多重人格 | 王成Ag我☆

王成Ag我☆

(゜∪。)

こりゃあまあ悍ましい曲が出来てしもーた(・∀・) 




本当の応援ってのは、「何も言わずただ寄り添うこと」
だと思って書いてみました( ̄θ ̄)


よく言うでしょう?
限界の人に「頑張れ」って言っちゃダメだって、そんな感じの曲です。



そこそこ歌詞の解像度が高いのは、
俺がその場所に立ったことがあるから、だとおもいますが。。(笑)




1バースは、言いたいことそのまんま。
「応援なんて自己満足」それだけ。


限界を迎えた人間からしたら、
応援、心配、協力、気にかける、どんなに本心から想ってくれてても

「自分は味方でいるよ」 ってゆー責任逃れとアリバイ作りの言い訳にしか聞こえねんだ(((^^;)  



味方でいるよ ってゆー心意気に対して、期待に応えられない罪悪感もあるし、
味方でいるよ ってゆー綺麗事に対しての嫌悪感もあるし、
いろんな感情がごちゃ混ぜになるんです。(笑)


そして、応援してくれる人たちは
勝手に期待して、勝手に裏切られたと思っちゃうでしょう。

 



サビを挟んでの
ここは単語の羅列に見えると思うけど、
単刀直入に事実をピックアップすると

「仕事を辞める辞めない」の押し問答。


辞めたい自分と頑張りたい自分と頑張れない自分
辞めさせたくない会社や親 その割には身体を気にかけてくれる彼ら
それに対して申し訳なさを持つ自分と分かってくれないと苛立つ自分
身体を気にかけてくれる割に半ば力づくで起こしてくる彼らと やるならまともにやれよと苛立つ彼ら 
やれないから辞めたいって言ってんのになんなん?の自分
お前の身体がどうとか知ったことかよの彼ら


なんか、そんなのがごちゃ混ぜになって
いろんな意味での「多重人格」です。


自分の中にいろんな理屈もあるし、どんな環境下に置かれてるかも理解してる。
ただ、答えが出せない。そんな意味での、結論壊滅状態。



こちらからすりゃあ、心配してくれてんのも苛立ってんのも分かるよ。
けど、どーすることもできないのよ。

悪意で傷つけにきてるわけではないことも分かる。
けどこっちだって悪態つきたいわけでもないし、
でも、身体が動かねんだ。


身体に鞭打って空元気してると、なーんだ元気じゃんって思われるし、
素を晒すと、しゃきっとせえよと怒られる。
限界ってのはどこかわからないけど、すでに限界は超えてるし、

味方でいてくれたはずの人が、「お前の為だ」ってゆー正義を振り翳して、敵の味方になることもあった。 


その辺は、、あのー、
2017年の夏前と、2019年の夏〜秋ごろのブログを読んでいただければ、、、、、。(笑)



通り魔(相手)に悪気があるわけじゃないけど
こちらからすれば狂気に見える、

でも、悪気がないからこそ、包丁捌きに迷いも躊躇いもない、丁寧な調理作法。


確信犯は、誤用がよく使われてるけど、これは本来の意味
「正義だと信じて行う」犯行 


だから、ただの日常の自炊と同じ手捌きで
サックリスパっと綺麗に切られるわけです。


以前のブログにも記してるけど、


「オッケー、そこまで言うなら俺の身体ボロボロにしてでもあなた方の期待に応えてあげますから、あとはどーなっても知らんよ?」


ってゆー、ある種の覚悟と諦め。


相手の懐に入って尽くす、「孝行」するために相手の意に沿って操られる人生を選んだから

自分の血も俯瞰で素敵に見えるし、
俺の人生好きに使ってくれ ってゆー意味での召し上がれ。





ここは1番と同じだけど、""の位置が違うんだ。

1では、
"お前の為だ"ってゆー、言葉に殺され
2では
"お前の為"ってゆー、思想に殺される。


1では
殺した動機や後始末は無責任

2では
無責任な行為の結果殺された
 


おんなじ言葉でも、捉え方次第で意味が変わるってゆー
1バースの天邪鬼思想を取り入れてます。(笑)





解説で書きたいことは山ほどあるし、
表面の意味をなぞるだけだと100%伝わらないよなーとは思ってるけど、

捉え方は人それぞれってゆー意味でも「多重人格」でいいと思うし。


ただ、みんな、悪意を持ってるわけじゃない。
それぞれがそれぞれの正義を翳してる。


その中の
「自己嫌悪」「責任転嫁」をしてしまう自分 の目線で書いたってだけです。


これだって、
「応援≠正義」と思ってる自分と、
そう思わなきゃやってられない自分がいるし。 

けどホントは「応援=正義」って分かってる自分もいるし、
相手はそのつもりで向き合ってくれてるって気づいてる自分もいる。



その日、その時間、空間、対する人、気分、体調、

いろーんな環境によって


同じ一つの出来事に対しても、考え方も捉え方も全部変わっちゃうけど、


正解があるわけでもないから、それはそれでいーんじゃない?
ってゆー曲です。(笑)




ただ、限界を迎えた人にとって、

手を差し伸べるわけでもなく、向かい合うわけでもなく、話を聞くわけでもなく、

ただ、俺もそこにいるってゆー事実だけ伝えられればいーのかなと。そんなある種の応援歌です。



「俺もそんなとこにいたことがある」だとダメなのよ。
「俺もそこにいる」って、

同じ地獄を味わう覚悟がないと。

応援って安っぽく聞こえるし、その割に鋭利な刀ですから。(笑)


本当の応援は「共感」じゃなくて、「理解」かな。




これが、AIに
「言葉を感情表現ではなく情報伝達のツールにしてる」と言われた人間の言葉です(・∀・) 




良ければ美味しく調理したから味わって('◇')ゞ

俺の人生召し上がれσ(^▽^) 



ぁちなみに、過去のブログに思想は散りばめられてるけど




この辺りは元ネタ。