宇宙の高次元では「崩壊のフェーズ」が終わり、

 「創造のフェーズ」が始まっています。

 

 
 
 

 

それに伴い、

地上の物理次元では、

 

新しい何かが創造される傍らで

旧い(ふるい)何かが滅びていく

 

という現象が起こっています。

 

 

 

 

 

「創造」といえば、

日本にも天地創造神話があります。

 

現代人に広く知られているのは

古事記・日本書紀に書かれてある神話

だと思いますが、

 

 

 

この古事記・日本書紀は、

スターシードたちの間で

受け継がれてきた伝承そのものではなく、

 

日本が国家的プロジェクトとして

編纂した歴史ということになります。

 

 

 

 

 

なぜ、国が

このようなプロジェクトを必要としたのか?

 

 

 

それは、外国に対して

日本には、他とは違う歴史・文化があることを

明確化し、

 

国の独自性、独立性があることを理解させ、

唐(当時の中国)の一部として

吸収されてしまうのを防ぐためでした。

 

 

 

 

 

ですから、当時の

外国(特に中国や朝鮮半島)の王朝の

意識レベルを納得させるに足る

物語が必要であって、

 

 

 

その神話には、

天に照らした真実性が重視されたわけではなく、

物理次元における実用性

が重視された歴史となっているわけです。

 

 

 

 

 

(因みに、

 それまで倭国と称してきた日本は、

 古事記・日本書紀の編纂プロジェクトを

 国家事業にした天武天皇が

 

 太陽の昇る国

 「ひのもと」と

 国の呼び方を改め、

 

 これに漢字をあてはめて

 「日本」になったそうです。

 

 

 

 日本の福建省では「ジーベンクォ」と

 発音するらしいけれども、

 これが中国にいたヨーロッパ人に

 「ジパング」と発音されるようになり、

 

 それが英語圏の人々に

 「ジャパン」と発音されるようになったらしい。

 

 トリビアですね!)

 

 

 

 

 

話を戻すと、

神話の編纂は、

 

外国に対して

「日本って、ちゃんとした歴史がある

 神の時代からつづく、由緒ある国なんだね!

と認めさせ、

 

 

 

国内にも、

「天皇の地位が

 神の末裔で、

 ヒーローなのね~!」

ってイメージを流布させることが

重要なポイントだった

 

ということは、

古事記・日本書紀の物語を読めば

容易に想像がつきます。

 

 

 

 

 

 

 

繰り返しになりますが、

スピリチュアル的な真実を追求した

歴史書にすることは

 

古事記・日本書紀には

追求されていなかったわけですね。

 

 

 

 

 

だからこそ、

 

 

 

「天君」(現代でいうところの天皇)

の歴史を遡るのは

アメノミナカヌシまでとし、

 

 

 

アメノミナカヌシと

タカミムスヒの神

カムミムスヒの神 

 

の造化三神で

 

宇宙の大元の意識(全なる意識)と、

陰陽の2極が

 

象徴的に記述されることになりました。

 

 

 

 

 

しかしながら、実のところ、

竹ノ内家という神主の家系が

命がけで守り抜いてきた書物

「正統竹内文書」には、

 

もっと以前の神の系譜から

記録されているんですよねぇ。

 

 

TOLAND VLOGさんの取材動画、これの
23分くらいに出てきます。

 

 

 

 

 

実際のところ、

正統竹内文書に書かれてある物語だと、

 

地上世界の国々のルーツということになり、

(日本から神々が散っていった)

 

世界の神話になってしまうので、

 

 

 

日本固有の神話という形がとれず、

 

当時、

「日本という国家の独立性を担保する」

という目的には、

合わなかったんだろうと思います。

 

 

 

 

 

そして、宇宙も

日本が独立を保つことを

のぞんでいたため、

 

編纂が完遂したのであろうと

思います。

 

 

 

 

 

それは、それとして、

ライラは何が言いたいかというと、

 

国が決めること、

 

というのは、

天の真実ということではなく、

 

その権力の中枢にいる人間が

物理的なメリットを得られる物語を

意図的に作り上げるものである、

 

ということなんです。

 

 

 

 

 

創世神話として

古事記・日本書紀の編纂が行われたのが

西暦712年とか、720年。

 

それから1700年ほど経ったいま、

 

日本の政治家たちは、

彼ら個人の目的を遂げるために

都合よく使える

「皇室の伝統」

「皇統というイメージ」

を流布しようとしています。

 

 

 

 

 

彼らが適えたい目的は、

  • 私利・私欲、
  • 自分の一族の繁栄、
  • 日本の解体、

 

政治家によって

様々な思惑が渦巻いていて

一枚岩というわけではなさそうに

みえますが、

 

 

 

天皇が男系男子であることが

自分が具現化したい現実にメリットがある方もいれば

 

男系男子を変えることがメリットの方も

いらっしゃるようで・・・、

 

 

 

 

 

どちらにしても、

人権があり、

痛みを感じる感受性を持っている

「天皇」「皇族」という立場の方々が

 

利用価値しかない道具(物)のように

扱われている、

 

という現実に

寒気を感じています。

 

 

 

 

 

日本は、これから

 

滅びの道を進むのか、

 

新しい世界の創造に参加する国

となるのか、

 

 

 

もし、新しい全なる意識がつくりだす

天の摂理に沿う国となるならば、

 

そのために、

皇族の何を次世代へと

継承していくべきなのでしょうか?

 

 

国民は、

どのようなルールを望むべきなのでしょうか?

 

 

 

 

 

その答えを、

アメンバー記事に

書いています。

 

ご覧になりたい方は

アメンバー申請をしてからお読みください。

 

できるだけ申請後すぐに

ご覧いただけるように、努めます。

 

 

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さて、今週、

問題視する声が

四方八方から上がっている

新しい皇室典範が

 

きっと議会で可決されることになるでしょう。

 

 

 

 

 

 

いま、地上では

滅びと創造のドラマが繰り広げらる中で

 

国レベルの滅びと創造

というドラマも進んでいるのを

ご存知の方も多いと思います。

 

 

 

 

 

日本の皇室典範の改正によって、

 

国民の象徴として

意識を遣う業務に勤しまれる皇族方が

どのような意識を持つように導かれるのか?

 

(幼い意識は、

 どのような意識に囲まれて育つか、

 (幼い意識を囲む大人の

  精神性の影響力が強い)

 ということによって

 

 最終的に、どのような意識をもった大人になるかが

 大きく左右されます。)

 

 

 

また、どのような意識を代表する方々が

国民の象徴とされることになるのか?

