宇宙の高次元では「崩壊のフェーズ」が終わり、
「創造のフェーズ」が始まりました。
意識世界のことを
お伝えする発信者の方も、
数年前から、かなり増えてきたように
思います。
けれど、その方々が流している情報は
真実なのか、否か?
見極めるのって、
難しいと思いませんか?
特に、自分自身で
スピリチュアルな情報を
とらえる力が弱い場合、
「目に見えない世界と繋がれる人」
に憧れたり、
自分で確かめる術がなかったりして、
最終的には、
「自分が信じたい世界観」を
語ってくれているスピリチュアリストを
信じることになることが多いのでは?
と思うのです。
実は、ライラは
人の話をすぐに信じてしまいやすいタイプです
。
他人が発信するスピリチュアル情報について
自分で、是か否か、確かめられる術を持ってから、
この情報は、真実なのか?
確かめるようになったのですが、
その度に、
どれもこれもが偽情報だという
答えにたどり着き、
これって、人によっては
知らない方が幸せ、
ってやつだよな~と
思いながら過ごすようになりました。
例えば、次のようなもの。
「(高次元存在に)言え、って言われた
から
お伝えするんですけど、、、」
とか、
「(高次元存在に)〇〇するように、
と言われたから、やっているんです。
別に、わたしがやりたくて
やってるわけじゃありません
神様から言われたお仕事だから・・・云々」
などという前置きがあって
メッセージが始まるスピリチュアリストの発信
こういうのって、
ライラの耳には
とても、もっともらしく聞こえ、
「この人、高次元に任されて
尊い活動されてるんだ~」
と拝む気持ちになることが
多かったんですよね。
しかし、そういった情報について
確かめてみると、
だいたいが偽情報で
ぎょっとしていたのですが、、、
自部が繋がれるようになった
今から振り返ると、
たしかに
霊格の高い存在が
人間に指図することはないなぁ~
と思うんですよ。
それどころか、
高次元になればなるほど、
「○○について、教えてください」
と訊いたって、
べらべら饒舌に教えてくれることはありません。
なにか訊きたいときは、
まず、自分で真理を読み取り、
「○○は、△△、
合っているか?」
と問うたときに初めて、
自分の理解が
合ってる、という一致感がくるか、
微妙、もしくは、ズレた、
という感覚がくるか、
はっきり受け取れる・・・
しっくりくる場合は、
追加情報が、意識に
伝わってくるけれども、
自力で真実にたどり着いていない間は
無音。
つまり、
意識存在の方から
饒舌にいろいろとメッセージが降りてくる現象のとき、
それは、その意識存在自体に魂胆がある、
ということなのです。
人間だって、そうですよね。
「あなたを起用したいから、
こんな資格をとってほしい」
などと言われるときは、
その人(会社)のために
役に立つスキルを
あなたに身に着けてほしい。
という意味であって、
それが、その人(会社)のメリットになるから
であって、
「あなた」という人間そのものを
尊んでいるわけではない・・・。
もちろん、それでも
誰かの役に立つことで
自己肯定を感じられる、
という方々は、
オファーを頂けたら
ありがたいと感じると思います。
誰にも頼りにされず、
誰にも何も期待されないことは
寂しいと感じるから。
このような気持ちは
人間として、
とても理解できるところですが、
このような意識であればあるほど、
人にも、意識存在にも
利用されやすくなることは
知っておいて頂きたいのです。
真実に繋がる意識存在は、
人間を利用するようなことは
ありません。
そんなわけで、
人間に指図をしているのは、
「全なる意識」と繋がれない
意識存在であることが多く、
「肉体を持たない存在は
みんな 高次元だ」
なんてことはないのですね。
それじゃあ、何を信じればいいの?
と思ってしまう人もいるでしょう。
自分を磨かない限り、
何を信じればいいか、
明確に分かることはありません。
よい先生の言っていることを聞いていれば
正しい道を歩ける、ということはなく、
よい先生は、
正しい道かどうか、
石橋の叩き方を伝授してくれるだけであって、
あなたの代わりに
石橋を叩き、進んでいいか
あなたに
教えてくれる存在ではないのです。
つまり、
一見、手取り足取り教えてくれる
優しそうな存在は、
人間であれ、意識存在であれ、
本物ではない、
ということ。
人間を下請けとして使役しようとする
意識存在も
霊格が低いけれども、
「高次元の存在から頂いた仕事だから」
と、
視えない存在をありがたがって、
自分の感性を大切にするよりも、
視えない存在の意思を優先して
何か大事な仕事をした気になっている人間も
霊格が低い。
こうした出来事は、すべて
結局、自己創造ができていない。
意識が自立していない、
という現象のあらわれ、
というわけです。
今回の記事は辛口ですが、
真実とは甘い味がするものではなく、
多くの人は
真実と向き合うことを避ける
ものなのです。

