吹き飛んだ時も、
「まだ格納容器は大丈夫」と
いま思えば何の根拠も無い考えに
囚われていました。
やがて、格納容器破損か?の報道を聞き
くだらないプライドも何もかも
全て打ちのめされた次第です。

安全神話を信じるという事は、
もはや宗教の世界観です。
安全神話は「お経」です。
一生懸命お経を唱えても、
事故が起きない保証はありません。
しかしまだ、お経を唱える「村人」がいます。
どうやら、もう一回事故が起きないと、
目が醒めないようです。