 

 

 

が物理次元のルールで

固められることになります。

 

 

 

 

 

実は、

意識次元の力がないものほど、

物理次元的なルールにこだわり、

 

物理次元的なルールで縛ることによって

意識次元の力を遣う人々が

力を発揮できないように

 

封じ込めてきた歴史があります。

 

 

 

 

 

新しい全なる意識と繋がっている

人々の数が極僅かしかいない今、

 

 

 

意識次元を無視して

物理次元のみに生きる方々は、

物理的なルールを好きなように変えることで

 

新しい世界の到来に抵抗しているように

見受けます。

 

 

 

日本の進む道が

滅びの道に向かうのか、

新しい世界の創造へ参加する道へ向かうのか、

 

 

 

 

 

予断は許されない状況だと

感じています。

 

 

宇宙の高次元では「崩壊のフェーズ」が終わり、

 「創造のフェーズ」が始まりました。

 

 
 
 

 

この「創造」は、あらゆる次元において

具現化されていきます。

 

 

 

 

 

新しい何かが創造される傍らで

旧い(ふるい)何かが滅びていく、、、

 

このような

「滅び」と「創造」の息吹が

地上で交錯しているように感じる

今日このごろです。

 

 

 

 

 

何が滅び、

何が創造されるのか、

 

その波は

日本という国の在り方にも

押し寄せてきているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「国」とは、

そもそも何なのでしょうか?

 

 

 

 

 

広大な土地に

一人の人が暮らしている。

 

この状態について、

その土地を「国」とは呼びません。

 

 

 

 

 

かといって、ある地域に、

複数の人々が点々と住んでいて、

しかし、お互いに

なんの関わりも

精神的繋がりもなく、

共同作業もなく、

 

生きているだけだとしたら、

 

そのような状態に、

外部の人も、その地域に住んでいる人も

1つのまとまりを感じることはなく、

 

これも「国」とは呼ばないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ同じ地域に、

点々と人々が住んでいるだけでは、

 

それは集団ではないけれど、

 

 

 

その個々の存在が共有している何か

があるのなら、

 

それは、1つの集団として

みえるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

同じ地域に住むことで

同じような環境を共有し、

 

日々の生活の中で挨拶を交わし、関わり合い、

祭りや、子どもの世話などで

繋がりができ、

 

互いの喜怒哀楽が交差し合う、

共感しあえる感性を共有している。

 

そのような間柄にある人間同士には、

 

個人と個人の間に関係性を感じると思いますし、

 

何も共有していない

見ず知らずのよそ者と

人間関係のある人とは、

区別したくなる意識を

誰もが持っていると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「国」というのは、

一つの大きなまとまりで、

つまり、何かしらを共有している、

何かしらで繋がっている

集団なんです。

 

 

 

 

 

その繋がりとは、

同じ時代に生きている人々の

横のつながりだけでなく、

 

過去から現在、未来へとつづく、

先祖と自分、

そして子孫の人々、

という縦の繋がりを

感じさせてくれるまとまりです。

 

 

 

 

 

では、日本、という国では

日本列島に住む人々や

外国に住む日本人の人々が

何を共有し、

 

過去の日本人にも、

今の日本時にも、共有されているもの

とは何なのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

日本について考えるとき、

実は、日本の外側のことを知らないと、

気づけないものなのですが、

 

ライラは、外国暮らしも

かなりの年数、経験しているので、

 

 

 

結構、強く「日本人とは」というものを

肌身で感じてきたと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、世界の国々の国民性と

日本人を比べたとき、

 

日本には、ふるくから

「自然とのつながり」を感じながら生きる

という習慣があるんですね。

 

人間という存在を

「自然の営みから切り離した存在」

として捉えるのではなく、

 

自然の一部におさまっている存在として

認識してきた、ということです。

 

 

 

 

 

日本人にとっては無意識の感覚なので

言われても「ふ~ん」くらいにしか思わないと

思うんですけれども、

 

文明化された先進国においては、

「人間は、自然よりも上にある存在」

という感覚が、

無意識の中に強くあります。

 

「自然を大切にしていない」とか、

そういうことではなくて、

『人間は自然より上』とか、

 

自然は、物を言わないので、

人間の好きなように使っちゃう、とか、

そういうのが当たり前な感覚です。

 

 

 

 

もちろん、現代の日本人だって

同じようなことはありますが、

 

 

 

日本の文化といわれるものの中では

自然との付き合い方って、

「自然と共に」という感覚や

「自然を楽しむ」という感覚の方に

寄っているんです。

 

 

 

 

 

例えば、すべてのものに神が宿るという感覚、

(これを信じてなかったとしても、

 「すべてに神が宿る」って何?

 えっ、意味わからない。

 頭バグる、

 

 というほど取り乱す人は

 日本人で出会ったことがありません。

 

 つまり、なんとなく、

 「あぁ、はいはい」って分かる感覚を

 持ってる、ってことなんです。)

 

他にも、

子どもたちが虫取りをして遊ぶ文化、

毎年、桜や紅葉が舞台芸術のように鑑賞される習慣

月を見上げて立ち止まる感性、

 

和歌や俳句、川柳には季語が入り、

自然を感じる心があることが前提の文学

 

 

 

これは、日本人でない人には

実に奇妙で

意味不明なことであることも多く、

 

意識的に努力して初めて

そういう捉え方もある、と

なんとか、頭で分かるレベルです。

 

 

 

最近は、日本好きな外国人も多いですが、

やっぱり、根本的には

「自然と自分は別の存在」

と感じている人が多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人って、

自然に心が奪われる感性があるんです。

 

心奪われるので、眺めてしまう。

その自然を眺める、ということが、

日常の一部になっているわけです。

 

ああ、

梅の花が・・・、

桜の花が・・・、

 

あぁ、

蛍の季節だね・・・、

紫陽花があそこに・・・、

 

あら、

オタマジャクシが・・・、

セミの季節だわ・・・、

鈴虫が出てきた・・・、

 

わぁ、

金木犀の香りだ・・・、

紅葉がきれいね・・・、

葉っぱが落ちて、紅葉も終わりね・・・、

雪がちらついてきた・・・、

 

月がきれい・・・、

 

 

 

自然と心を通わせる感覚があり、

 

季節を感じながら

衣替えをし、

天気予報をみながら

雨や台風や大雪に備え、

 

 

 

エアコンが普及し、

自然と遠く離れた土地に

多く日本人が住むようになった今も、

 

自然を観察しながら

今日の自分の生活が

過ごしやすくなるように、

安全に過ごせるように、

 

と考えるのが当たり前なのが日本人。

 

 

 

 

 

外国の方々は、

そんなに細やかに自然に

自分の生活スタイルを合わせて

生きたりしていないんです(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大陸の先進国と日本の大きな違いって、

生きるか死ぬかの危機が

 

自然によってもたらされてきたか、

他者からの侵入・侵略によって

もたらされてきたか、

 

という部分もあります。

 

 

 

 

 

 

世界のほかの国々の人々にとっては、

常に、侵略される脅威と共に

生きてきた歴史があるので、

 

自然を鑑賞する感性よりも、

侵入者から、どう自分たちを守るか、

という方向性に

 

意識が向きやすい文化だったわけです。

 

 

 

 

 

侵入されないためには、

自分が、周りに侵入して

国を拡大すれば、

 

最も安全です。

 

 

 

 

どう他者を支配するか、

どう交渉し、取引きをして、

自分に有利なパイをつかむか・・・。

 

 

 

 

 

『自己防御のための支配の拡大』

という生存本能が

 

人々の精神や思考、

文化に強い影響をもたらしてきた

わけですね。

 

 

 

 

 

これは、現代の日本と外国を

みていても分かることなのですが、

 

 

 

 

 

過去の日本はどうだったのでしょうか?

 

 

 

 

 

古事記・日本書紀よりも

古い時代から、

 

日本という国が、どのように形作られていったか

が書かれている

「ホツマツタエ」という歴史書から

日本の成り立ちをみると、

 

 

 

 

 

日本の伝統とは、

本来、どういうものなのか?

 

また、日本が間違えてきたことは

何なのか?

 

よく理解できるようになります。

 

 

 

 

 

例えば、現在の天皇は、はるか昔、

ほつまの時代には、

天君(あまぎみ)と呼ばれていました。

 

 

 

天君(あまぎみ)とは、

「あめなる道」という自然の摂理に沿って

日本の國つくりをされる方のことでした。

 

 

 

 

 

そして、

「陰陽なる道(あめなるみち)」とは、

 

陰陽を基本とする自然の摂理に沿った

くにつくりをする道のことでした。

 

 

 

 

そして、歴代の天君に必須だったのは、

この「陰陽なる道」を継ぐことができる

ことだったのです。

 

 

 

 

 

つまり、

天君(天皇)が、

陰陽を基本とする「自然の摂理」に沿った

国をつくる

 

というところから始まったのが

「日本」という国

 

 

なのですから、

 

日本人の生き方、精神性として

自然を感じながら、

自然に暮らしを合わせて生きようとする

 

という精神が

今も脈々と続いているのも

頷ける話だと思いませんか?

 

 

 

 

 

 

 

さて、そんな歴史ある国の

天皇の継承が

今や危ぶまれている、

 

という事態は

皆様もご存知のことと思うのですが、

 

 

 

自然の摂理として

なぜ、そんなことが

起こっているのでしょうか?

 

 

 

いま、自然の摂理に沿った決断を

この国がする、とするならば、

どのような決断になるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

このような現実が現象化する

源となっている意識とは

どんな意識なのか?

 

ということについて、

次回、

お話していきたいと思っています。

 

 

 

非常にナーバスなテーマとなりますので、

 

アメンバー限定の記事にて

お話したいと思います。

 

 

 

興味のある方だけ、

ご覧ください。

宇宙の高次元では「崩壊のフェーズ」が終わり、

 「創造のフェーズ」が始まりました。

 

 

 

意識世界のことを

お伝えする発信者の方も、

数年前から、かなり増えてきたように

思います。

 

 

 

 

 

けれど、その方々が流している情報は

真実なのか、否か?

 

 

 

 

 

見極めるのって、

難しいと思いませんか?

 

 

 

 

 

特に、自分自身で

スピリチュアルな情報を

とらえる力が弱い場合、

 

「目に見えない世界と繋がれる人」

 に憧れたり、

 自分で確かめる術がなかったりして、

 

 

 

最終的には、

「自分が信じたい世界観」を

語ってくれているスピリチュアリストを

信じることになることが多いのでは?

と思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、ライラは

人の話をすぐに信じてしまいやすいタイプですニヤニヤ

 

 

 

 

 

他人が発信するスピリチュアル情報について

自分で、是か否か、確かめられる術を持ってから、

 

 

 

 

 

この情報は、真実なのか?

 

確かめるようになったのですが、

 

その度に、

どれもこれもが偽情報だという

答えにたどり着き、

 

 

 

これって、人によっては

知らない方が幸せ、

ってやつだよな~と

 

思いながら過ごすようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

例えば、次のようなもの。

 

「(高次元存在に)言え、って言われた

から

 お伝えするんですけど、、、」

とか、

 

「(高次元存在に)〇〇するように、

 と言われたから、やっているんです。

 別に、わたしがやりたくて

   やってるわけじゃありません

 

 神様から言われたお仕事だから・・・云々」

 

などという前置きがあって

メッセージが始まるスピリチュアリストの発信

 

 

 

 

こういうのって、

ライラの耳には

とても、もっともらしく聞こえ、

 

 

 

「この人、高次元に任されて

 尊い活動されてるんだ~」

 

 

 

と拝む気持ちになることが

多かったんですよね。

 

 

 

 

 

 

しかし、そういった情報について

確かめてみると、

だいたいが偽情報で

 

 

ぎょっとしていたのですが、、、

 

 

 

 

自部が繋がれるようになった

今から振り返ると、

 

 

 

 

たしかに

 

霊格の高い存在が

人間に指図することはないなぁ~

 

と思うんですよ。

 

 

 

 

 

 

それどころか、

 

高次元になればなるほど、

「○○について、教えてください」

と訊いたって、

べらべら饒舌に教えてくれることはありません。

 

 

 

なにか訊きたいときは、

 

まず、自分で真理を読み取り、

 

「○○は、△△、

 合っているか?」

 

と問うたときに初めて、

 

 

 

自分の理解が

合ってる、という一致感がくるか、

微妙、もしくは、ズレた、

という感覚がくるか、

 

はっきり受け取れる・・・

 

 

 

しっくりくる場合は、

追加情報が、意識に

伝わってくるけれども、

 

 

 

自力で真実にたどり着いていない間は

無音。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、

意識存在の方から

饒舌にいろいろとメッセージが降りてくる現象のとき、

 

それは、その意識存在自体に魂胆がある、

ということなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間だって、そうですよね。

 

「あなたを起用したいから、

  こんな資格をとってほしい」

などと言われるときは、

 

その人(会社)のために

役に立つスキルを

あなたに身に着けてほしい。

 

 

 

という意味であって、

それが、その人(会社)のメリットになるから

であって、

 

「あなた」という人間そのものを

尊んでいるわけではない・・・。

 

 

 

 

 

もちろん、それでも

誰かの役に立つことで

自己肯定を感じられる、

という方々は、

 

オファーを頂けたら

ありがたいと感じると思います。

 

 

 

 

 

誰にも頼りにされず、

誰にも何も期待されないことは

寂しいと感じるから。

 

 

 

 

 

このような気持ちは

人間として、

とても理解できるところですが、

 

 

このような意識であればあるほど、

人にも、意識存在にも

利用されやすくなることは

知っておいて頂きたいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真実に繋がる意識存在は、

人間を利用するようなことは

ありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、

人間に指図をしているのは、

「全なる意識」と繋がれない

意識存在であることが多く、

 

「肉体を持たない存在は

 みんな 高次元だ」

なんてことはないのですね。

 

 

 

 

 

 

それじゃあ、何を信じればいいの?

 

 

 

と思ってしまう人もいるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を磨かない限り、

何を信じればいいか、

明確に分かることはありません。

 

 

 

 

 

よい先生の言っていることを聞いていれば

正しい道を歩ける、ということはなく、

 

 

 

よい先生は、

正しい道かどうか、

石橋の叩き方を伝授してくれるだけであって、

 

 

 

あなたの代わりに

石橋を叩き、進んでいいか

あなたに

教えてくれる存在ではないのです。

 

 

 

 

 

つまり、

一見、手取り足取り教えてくれる

優しそうな存在は、

 

人間であれ、意識存在であれ、

本物ではない、

ということ。

 

 

 

 

 

 

 

人間を下請けとして使役しようとする

意識存在も

霊格が低いけれども、

 

「高次元の存在から頂いた仕事だから」

と、

視えない存在をありがたがって、

 

自分の感性を大切にするよりも、

視えない存在の意思を優先して

 

何か大事な仕事をした気になっている人間も

霊格が低い。

 

 

 

 

 

こうした出来事は、すべて

結局、自己創造ができていない。

意識が自立していない、

という現象のあらわれ、

 

というわけです。

 

 

 

 

 

今回の記事は辛口ですが、

真実とは甘い味がするものではなく、

 

真実と向き合うことを避ける人の方が

大多数であるほど、

真実というのは、耳に痛いものであり、

 

だからこそ、

真実と向き合えるものの未来は

安泰であるのです。

宇宙の高次元では「崩壊のフェーズ」が終わり、

 「創造のフェーズ」が始まりました。

 

 

 

ということで、新しい時代へシフトしつつある

本当に数少ない方々の思索の

お役に立てば、と、

 

「創造」について

記事を書いていきたかったのですが、

 

 

 

5月15日に投稿した記事について、

個人的にライラが青ざめたことがあったので

個人的なツブヤキとして

今回は記事を書こうと思います。

 

 

 

 

5月15日の記事は、こちらです。

 

 

 

 

この記事の中で、最後に

次のような文章が出てくるのですが、、、

 

「これから、

 地上の意識世界に突風が吹き、

 荒れると感じています。

 

 

 

 

 意識世界で吹き飛ばされる人

 出てくると思います。

 

 

 

 

 それは、スターシードであっても

 同じです。

 

 

 

霊格が高い方と繋がり、

導きや学びを受けながら

吹き飛ばされないように

足元を固めてください。

 

 

 

 

 

あなたの心の根っこはどこにあるのか?

志は何か?

 

 

 

揺るぎないものを見つけ、

自分の内側で根を育てる活動に

 

最優先で

時間とエネルギーを使うことを

オススメします。」

 

 

 

 

これを書いたときの心境は、

いまでも鮮明に思い出すことができます。

 

 

 

 

 

大変なことになった!

 

 

 

という危機感でした。

 

 

 

 

 

 

実際、何が大変なのかは

分からなかったのですが、

 

 

 

これを感じた理由は、

この記事の投稿の前日に

宇宙の高次元意識に、

あまりにも大きな変化が起こったことに

起因していました。

 

 

 

 

 

まあ、意識世界のことですからね、

「だから、なに?」

って、感じに思う方が多いと思うニヤニヤ

 

 

 

日本神話の神様が

1柱、2柱消えたところで、

物理世界になにが起こるの?

 

って感じでしょうし、

 

 

 

昨今、ハイヤーセルフが消えている人も

多いですが、

そもそも、ハイヤーセルフを感じながら

生きている人が少ないわけだから、

 

ハイヤーセルフがいなくなっても

自分は生まれたときから知らされていない

外国に住んでいる親族が死んだのと

同じくらいのインパクトだと思います大あくび

 

 

 

 

 

 

因みに、この宇宙意識とか、

神々とか、ハイヤーセルフと、

 

霊能力のある方々が視える、霊、

生霊とか、幽霊などとは

 

根本的に違います。

 

 

 

宇宙の根源的な意識から分かれてきている意識、

魂のエネルギーと

 

魂のない方々が纏っている

霊のエネルギーとは、

 

 

 

まったく別物なんです。

 

 

 

 

 

地縛霊になれるのは後者の方です。

肉体が死んだ後の魂が

地表付近に残ることはありません。

 

 

 

 

 

日本では、霊について語られる内容と

意識や魂について語られる内容が

 

両方とも「スピリチュアル」として

認識されていますが、

 

実は、違うんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

話が逸れてしまったので、

再び、元の話に戻りますね。

 

 

 

宇宙に起こった変化について、

 

「これは、今までと違う、

 何か、大変なんことが起こった!」

 

という感覚があり、

 

 

 

 意識世界で人が嵐に吹き飛ばされる

 

 

 

人が出る、

 

つまり、地震のような

インパクトが意識に現象化する、

 

 

 

という予感を

かなり大きな危機感をもって

ライラは感じたわけなのですが、

 

 

 

 

 

 

予感というものは、

感覚なので、

物理世界に主軸を

おいている方々にとっては、

 

「ない」に等しい出来事

と認識されますよね・・・。

 

 

 

 

 

 

 

で、あの投稿から今日までの間に、

あのとき感じた、

あの感覚は、

 

つまり、そういうことだったのか、と

 

 

 

「意識界に嵐がおきて

 吹き飛ばされる」って、

こういうことかぁ~

 

と答え合わせになったような

経験があるので、

 

その辺について

言語化していってみたいと思います。

 

 

 

 

 

「吹き飛ばされないように

 足元を固めてください」

 

 

投稿記事では、

このような表現が

出てきますが、

 

 

 

 

 

 

足元が固まっていない人

 

意識次元において

『足元が固まっている』

ということの意味は、

 

 

 

あなたは、何に対して

誠実に生きているのか?

 

それが固まっているかどうか、

ということでした。

 

 

 

 

 

それは

「心の根っこ」とか、

「志」とか、

 

さまざまな言葉で言い換えることが

できますが、

 

 

 

 

 

 

吹き飛ばされる方には、

 

これまで、お付き合いのあった方々との

『信頼関係がゼロになる』

 

という現象が起こっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば、あなたが、

誰か、深く信頼していた人、

この人は、信じられる、

 

と思っていた人から

あることをきっかけにして離れていくときって、

 

 

 

大体は、

まず、「あれ?」と思う出来事が起こり、

 

 

 

それが何度か重なり、

 

思っていたような

「信頼できる人ではないのかも」

 

 

 

という疑念が沸いて

その疑念が

「やっぱり、そうなんだ」

だと確信に変わるような出来事がつづき、

 

 

 

溜息の気持ちと一緒に、

だんだんと距離をおき、

だんだんと関わらなくなって、

関係がフェードアウトしていく、

 

 

 

というような感じではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、「吹き飛ばされる」

という現象では、

 

このようなプロセスのある

人間関係の切れ方ではなく、

 

 

 

誰かの中で、

ある人の信頼が

一気にゼロになる!

 

「この人、信頼できない」

という思いが、

一気に100%の確信で、

そうなる。

 

 

 

 

 

 

という感じです。

 

 

 

 

 

なんで、そんなことが

起こるかというと、

 

相手方が

誠実でなかったから、です。

 

 

 

 

 

本質は「誠実さ」「真心」であって、

損したから、とか

利害関係がズレた、とかではありません。

 

 

 

信頼というのは、

本来、支払われた「誠実さ」に対する

エネルギー的なフィードバックなんです。

 

 

 

 

 

もちろん、地上世界では

精神的な言葉には、常に

2つの次元においての意味を持ちます。

 

 

 

「魂」次元の意味合いと、

「肉体」次元での意味合い。

 

 

 

「魂」次元において

「信頼」という言葉の意味は、

誠実さに対する自然なフィードバック。

 

 

 

そして

「生存本能」次元での意味は、

 

自分が相手に利益を渡せば

見返りに、

この相手は、

 必ず、自分に利益を返してくれる、

 

という利害関係の確実さ。

 

 

 

 

 

宇宙からのエネルギーを受け取りながら

生きている方は、

 

利害関係がウィンウィンであることに対して

信頼を抱くのではなく、

 

相手が

自分という存在に誠実であることに対して

自然と抱かれる感情が「信頼」。

 

 

 

 

 

 

 

その信頼が

いきなり「0」に帰すわけですから、

 

信頼を失った相手には

当然、意識次元のエネルギーが

流れなくなります。

 

 

 

 

物理次元上での人間関係がつづいたとしても、

いわゆる表面上の物理的接触でしかなく、

 

意識次元(精神の上)での関係性が完全に切れる。

 

 

 

ですから、

そこにはエネルギー循環が起こらなくなる、

のです。

 

 

 

 

 

 

 

「スターシードであっても

 同じです」

 

と、投稿記事には書いていますが、

 

 

 

スターシードの感受性があっても、

誠実さを欠いた在り方、生き方をしていれば、

 

その方は、

宇宙から流れるエネルギー循環の輪から

外れる、ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潜在意識の話ですから、

この話を聞いて、

わざと誠実であろうとしたって、

現実に「誠実さ」のある生き方はできません。

 

 

 

そこで、

「あなたは何に対して誠実な想い」

を抱いていますか?

 

潜在意識にある

揺るぎないものを見つけて

その想いを自分の内側で育ててくださいね。

 

 

 

という呼びかけをしていたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誠実であれない場所に

居ようとしないでください。

 

誠実であれない場所に居るときは

心のエネルギーのスイッチを切りましょう。

 

 

 

誠実であれない時間を

過ごさないでください。

 

誠実であれない時間を過ごすときは

心のスイッチを切りましょう。

 

 

 

 

 

誠実であれない場所で

誠実であれない時間に起こる出来事は、

 

「あなたにとって偽物の世界」です。

 

 

 

あなたにとって偽物の世界では、

あなたのエネルギーは

一方的に外部に吸い取られていき、

 

あなた自身は、

エネルギーを補充することができないはずです。

 

 

 

つまり、あなたは、

エネルギー循環の輪の外側にいる

のです。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に対して自分が誠実であるか

物事に対して誠実であるか

人に対して誠実でいられているか

 

 

 

誠実、とは

「心のエネルギー」が

遣われている状態です。

 

 

 

 

 

 

 

 

お分かりいただけた方には、

お察し頂けたかと思いますが、

 

宇宙からのエネルギー循環の輪は、

 

既に、

誠実さを持つ方々の中で完結し、

 

そのほかの人々に

漏れ出さない仕組みに切り替わっているのです。

 

宇宙の高次元では「崩壊のフェーズ」が終わり、

 「創造のフェーズ」が始まりました。

 

 

 

「創造」が地上で具現化するとき、

どのような形をとるのでしょうか?

 

 

 

 

 

「創造」とは、意識が夢中になることを

なにも制御しようとせず

その意識の流れを追いかけることを

いいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その意識の流れとは、

宇宙の深淵にある大いなる意識から注がれる

流れにつながっていて、

 

つまり、つながっているとき、

人は、宇宙からのエネルギーを受け入れています。

 

(宇宙から注がれるエネルギーを

 わたしたち人間は、

 このようにして受け取ることが

 できるのです。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのような活動を

わたしたちは「仕事」や「使命」というよりも

「遊び」と呼ぶことが多いように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ気楽に遊ぶのではなく、

 

遊び、という活動の中で

自分という存在の「一つの側面」について

突き詰める、極める、磨く

 

極めて真剣な遊び、ということです。

 

 

これが「遊びに夢中になる」

 ということの真の意味で、

  非常に意識が研ぎ澄まされた状態に

   なります。

 

 

 

このような境地に至っているとき、

  わたしたちは、「場」を創造しています。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「創造」といえば、

多くの人が、

経済活動に結び付く

 物をつくりだすこと、

 

と考えるかもしれません。

 

 

 

 

 

けれども、意識とつながっておらず

場を創り出していないまま

 作り出された物は

 

「偽物」なんです。

 

 

 

 

 

 

一流の職人をイメージしてみてください。

彼らは、物をつくる前に

 「場」を整えます。

 

「場」を創ってから、

 意識のなかで形作られたものを具現化し、

  「物」として

    この世界に出現させます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「偽物」にお金を払う人がいるので

「偽物」を売って、お金を手にすることもできるのですが、

 

「偽物」は、あるだけで

エネルギーをくれたりしないんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたが、もし仕事をしているなら、

何をお金に換えているのでしょうか?

 

 

 

宇宙の高次元では「崩壊のフェーズ」が終わり、

 「創造のフェーズ」が始まりました。

 

 

 

それに伴い、

地上でも「創造」の段階に入った方々が

いらっしゃいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「創造」とは何でしょうか?

 

 

 

 

 

まず第一に
「自分のイメージ」を

自分でつかむこと

 

 

 

 

 

すべては、この

自己創造からはじまります。

 

 

 

 

 

あなたの現実は

あなたという自己の拡大

として起こる現象なのですから。

 

 

 

 

 

 ※注意

自分の現実を創ることが

自己創造ではなく、

 

自己創造の延長に現実が出来上がる

プロセス、

これが「創造」を意味します。

 

 

 

 

自己創造の延長にない

あなたの現実は、

 

自分で努力して創りあげているつもりで、

他者に創らされているもの

なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分とは、どんな存在なのか?

 自分とは、どんな人間なのか?」

 

セルフ・イメージについて

他者からもたらされたイメージを

素直に受け入れることをやめてみませんか?

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

先進国の現代人は、

成長過程で、自己創造の力を

少しずつ、少しずつ奪われていることを

知っているでしょうか?

 

 

 

学校から教えられ、

親から教えられ、

社会経済から教えられる

 

 

 

どんなイメージを目指すべきで

どんなイメージは蔑まれるものなのか、

 

価値観を少しずつ、少しずつ

刷り込まれていくのです。

 

 

 

 

例えば、

親のいうことを聞けることは

子どもの世界では

よいイメージとされます。

 

学校で、先生に怒られないこと、

褒められることは

子どもの世界では

「よいイメージ」として刷り込まれます。

 

学校の成績がいい、スポーツができる、

これらも、

よいイメージ。

 

 

 

若者、青年期にとっては、

恋人がいたり

高い学歴があったり、

塾、習い事、部活などで

自分をアピールする場があることは

よいイメージで、

 

 

 

 

社会人になると

職業に対して

様々なイメージがつきまといます。

 

 

 

一定の年齢が近づくと

結婚すること、がよいイメージに結びつけられ、

結婚したら子どもを授かり、

子どもが、「立派に育っている印象」を

近所や同僚に与えられることが

よい親のイメージとされます。

 

 

 

年齢を重ねたら、

見た目が若く見えることは

よいイメージであり、

 

健康で、人生を楽しむ趣味をもっていたり、

他者から羨ましがられる

キャリアや肩書きがあることが

よいイメージになります。

 

 

 

 

 

このような感じで、

人生の中で、何を目指していくべきかは、

「よいイメージ」として

それとなく世の中で宣伝されているのです。

 

 

 

あたかも、こうした「よいイメージ」は

多くの人々が様々な人生をみて

自然発生したものだと思われがちですが、

 

実際には、

〇〇が「よいイメージ」を世間で持たれるように、

というような活動が

明確な意図や目的をもって

行われているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、個人が

よいイメージを目指して

人生を構築していった結果、

 

何かやっている、

忙しい、

でも、思ったような満足感はない

 

或いは、まったく思った通りにならない

 

でも、みんなの人生も、きっと

「そんなものなのだ」

と受け入れるようになって

 

 

中年を迎えるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多数派の人々が受け入れている生き方が

このような生き方、

このような自分のイメージです。

 

本質的な自己を追求し、

自己創造をする方は、

 

当然、浮きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他者に創られた

「よいイメージ」を現実化させようと

頑張る人は、

 

本当の創造はできない

 

 

 

けれども、

自己創造から取り組み

真の創造ができる人は

 

社会で浮く。

 

 

 

 

 

 

さて、どっちの人生を選びますか?

 

 

 

 

 

と問われたとき、

 

現世利益が欲しい方は

前者を選ぶはずです。

 

 

 

ところが、これから

どんどんエネルギーが枯渇していくのも

前者の方。

 

 

 

前者の方々には

宇宙がエネルギーを注がなくなったから

です。

 

 

 

 

 

 

今の時代って、

結局、どっちの道を選んでも

「生きるのは大変よ」という過渡期なんですよね。

 

 

 

 

 

 

正直、宇宙は

「現世利益のために

 自分と向き合おう」

というモチベーションの人に

興味がありません。

 

 

 

こういった方々は

見返りが得られたかどうかばかり

チェックしていて、

自分の内面を観察しないし

すぐに、道から外れる意識だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

見返りと関係なく、

自分自身を識(し)ることに興味があり、

自分を理解しながら、自分を磨き、

自己創造を追い求める心

 

こうした心と誠実さを持っている方と一緒に

世界を創るつもりなのです。

 

 

☆この記事は、前回の記事のつづきです。

 

 

 

 

 

 

人が、最初、

 

親や社会に敷かれたレール

「こうするといい」

「こうしなさい」

「こうしなきゃダメ」

に縛られて生きているとき、

 

 

 

 

 

生きることを頑張るエネルギーや

前に進むエネルギーは、

 

 

 

他人に認められることや

成果を出すこと、

他人に「そうだ、それでいい」と

評価されること、

 

また、「自分を見下すものを見返してやる」

という反骨精神や

「いつかは、大物になってやる」

というハングリー精神、

 


 

 

別の場合は、

そんな現実から逃避するための

気晴らしのゲームやアニメ、映画

自分を慰める何か、

 

であることもあります。

 

 

 

 

 

常に自分を緊張が支配し、

その緊張がなくなったら

もう立ち上がれなくなりそうだと感じたり

 

他人から見放されることや

他人から無能とみなされること

への恐怖や焦り、

 

 

強迫観念のようなものに

突き動かされている人も多いのが

このステージ。

 

 

 

 

 

 

そして、そんな生活が

行きつくところまで行きつくと、

 

人は、次のステージへ

成長しようとします。

 

 

 

 

 

 

「他人軸で生きることへの否定」

という価値観を学び

 

「自分にとって大切なこと」は

他人が自分に求めることよりも大切だ、

ということを受け容れる。

 

 

 

「自分はが他人にとって価値のない人間」

になるのではないか?

 

という恐怖から脱却して

自分を大切にする生き方を

学び始める。

 

 

 

 

 

このステージに登ろうとする人は

 

「自己肯定感」や

「自愛」に価値をおき、

 

 

 

このステージに上った人は、

 

自分の好きなこと、

自分が楽しめること、

自分がいい気持ちになれる時間の確保を

大切にし、

 

その時間が生きるエネルギーになります。

 

 

 

 

 

楽しくない時間

ネガティブな感情を感じる体験は

人生を暗くするものとして

避ける、選ばない方が多い

印象があります。

 

 

 

 

気持ちのいい状態でいることが

波動が高い状態だと思っていて、

 

それを維持しないと

 

転落してしまう、

という怖れを

持っている場合が多いです。

 

 

 

 

最初のステージからすると、

本人は、

自分の人生が好転したように感じていますが、

 

相変わらず

 

ネガティブな体験に対する

強迫観念が心の根底に横たわっています。

 

 

 

 

 

 

怖れから解き放たれるのは、

 

失敗する分

格好悪い自分

まわりに影響力がない自分も、

 

「自分にとって 

  意義深い自分の一部分」だと

感じられるようになったとき。

 

 

 

 

 

怖れから解放された人の

生きるエネルギーは、

その人の魂の価値観によって

大きな違いがあり、

 

本人も、自分にとって価値あることが

とても個人的な価値観であることを

自覚していることが多いです。

 

 

 

 

 

このステージの方は

「自分」という存在の輪郭が

おぼろげにみえてきていて、

 

様々な経験を通して

自分は、どういう人間なのか、

分かりつつある段階にきているのです。

 

 

 

 

 

前の段階までは、

自分の生きるエネルギーとなることを

共有できる他者と共にいたい、

 

コミュニティーがほしい、

と思う場合が多いですが

 

 

 


 

この段階の

生きるエネルギーは

非常に個人的なものなので、

 

もはや、同じ生き甲斐を共有する人と

出逢おうとは思わなくなり、

 

自分と同じ段階に達している人

自分の個人的な人生のテーマに気づいている人との

出逢いを夢見ます。

 

 

 

 

 

 

自己理解の最終ステージ

 

 

自分の人生に納得し、

「本当はこういう人生がよかった。

  本当はあの人みたいな

   立派な人物になりたかった」

そんな自分への恨めしさ、

 この世の摂理への不平・不満、理不尽さを

昇華して、

 

こんな自分で生きていこう、

結局、それしかできない、

と思えるようになった人々は、

 

 

 

 

 

立派であろうとする努力や

素敵であろうとする努力が

 

色褪せてみえ、

 

他人からスゴイと言われている人をみても

特別視する気持ちがなくなり、

 

けれど、

他人に自分を利用させることは許さない

毅然とした心の態度をもち

 

 

 

特別な生き甲斐を持たなくても

エネルギーが枯渇しなくなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、

真の意味で

 

宇宙から注がれるエネルギーを

自分の内的泉から地上世界に溢れ出させて

 

人々に循環させて再び受け取る、

エネルギー循環の世界に生きられる人たちは

 

 

 

自分への興味、

自分への愛を保持した状態で、

 

自分の外側の世界に

深い愛情と興味を持ち、

世界がどうなっているのかを理解し、

 

そして、その世界で

自分を活かすステージに立った人。

 

 

 

 

 

自分の存在は、

この世界あっての存在だと感じながら、

 

同時に、

 

自分が

この世界を動かしている、

という感覚がある。

 

 

 

 

 

自分は唯一無二の存在だ、という感覚と、

自分と世界は溶け合って

同一の存在だ、という感覚と、

 

相反する感覚が同時に成り立っている感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな風に、

人生のステージによって

「生き甲斐」は変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、人の成長マップだとするなら、

あなたは、いつ、どこにいたか

振り返ってみてください。

 

前回の記事を見返したあとで、

振り返ってみると、より分かりやすいかもしれません。

 

 

 

 

  1. 他人の価値観を自分の価値観だと信じていたのはいつ?
  2. 他人の価値観より自分独自の価値観の方が
     自分にとって大切だと気づいたのはいつ?
  3. 楽しいことをしているとき、ポジティブでいるとき
     以外の自分を自己否定していた時期はいつ?
  4. ネガティブな体験にも、自分にとって大切な意味がある、と
     気づいたのはいつ?
  5. 「ああなりたい」「あんな人生を生きたい」という
     願いを叶える生き方をやめたのはいつ?
  6. 自分は「自分になる」ことしかできないこと
     そして、その心理的軽さに気づいたのはいつ?
  7. 自分に意味があっても、他人にとっては価値がない
     ということに悲しさを覚えなくなったのはいつ?
 
7項目目までを、もう経験したあなたは、
自分と他人を、どのような目でみている
気がしますか?
 
 
 
自分のステージがどの辺にいるか
見つかったら、
 
そのステージの生き甲斐として
あなたには、どんなものがありますか?
 
 
 
 
 
「奪い合う世界」から脱却するために、
自分のエネルギーの源泉を
把握しておくことが、
とても重要なことなんです。
 
 
 
「奪い合う世界」にいる人たちが
彼らのフィールドに閉じ込められたように
感じるからです。
 
 

人は最初、

 

親や社会に敷かれたレール

「こうするといい」

「こうしなさい」

「こうしなきゃダメ」

に縛られて生きている。

 

 

 

他人に言われたことを頑張って

成果を出すことが「成功」だと思う。

他人の頼みに応えて

感謝されると

「自分が立派な人間」になったように感じられる。

 

 

 

 

 

それを続けるうちに、人は、

他人に敷かれたレールの上を

生きることが

「自分にとっては意味がない」

ということに気づく。

 

 

けれど、そこで葛藤する。

周りに求められていることに

応えなくなったら、

 

「自分は他人にとって価値のない人間」

になるのではないか?

 

「我が儘な人間だと

       周りに思われるのではないか?」

 

だから、これまでの生き方で

自分が疲弊すると分かっても、

考え方や生き方を変えることが恐ろしい。

自分を押し殺す牢獄のような生き方から

抜け出せない。

 

 

 

 

 

けれど、いつか人は、

「自分にとってソレは意味がない」

ということが、

「周りにとって大事なことをする」ことよりも

大切だ

ということに気づかされる。

 

 

 

 

 

そして、

人々は、

自分の好きなこと、

自分が楽しめることを

探し、見つけ、

 

それらを大事にすることが

できるようになる。

 

 


 

 

自分が好きなこと、

自分がいい気持ちになれること

 

に時間を費やすことが

生きるエネルギー源になり、

 

その時間を過ごすために

辛い時間を頑張ることができるようになる。

 

 

 

 

 

好きなことをしている自分は素晴らしい。

楽しいことをしているとき、自分は幸せ。

物事が上手くいっているときの感覚は最高。

そんな生き方をしている自分は立派。

 

 

 

 

 

でも、人生は良い時ばかりではない。

 

 

 

そして、人は知る。

 

「落ち込んでいる」時間が

自分の糧になってきたこと

 

情熱を傾けられることがなくなり

楽しい気分でいられない、

不安や後ろ向きな状態の自分でいても

 

そんな自分もダメじゃない。

 

 

 

うまくいっていない自分

失敗した自分

何者でもない、成功してもいない自分が

無意味な存在ではなく、

 

ハッピーで輝いているときの自分と

同じくらい

「自分にとって 

  意義深い自分の一部分」だと

感じられるようになる。

 

 

 

 

ネガティブな体験が

自分の糧となり、

未来の素敵な時間に繋がっていることの

確かさを感じられるようになる。

 

 

 

 

自分にとって無意味だった時間、

他人のためにしか生きてこなかった時間、

 

自分にとって楽しいこと、好きなことに

没頭した、自分が輝いていた瞬間、

 

失敗して格好悪い姿だった

消してしまいたいほど苦い想いをした過去

 

 

 

 

 

 

結局、すべてが学びになっていた。

 

 

 

 

 

何の学びになっていたのか?

 

 

 

 

 

「自分を知る」ための学び

   になっていたハズだ。

 

 

 

 

 

自分は何が好きで

何が嫌いで、

 

何ができて

何が辛くて、

 

どんな性質の人間なのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな自分を知ったところで、

あなたの周りの世界は、

何ひとつ変わらなかったかもしれない。

 

生まれたときから今も、

世の中は、同じように

朝を迎え、夜を過ごしてきたかもしれない。

 

 

 

 

 

それでも、生まれたときより、

少しだけ

あなたは自分のことをよく知ったハズ。

 

 

 

 

 

そして、それでも、世界は、

あなたがあなたを知った、ということに

価値を見出さないだろう。

 

 

 

 

 

あなたが勝手にあなたを

よく知っただけなのだから・・・。

 

他人の得になることではなく、

他人の人生をよくする出来事でもない。

 

 

 

 

 

 

 

だけど、それでも、

 

それだけで、

 

あなたがこれまで

生きてきた意味は十分にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたは、あなたの人生に納得し、

「本当はこういう人生がよかった。

  本当はあの人みたいな

   立派な魂だったらよかった」

そんな自分への恨めしさ、

 この世の摂理への不平・不満、理不尽さ

全てひっくるめて

 

仕方ない、

それで生きていこう、

結局、それしかできない、

と思えるようになる。

 

 

 

 

 

本当は、生まれたときからそうだった。

 

生まれたときから

「こういう人生を生きたい」を

生きられるわけではなく、

 

「あんな素敵な人になりたい」に

なれることもない。

 

 

 

 

でも、それが「叶わない」ということを

多くの人が知りたくなかった。

 

多くの人が「叶う、という教え」を選んで、

その声に耳を傾け、

信じてすがって生きてきた。

 

 

 

 

 

それで、真実に辿り着かないまま

迷子になる。

 

 

 

 

 

 

迷子になって遠回りをして、

それでも真実に辿り着けた人は、

 

遠回りをした分だけ

深い喪失感を味わい、

 

喪失感が深い分だけ、

真実が腑に落ちたときの

真実理解の深さが深くなる。

 

 

 

 

 

 

 

立派でもなく、

素敵でもなく、

他人からスゴイと見上げられるでもない自分

 

他人に対して

「自分が利用価値のある存在だとアピールする努力」をやめ、

明日、自分が死んでも世界が悲しまないことに

恨めしさを感じない

 

その心の軽さ

 

 

 

 

 

心の軽さとは何か

気づいた瞬間に見上げる空は

何色でも素敵にみえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう。

 

ここまで来る前に

ほとんどの人が一生を終えている。

 

だから、何生もかけて、

このステップを進むのが

スターシードの輪廻転生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、本当の宇宙の目的、

魂を磨く旅は、

ここからがスタートする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分への興味、

自分への愛を保持した状態で、

 

自分の外側の世界を

自分を探求したときと同じ熱量で

探求する旅。

 

 

 

 

 

また、旅立つ。

 

 

 

 

 

生活は変わらない。

同じ道のりを、今度は

意識を向ける角度を変えて

歩き出すだけ。

 

 

 

他人を知り、

世界がどう回っているかを理解し、

そして、その世界で

どう自分を活かすことができるのかを知り、

試す。

 

 

 

 

試しては失敗し、

世界への理解と

自分への理解が深まっていく。

 

 

 

 

理解が深まれば深まるほど、

人生は味わい深く

興味深い体験になっていく。

 

 

 

 

 

 

 

それが本当の

『魂が生きる理由』。

 

 

 

 

 

 

 

そのとき、

 

人生に、ごく稀にしか訪れない

大きな感動体験

夢中になって何かに取り組んでいるときに

味わうフロー体験

 

 

 

そんなアドレナリンによる快感を

探す必要はなくなる。

 

 

 

 

 

何も起こらない平穏な時間に

 

深い感動

が常に意識の底流にあることを

味わいながら

 

存在し続けられるようになるから。

 

 

今日のお話は、

かなり、分かりにくいお話になる

かもしれません。

 

 

 

(今までも、

 「分かる人は一人もいなさそう」

 という話を度々してきましたがニヤニヤ

 

 今日のは、おそらく

 分かる人もいるだろうけど、分かりにくい。

 

 でも、意識を研ぎ澄ませば分かるハズ

 と思うので、

 

 よろしくお願いします。)

 

 

 

 

 

ここ数年の間に、

大いなる意識の世界の

多くの意識たちが、

 

『個の意識』としては消滅し

意識の大河へと還っていきました。

 

 

 

この内容は、過去記事に

書いてきた

宇宙の流れです。

 


 

 

 

 

 

これが「崩壊のフェーズ」

でした。

 

 

 

 

 

この消滅した意識に繋がる

分御霊の欠片を

部分的に持っていた人々は、

(消滅したそれぞれの意識は、

地上では

神々とされていた意識です。)

 

消滅した意識を源とする

個人の課題について、

各段に解決しやすくなりました。

 

 

 

 

と、同時に、

地上の分け御霊たちが

消滅した意識を仲介して

受け取っていた宇宙のエネルギーは

受け取れなくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

だから、今、現実世界で

様々なものが崩壊しています。

 

 

 

例えば石油が

先進国に回ってこない。

 

 

これは

「地球を支配しようという意識」

の大元が消滅したことが

具現化した例です。

 

 

 

つまり、

「石油支配の力が弱まった」ということ。

 

しかし、

「支配から解放された!」

と喜んでいる人がどれほどいるでしょうか?

 

 




 支配者の意識を分け御霊として

受け継いだ人間たちは


社会が

石油に依存しなければ

生きていけない世界を

時間をかけて作り上げました。


この盤石な支配構造によって、

私たちは、石油がないと困る

生活スタイルになりました。

 

 

 

 

 

 

 

「支配される」というのは、

ただ、搾取され、こき使われることではなく、

「支配者に依存しなければ

     生きていけない状態」

にさせられることです。

 

 

 

だから、支配されるものは

支配者が栄えないと、

自分も落ちぶれることになり、


自分が生き延びるために

支配者に仕えることを

(搾取されることを)


自らの意思で選択するように

なります。







外からは、その構造が

よくみえるので、


理不尽に支配される者を

憐れに思い、

支配から解放しよう、と

手を差し伸べますが、


支配される側は、

支配されることが

自分の命綱だと思っているので、




支配されることに

しがみつきます。






時の流れ、情勢の変化によって

自分を支配するものが

衰退したとき、

支配されていた側は、

自由の喜びを味わうのではなく、

 

「もう生きていけないかもしれない」

恐怖を感じて、

代わりの支配者を探そう

とすることも茶飯事です。

 

 

 

 

 

「支配されるのはおかしい!」と

叫ぶのは簡単ですが、

日常生活がままならなくなる、という

痛みを乗り越えてまで支配から脱却したい人は

多くはないのです。

 

 

 

支配されることを望む大衆の数は

膨れ上がり、

社会の「支配・被支配構造」は

時代と共にどんどん強化されていきました。

 

 

 

 

支配されることを望むものが

多ければ多いほど、

地上で、支配されずに生きようとする者は

生きづらくなりました。

 


 

 

 

 


しかし、最高次の意識次元では、

支配の意識は完全に消滅したため、

支配は、今後、

次々と崩れていきます。




 

 

 支配が崩れる、とは、

社会の大きな流れが消える


ということ。


これに従っておけば大丈夫、

というレールが

なくなる、

ということです。




 

 

さて、大分

崩壊は地上で具現化してきましたが、



 遂に、昨日

宇宙が「創造のフェーズ」へ入りました。

 

 

 

 

 

 と言われても、

ピンとこないかもしれませんが、


創造のフェーズが、地上に

どんな現実として具現化するのか?

 

というと、

 

 

 


おそらく、

ニュースなどで

目にみえる大きな流れとしては

崩壊や滅びが活発化していく中で、


大衆に気づかれないところで

創造が始まると思います。


 


 欲による奪い合いの世界では、

まっすぐに自分の利益を追求するものが

勝ち残っていくので、

この方々は、

(霊格を高める旅から、かなり遠いですが)

しばらくは

人生がうまくいっていると

感じる可能性があります。


自分で気づかない間に

他者から

エネルギーを奪い、

時間を奪い、

お金を奪い、


こうして、お金や物質的な豊かさを

得るかもしれません。

 


 

彼らは、奪った相手が

自分にエネルギーを流すことに反発している、

ということに気づかないでしょう。

 

 

 

 

でも、奪われた人は、

次々と奪われていたことに

気づき始め、


2、3年後には、

奪える相手がいなくなって、

それでも、何が原因か

分からないことでしょう。


 

 




さて、いま既に


奪う、奪われる、

というゲームの中に

いない方は、


個々に、自分の人生の流れを

創り始めます。






自分で人生の流れを創れる方の

エネルギー源は


「自分を知ろう」

「自分を受け容れよう」

という欲求と


目の前の

「あなたを知りたい」

「あなたを受け容れられるようになりたい」


という欲求です。







これまでの求道のように

自分の道にこだわるだけ、

自分の殻に閉じこもるだけでは


流れを創り出すことはできません。




 

この「創造」を体現できる方と

繋がりましょう。


メンターを選び間違えないことが

大切です。